キリスト教代表十二人
シモン・ペテロ(イエス様の十二弟子のうち、第一弟子)
再臨主の指示と教えに従わなければなりません
まず「神様は人類の父母」という主題のもとで進行したセミナー教育に対する所感を、簡略に話そうと思います。地上でもこちらでも、私はこのような形態の教育を受けたことがありませんでした。それで、初めは、非常になじみが薄く、ぎこちないものでした。しかし、教育内容は誠に恩恵深いもので、その雰囲気も非常に良いものでした。講義内
容は、神様のみ言や主のみ言のように、非常に親近感があり、かつ熱く感じられました。今まで私たちは、イエス様の指示と教えを受けましたが、これから再臨主を父母として侍る中で、再臨王の指示と教えを受けなければなりません。シモン・ペテロも、再臨主を絶対的に信じて行動することを誓いました。ここで学んだすべての講義内容を、もう一度聴講したいと思います。
シモン・ペテロ(2001年8月28日)
使徒パウロ(初期キリスト教の偉大な宣教師)
人間の責任分担の重要性を認識
使徒パウロは、恵まれた者の中の恵まれた者です。個人的にイエス様にもお会いし、その愛も受け、再臨の主の温かい愛と指示と使命も受け、万軍の主の真心のこもった愛の中で、新しい真理に接するようになったのですから、これ以上に恵まれた者がどこにいるでしょうか。使徒パウロは、ダマスコの近くで主と出会う以前から伝統的な神観に対する信仰と信頼は、何物とも取り替えられないほどに、しっかりと心に刻まれていました。
事実、復活の主にダマスコの近くで出会って体験していなければ、使徒パウロのそのような思考方式は、少しも動揺しなかったでしょう。信仰というものは、誠に奇異で神秘なものでした。直接、復活の主を体験することにより、自らのすべてのものを差し出すことができました。すべてのものを捨てて、ただただ復活の主にのみ夢中になっていました。今、再び、「統一原理」を学びながら、使徒パウロの伝統的神観がどれほど間違っていたのかを、はっきりと悟るようになりました。
神様や復活の主や再臨のメシヤは、私たち人間が必ず侍らなければならない方々でした。復帰摂理の過程において、神様のみ旨が成し遂げられなくなるたびに、数多くの中心人物たちが交替していきながら、復帰摂理歴史は延長されてきました。
しかし、使徒パウロの考えは、あまりにも浅いものでした。神様のみ旨は変わることはありませんが、ある摂理的中心人物が自らの責任を実行できなくなる時、神様の摂理が延長して新しい人物が現れ、その使命を完結しなければならなくなる、という事実を悟れなかったのです。人間の責任分担の重要性を、深く悟りました。神様の全能性のみに頼ったまま、人間の責任は考えることができなかったのだと思います。一個人の小さな責任は、神様の大きな予定のみ旨の前には、とても小さなものでしたが、一個人にとってその責任は、100パーセントだと見ることができます。一個人の責任は、神様のみ旨と比較すればとても小さなものですが、個人において100パーセントだと考えれば、それが神様の摂理の前にとても比重のあるものなのです。ところが、パウロは、そのことを考えることすらできなかったのです。
現代キリスト教の絶対予定説は、パウロの足りなかった考えが生んだ、巨大な汚点だと言うことができます。「統一原理」を明らかにされた真の父母様の前に、申し訳ないことこの上ありません。そして、授受作用の理論も、パウロには、あまりにも大きな衝撃をもたらした部分でした。聖徒と聖徒がお互いに愛し合うということは、平凡な真理でした。このように平凡な真理が、なぜ成し遂げられず、闘争と紛争と恨みと嫉妬がなくならない世の中になったのでしょうか。このように正確な授受作用の理論があることを、パウロは知らなかったのです。このような理論は、誰も明らかにし得ない真理であることは知っていますが、パウロがキリスト教史に残した汚点を、どのようにすれば蕩減できるでしょうか。これまでに努力し、キリスト教の歴史に最後まで貢献すれば、それを蕩減できるでしょうか。
真の父母様!パウロの偏見が、再臨の主の前につまずきの石になったのではないでしょうか。今ここでは、決してそのようにはいたしません。「統一原理」を一生懸命に学び、ここの聖徒たちを正しく指導いたします。下さった使命を必ず成就するよう、徹底して準備しています。
使徒パウロ(2001年9月11日)
ジャン・カルヴァン(1509~1564 宗教改革者)
伝統神学の絶対予定説の問題点を認めます
神様が人間を訪ねてこられる時、数多くの艱難と困難を経てこられました。いくら大きな苦痛があっても、それを子女に表現し得ない父母の心情が、人類歴史の背後に隠されていました。人間は神様が自らの父母であるという事実すら知り得なかった、という復帰摂理歴史が、カルヴァンの心をとても痛めました。カルヴァンは、神様があらゆる所にいらっしゃり、全知全能であられるので、神様のみ旨は、神様自ら成し遂げることができるものと思っていました。復帰摂理の過程に現れた困難も、喜びも悲しみも、すべて神様の全能性によって解決されるものと考えていました。特に神様は、孤独の神様、悲しみの神様、恨の神様だったという事実は、想像すらできませんでした。
エデンの園におけるアダムとエバの堕落は、神様の絶対予定だったのであって、人間の失敗だったとは一度も考えたことがありませんでした。人間の失敗によって堕落したというのは、全く話にならないものだと思っていました。全知全能であられる神様、絶対者であられる神様が、なぜ人間をそのように造られたかについて、数限りなく疑問をもちましたが、その解答を探し出す道は全くありませんでした。
数多くの人士たちが招聘されたこの場において、李相軒先生は、真の父母の思想とカルヴァンの思想を比較しながら、討論しました。その後、カルヴァンは、「統一原理」全体を聴講し、歴史の同時性時代を聞きながら、感服し、畏敬の思いを禁じることができませんでした。李相軒先生は、私、カルヴァンに理解させながら、涙で講義をしました。李相軒先生は、「文鮮明先生の教えを受けていなければ、今ごろ私自身は、地獄の底をさまよっていたでしょう」と言い、「数多くの苦痛とつらさの中で『統一思想』に接し、人生の方向をつかむことができました」と言いました。「統一原理」は、カルヴァンの思想と理論を根こそぎ踏みつぶしてしまいました。
今、カルヴァンは、絶対者であられる神様を信じ、神様のみ旨による絶対予定説も完全に理解することができます。今、私、カルヴァンは、申し訳ないことこの上ありません。すべての信仰者たちに「統一思想」を勧めたいと思います。絶対者であられる神様の、人類を中心とした宇宙の創造目的を知ることができなければ、神様を私たち人類の父母としてお迎えすることはできません。本当に李相軒先生に、とても感謝しています。カルヴァンの思想に限定されているすべての思想家たちと哲学者たちが「統一思想」に接すれば、カルヴァンの思想が非常に部分的であることを悟り、恥ずかしく思うでしょう。人生の根本を悟らせる「統一原理」、「統一思想」を、地上の皆さんには、体系的に研究してくださることをお願いしたいと思います。そして、皆さんは、「統一原理」を明らかにされた文鮮明先生が人類の真の父母、再臨のメシヤとして来られたことを絶対に信じ、従順にしなければなりません。ジャン・カルヴァンも、必ずそのようにします。現在、キリスト教の絶対予定説は、神様の根本的み旨を知り得なかったために現れたものであることを、深く肝に銘じ、悟っています。これが、ジャン・カルヴァンの告白です。本当にありがとうございます。
ジャン・カルヴァン(2001年9月16日)
マルチン・ルター(1483~1546 宗教改革者)
「統一原理」が明らかにされていたならば宗教改革も必要なかったものを
まず感謝と尊敬の意を表します。立派な思想を明らかにしてくださった文鮮明先生に心から感謝しながら、この文をお捧げいたします。本来、ルターは、限りない神様の愛の体験を根拠として信仰生活をしてきました。今回の教育を受けてみると、神様の前に宗教改革は、大きな不幸をしでかした事件になったかもしれない、という心の葛藤が起きました。
文鮮明先生、人類の真の父母様、そして再臨のメシヤなど、すべての呼称は当然であり、ふさわしいものです。何をもって、このような恩恵に報いることができるでしょうか。天の秘密を、このように理路整然と明らかにしてくださったので、感謝しています。今正に、人間救済の道が開かれたという確信をもちました。「統一原理」は、すべての思想と宗教的教えを受容し得る絶対真理です。このように体系的に成し遂げられた「統一原理」がルター当時に現れていたならば、宗教改革は必要なかったことでしょう。そして、数多くの生命が犠牲になることはなかったでしょう。今も宗教の名によって、数多くの人々が犠牲になっているので、残念に思います。宗教人たちが「統一原理」さえ知れば、宗教の障壁、人種の障壁、思想の障壁がすべて崩れることでしょう。しかし、このような真理が、なぜ今になって人類にもたらされたのか……。数多くの紛争と摩擦などによって、病にかかっていった人類を回顧してみるとき、無念な思いがします。
文鮮明先生、どのような呼称でこの文をお捧げすれば、最も大きな尊敬と感謝となるでしょうか。ルターは、ただ感動と感謝だけです。地上にいらっしゃる間に、このような原理と思想が全人類に、地の果てまで広く伝播され、人類の悲惨な歴史が終息し、ただただ神様の愛の世界が実現されることを願います。
先生、再臨の主様、ルターはまだ、お父様とお呼びすることはできないでしょう。主は、全人類の父母として来られましたが、人類は、各自の資質を磨き上げ、神様と真の父母様の前に、真の子女の姿に生まれ変わらなければなりません。ルターが真の子女の立場に立つまで、あまりにも多くの時間がかかると思うのですが、このような姿でも子女として受け入れてくださるのでしょうか。先生、ルターも真の子女の立場に立てるよう努力いたします。天の秘密を明らかにしてくださったことを、心から感謝いたします。最高の感謝の表現をお捧げして、この文を締めくくろうと思います。先生、ありがとうございます。本当にありがとうございます。ルターは、この真理の前に揮身の力を尽くします。
マルチン・ルター(2001年9月16日)
アウグスティヌス(354~430 ヒッポの主教。カトリック神学の教父)
「統一原理」が全天宙まで伝播されることを
ここでも、「統一原理」が偉大な真理だと認識する人たちが、とても増えました。「統一原理」を聞いた人たちは、彼らの思考方式が変わり、彼らの生活方式も、とてつもなく変わってきています。これは、地上でも霊界でも、同一の現象でしょう。このように、「統一原理」を聞きさえすれば、新しい姿に変化するのですが、なぜ一部の教団と教派の信仰者たちは、それを聞きもしないで性急な結論を下すのか、それがとてももどかしく思います。
アウグスティヌスは、「統一原理」によって半狂人になりました。地上でこの真理を知ることができず、ここに来て知るようになったことが、あまりにも無念でした。しかし、文鮮明先生がここに来られる日を思いながら、今からでも主をお迎えする準備をすることが賢明だと思いました。過去のすべての過ちを捨て、ただこの真理だけに従っていきます。アウグスティヌスは、与えられた召命を常に心に刻印しながら、すべての生活を忠実にするでしょう。
数多くの聖徒たちは、「統一原理」を喜んでいます。アウグスティヌスは、彼らと対話しながら原理教育をしています。特にキリスト教徒たちと、より親しくしながら生活しています。一部のキリスト教徒たちは、この真理と異なる見解をもっていました。アウグスティヌスは、彼らを正しく説得することに、一役買っています。
ある日、篤実なキリスト教の女性がアウグスティヌスのところに現れて、「アウグスティヌスは『統一原理』を聞いても、なぜ何の反応もないのですか」と質問しました。その質問の意味は、なぜ異端の声に簡単に染まっていき、馬鹿のように働いているのかというのです。この女性は、アウグスティヌスの自尊心を激しく傷つけました。本当に怒りが込み上げてきましたが、耐えながら彼女に、自らの経験を話してあげました。「『統一原理』の講義を詳細に聞いてみなさい。講義を聞いて、途中で異端だと言ってはいけません。すべて聞いてみれば、『異端』という言葉よりも、あなたの胸が締めつけられ、痛みしか残るものがないでしょう」と、本当に真摯に語ってあげました。このような人たちは、よくいるものです。
文鮮明先生!真の父母様!アウグスティヌスです。今からは、私を信じて、安心してください。アウグスティヌスは、この真理の前に、少しの疑心も、反抗もいたしません。このように再び、御機嫌をお伺いすることができる機会を下さり、本当にありがとうございます。一日も早く、この真理が、この地からあの地の果てまで、完全に伝播されることを祈ります。
アウグスティヌス(2001年9月17日)
テルトゥリアヌス(160~225 キリスト教弁証家、ラテン学派の代表者)
人類平和運動キャンペーンを展開したく思います。「統一原理」の生活化が急がれます
感動的な原理教育を受け、私に所感を発表できる機会まで下さり、本当に感謝いたします。長久な人類歴史の流れの中で、何も知らずに、ただ来てはそのまま逝く人間たちが多いのですが、今日、地上の人たちは、このような真理を受けられる機会と環境で生活しているので、どれほど幸福でしょうか。彼らがとてもうらやましくなる時が、少なくありませんでした。
「統一原理」は神様の啓示です。そうでなければ、人間をこのように感動、感化させられるでしょうか。「統一原理」のすべての内容は、一様に感動的で衝撃的ですが、特に授受作用の理論がそうです。授受作用の理論は、あまりにも平凡な原理であり、すべての存在物に普遍的に適用される理論です。すべての人間たちがこのような理論によって生活するならば、人間社会から対立、摩擦、闘争は、完全に消えるだろうと思います。この理論は、一寸の誤差もなく、細密で体系的なので、ただ感嘆するばかりです。このような授受作用の理論を一つだけ武装しても、人類救援に画期的な成果を上げることでしょう。しかし、すべての人間が、このような原理を体得できずにいるという現実が、切ないばかりです。そして、「統一原理」を教示なさった文鮮明先生が、あまりにも御高齢だということが、とてもやるせないです。
「統一原理」に対して、誰が反旗を翻すでしょうか。もしそのような人がいるならば、彼は無分別な人であり、とても愚かだと自白することになるのです。人間の頭脳から、このような真理が出てくるものでしょうか。今、再びテルトゥリアヌスが地上人に戻れるならば、絶対にやりたいことがあります。このような真理でもって人類の平和運動キャンペーンを積極的に展開したいのが、それです。授受作用の論理一つだけでも、人間に対する神様の根本愛を、十分に説明できることでしょう。
「統一原理」がすべて、人間生活に適用されるならば、地獄は当然なくなることでしょう。所感発表の時間があまりにも短くて、話したいことを全部は話せません。地上にいらっしゃる文鮮明先生は、天上天下の真の父母として来られました。このことは人類の大慶事です。今や人類の救いの道が大きく開かれたので、私たちは、どれほど恵まれた人たちでしょうか。地上と霊界が一つに統一され得る最も有力なことは、「統一原理」が全天地にくまなく伝播されることだと思います。その日が一日も早く到来するように、テルトゥリアヌスは、「統一原理」の伝播に全力を尽くすつもりです。
今日、地上人は固執な考えから抜け出して、ここ霊界があることを悟り、神様の摂理を正しく研究しなければなりません。神様はお一人なのに、様々な教派に分かれていることは、神様のみ意でしょうか。神様の摂理の焦点がどこにあるのかを悟り、神様の摂理に合わせていく人が真の信仰者だと思います。神の国は、遠い所ではありません。人類が行くべき終着地は、ただ一つの所です。人類が永遠の住まい、主なる神の家で、神様と共に永存することが神様のみ旨だとすれば、私たちは今、どこに、どのように立っているかを深く考えるべきでしょう。
人類の真の父母様!人類の復帰に、どれほど御苦労が多いでしょうか。本当にお疲れ様でした。こちらの私たちは、「統一原理」を中心として、全人類の生の方向が一つになることを祈ります。
テルトゥリアヌス(2001年9月19日)
コンスタンティヌス大帝(313年にキリスト教を最初に公認した皇帝)
真の父母様の直接的な指導を受けたく思います
こちらでも皇帝の称号で呼んでくださるので、本当におそれ多く思います。文鮮明先生は、一国の皇帝ではなく、全人類の王の王であられ、君主の君主であられ、皇帝の皇帝であられ、真の父母であられることを、今回の教育を通してはっきり悟るようになりました。このような恩恵と感激を表現できる機会を下さり、本当に感謝しながらも、一方では、おそれ多く思います。
当初、人類の出発が誤らなかったならば、このような「原理」は既にその当時、出てきたことでしょう。しかし、人類歴史は堕落世界へと傾き、染まってしまいました。このように切ない人類歴史を経綸されながら、神様がどれほど苦心されたかを、私は考えてみます。誤った人類歴史を収拾するために、人類に真の父母が必要だったという事実、言い換えれば、人類は、真の父母の真の愛なくして救われないという事実を、原理を通してよく学びました。
今、新しい真理が人類に現れたので、全人類は、真の父母様の顕現とその苦労に、喜びと讃美の祝祭を捧げるのは当然のことでしょう。しかし、私は、この事実を知らずに今まで生きたので、おそれ多いのですが、今からでも全人類を代表して、小さな国の皇帝の名によってお祝い申し上げようと思います。
文鮮明先生、真の父母様、人類のメシヤ、再臨の主、王の王として登場された主、万歳!万歳!万歳!感謝いたします。感謝いたします。感謝いたします。私は、全人類が「統一原理」の真理に従って生きていくことを宿願し、こちらにおいてだけでも、神様の国が一日も早く建設されるよう、全力を尽くすつもりです。このような聖業の隊列に私を同参させてくださったことに心から感謝申し上げ、私たちのために熱い講義をしてくださった講師の方々にも感謝申し上げます。
真の父母様、地上における私の皇帝としての人生が決して無駄にならないためには、こちらでどのように生きればいいでしょうか。どのようにすれば、真の父母様に近い所で侍ることができるでしょうか。これは、皇帝として扱ってほしいという意味では決してなく、今後、もう少し品位があり、価値のある生を営むために努力したいという意味です。「統一原理」に対していれば、私の心が一層粛然とし、新しい生を出発しようという意欲が、おのずと生じます。そして、今まで誤って生きてきた地上生活をも悔い改めさせます。寛容と許し、そして、悔い改めの気持ちが先に造成されれば、真の生の価値を切に感じるようになるでしょう。文鮮明先生の直接指導を受けようとするならば、どうすればいいでしょうか。あまりにも生意気なお願いでしょう。できるならば、真の父母様の指導を受けて生きようと思います。それは、ここの講師の方々の姿が、私たち皆を感動させ、感激に浮き立つようにしているからです。
文鮮明先生!感謝いたします。
コンスタンティヌス大帝(2001年9月22日)
エマヌエル・スウェーデンボルグ(1688~1772 近世の代表的神秘主義者)
霊的現象の神学的・哲学的根拠を提示する真理
私、スウェーデンボルグは地上にいる時、霊界の実相をたくさん体験しました。地上にいる時も、神様の臨在を様々な面で、たくさん体験しました。ですから、無形世界に対して少しも疑ってみたことがありませんでした。しかし、無形世界が実体世界と同じ姿で、永遠の世界として永存しているという事実は、知らずにいました。それに対する体系的な理論も経験したことがなく、神様がそれを教えてくださったこともありませんでした。地上で多くの人間が生きていますが、無形世界の実在を認め、理解するならば、今と全く異なった姿で生きていくことでしょう。
今、スウェーデンボルグが地上に残した無形世界の経験的理論は、全く根拠がないので、「そのはずだ」という推論的なものだけが、それも限りなく部分的なものだけが記録されているのです。ところが、「統一原理」と「統一思想」は、神様の創造目的に基づいて、哲学的に、神学的に、そして歴史的にとても細かく、正確に説明されています。それで、目の不自由な人にも、無形世界へ訪ねてこれるようにその道を開いたので、人間にこれ以上の福音がどこにあるでしょうか。本当に、あまりにとてつもないことです。無形世界と有形世界の根本的道理だけ人間に理解させれば、誰も地獄に来ないと思います。大部分の人々が事実を悟れないために、永遠の地獄の苦難を免れることができずに、生きていくのです。
私、スウェーデンボルグは、一生涯に、霊的現象を経験したことがたくさんあります。そのうち、一つだけを話そうと思います。大部分の私の霊的体験は、神様が人間に無形世界の現象を教えてきたものです。
ある日、私、スウェーデンボルグが静かに祈祷して瞑想していると、突然、非常に明るい光が現れて私を光の中にふわふわと乗せて、どこかに進んでいきました。突然、光が消え、雷が鳴り、稲妻が光り始めました。同時に雷の音とともに叫び声、呻吟する声、理解できないわめき声が聞こえてきました。ここは何をする所だろうかと、詳細に見ると、多くの人々がちょうど山崩れが起こったかのように、大きな岩の下に挟まっていました。血だらけになったむごたらしい姿をしたまま、「助けてくれ!」と叫んでいる声を聞いて、びっくり仰天しました。私は、それが地獄だということをたちまち悟りました。光はまさしく神様であられ、神様は、このスウェーデンボルグに地獄を見せてくださり、「あなたが彼らを救いなさい!」と要請なさった、と考えました。無形世界には地獄というものがあるので、人間は罪を犯せばこちらに来ると、お教えになられたのです。しかし、本当に惜しいことに、スウェーデンボルグは、それを悟ることができませんでした。彼らに神様の救いのみ手を伸ばせたにもかかわらず、私は神様を助けることができませんでした。あまりにも心が痛みます。ここにいる講師たちに、いくら感謝しても足らないことでしょう。ここの講師たちは、神様の内部事情を推し量り、そのまま実践する方々です。
神様、申し訳ありませんでした。そして、私は「統一原理」の主人公、文鮮明先生が誰なのかを、よく知っています。講義を聞く瞬間、先生のお顔(竜顔)を拝見しました。あまりにも切なげにされる竜顔を拝見しました。そして、神様の限りない愛を受けていらっしゃる玉体も拝見しました。後れはしましたが、スウェーデンボルグも、神様と文鮮明先生をお助けしようと思います。当時は、霊界に対する体系的な理論がなかったために、霊界の現象を体系的に説明することができませんでした。今、そのような理論的基盤が、私を正しく立たせました。
人類の真の父母様、足らない私も、父母様として侍り、希望をもって「統一原理」を一生懸命に研究するつもりですし、今までの霊的経験を「統一原理」と調和させて、こちらのすべての人々に知らせます。そのために、常に祈祷し、努力いたします。真の父母様、お疲れ様でした。スウェーデンボルグは、人類の父母の教えを固く信じています。お目にかかるその日まで、努力いたします。感謝いたします。
エマヌエル・スウェーデンボルグ(2001年10月3日)
カール・バルト(1886~1968 現代神学者)
伝統神学だけに固執すれば、あなたの霊魂は枯渇するでしょう
カール・バルトは、神様に対して多くの研究をしてきたと思っていました。しかし、今日の今回の『統一原理』は、カール・バルトをとても恥ずかしくさせ、粛然とさせています。そのまま、ただ静かに瞑想に浸りたくなりました。この心情を、どのように文字で表現できるでしょうか!
無窮無尽であられる神様は、どこからどこまでが神様の領域なのか分かりません。全地球、天上天下がみな神様の属性と能力、そして知性の顕現ですが、「統一原理」の真理を聞いてみると、カール・バルトは開いた口がふさがりません。このような真理を明らかにされた文鮮明先生は、再臨の主、救世主であられることを重ねて信じます。このように奥妙な真理がどこに隠されていて、なぜ今、明らかにされたのでしょうか。神様の胸の中に、無窮無尽な天の秘密が込められているという事実を知って、この上なく誘くばかりです。どうすれば神様の背後に隠された事情、神様の胸に隠された事実をみな解明してみることができるでしょうか。私たち人間が神様のすべてを知るということは、大変な驕慢であり、傲慢だと考えます。
しかし、文鮮明先生は、神様の心情をすべて推し量られ、神様の孝子の中の孝子になられました。このような「宝石」が隠された所をどのように知り、それを解明することができたのでしょうか。カール・バルトは、どうしてこんなにも無知だったのでしょうか。人間の限界と無能を悟り、限りなくむなしくなるばかりです。今まで、何をもって神様に仕えたのでしょうか。神学とは、何を教え、何を研究するものでしょうか。「統一原理」に接してみて、「神学」という用語を完全に投げつけたい思いです。神学を通して何を教え、何を学ぶのでしょうか。それを通じては、何も得るものがないように思います。字宙の根本は、人間の頭脳でもっては解決する方法がないようです。ただ虚脱感にとらわれるばかりです!
現代神学は、人間を驕慢と傲慢のるつぼに押し込めるだけです。とても奇妙な隅っこに押し込めています。このような神学的問題は、「統一原理」がなくては解決できないことでしょう。この事実を悟り、カール・バルトは限りなく無能な人であり、意味のない人生を送ったということを認めるようになりました。これは率直な心情です。
今日の神学者の皆さん、あなた方は頭を上げなさい!二つの目を大きく開け、しっかりしてごらんなさい!カール・バルトは、伝統的神学の観念を、みなつかみ投げ、燃やしてしまいたい思いです。胸が詰まります。神学者の皆さん、あなた方の考えを変えてごらんなさい!聖書をどのように見ますか。ある側面では、聖書の奥妙な真理が、あなた方を拘束しているようです。カール・バルトは、きょうこの場で、私自身の仮面を赤裸々にはいでしまおうと思います。あなた方も、それをはいで捨てなさい!みな焼いてしまいなさい!そして、新しい真理を受け入れなさい!神様は私たち人間の父母であり、あなた方は神様の子女たちです。この真理は、あなた方はもちろん、全人類にとっても爆弾的な宣言であり、福音です!成約時代の「統一原理」は、聖書六十六巻を凌駕する素晴らしい福音書であり、爆弾の書です。カール・バルトは、こちらの霊人の姿で「統一原理」と「統一思想」を学びました。
神学者の皆さん、聖書の文字に縛られて生きれば、あなた方の霊魂も共に、そのわなから抜け出せないことでしょう。結局、哀れな霊魂になってしまうことでしょう。あなた方、神学者の皆さんが信じている救援観には、少なからず問題があるように思います。こちら霊界で、それをどうしてみな列挙できるでしょうか。あなた方の救援観とこちらの実相を比較してみれば、到底理解できない部分があまりにも多いことでしょう。
しかし、これが事実であり、こちらの現実です!固栖な信仰のわなから解放されるようにお願いします!セミナーの所感が一種の手紙の形式になってしまいました。カール・バルトの心情は、混乱しています。「統一原理」と「統一思想」を深く学び、精読して研究するようお願いします!そして、神学者の皆さんは、カール・バルトの様々な書籍と「統一原理」を、比較してみるようお願いします!神様は、人類の父母であられます。文鮮明先生は、私たち人類の救世主として来られました!そして、その方は一緒に、人類にとてつもない福音をもって来られました!その新しい福音書、それが正に「統一原理」であり、「統一思想」です!
神学者の皆さん、あなた方は聖書を読み続けながら、無条件に理解しようと努力したではありませんか。旧約時代があり、新約時代があり、そして成約時代があります!成約時代の福音書が「統一原理」であり、「統一思想」です!文鮮明先生は、「神様は人類の父母」であることを明らかにされました!そのお方は、再臨主であり、メシヤであり、全人類の真の父母様であられます!
神学者の皆さん、あなた方の胸に、正義の血がほとばしるでしょうし、あなた方の情熟は、神様の真理で武装されることでしょう!あなた方は、真なる真理の前に卑屈にならないようにお願いします!カール・バルトは、あなた方の胸に新しい福音の爆弾になることでしょう!
再臨の主、文鮮明先生、人類の救世主、真の父母様、感謝いたします!私たち神学者をお救いください!これは、カール・バルトの切実なお願いです!
カール・バルト(2001年10月6日)
マーティン・ルーサー・キング(アメリカの人権牧師)
人種の障壁を撒廃する真理が出現しました
神様は人間をお造りになる時、神様の子女としてお造りになりました。ですから神様は人類の父母です。このような教えは、あまりにも感動的です。そして、黄色人種、白人、黒人など人種差別、教派の葛藤、民主主義と全体主義から外れた兄弟たちの葛藤、国と国の紛争、摩擦などは、神様の本然のみ旨ではないという事実、エデンの園で人間の出発が誤ることによって、偽りの歴史が流れてきたという事実を新しく知り、マーティン・ルーサー・キングはとても感動を受けました。
神様は、偏愛なさるお方ではありません。様々な次元の人種的障壁、教派的障壁は、神様が創造されたのではなく、人間の誤った生の方向によって生じたものでした。マーティン・ルーサー・キングは、「統一原理」の前に本当に感謝します!すべての人間は、神様から共通に賦与された自らの価値基準をもって生きていきます。それは、神様から賦与された特権です。ところが、どこからか、いつからかは分かりませんが、人類歴史に人種差別と教団の葛藤が絶えず流れてきたのです。
しかし、「統一原理」は、すべての人間に共通に与えられた平和思想です。「統一思想」は、人類を統一させられる真理です。これは、人間の力で得られるものではなく、神様から受け取った天の秘密です。このように驚くべき天の秘密を明らかにしたという事実自体、全人類が共に祝賀すべき大事件です!
マーティン・ルーサー・キングは、「統一原理」の出現に対し、限りなく感謝に感謝を重ねます!「統一原理」によれば、自由と平等は、人種と教団、地位の高低に関係なく、誰もが享受すべき特権です。この事実を感じるようになる時、また無限に感謝に感謝を重ねます!また、天の秘密の真理を明らかにされるまでの文鮮明先生の苦難と苦労の前に、また感謝を申し上げます。神様と人間は父子の関係だという事実の前に、無限なる幸福を感じます。
また、「統一原理」は、ある一つの教団に限定された教えではなく、すべての教団を包容することができる教えです。「統一原理」は、人間の内面的・外面的真理をもっているので、すべての宗教者たちはもちろん、全人類が精読するならば、人生の真の案内書になることでしょう。人類が当然、歩いていくべき生活指針書です。「統一原理」の理路整然さに感嘆を禁じ得ません。
人類は平和と解放のために数えきれないほど努力してきましたが、それは、このような真理がなかったがゆえに、いつも水の泡のように消えてしまいました。そのような運動は、群集心理により、起こっては消えてしまったのです。「統一原理」は、人類平和を具現できる真理だと確信します!人類のすべての障壁を取り払い、ただ神様の思想によって統一させ得る、唯一の真理だと考えます。マーティン・ルーサー・キングに機会が与えられるならば、マーティン・ルーサー・キングは、「統一原理」でもって新しい人間革命を起こす自信があります!ここの講師たちは、革命家ではないようですが、心情に波動を起こして人を感動させる、偉大な感化力をもっています。それは、人間の力ではなく、神様の聖霊の力と真理の力がプラスになったものだと考えます。
文鮮明先生、人類に平和をもたらし、偉大な真理を明らかにしてくださって、あまりにも感謝です!また人類の真の親として顕現なさることにより、人類の胸に恨みの積もった人種の障壁を撤廃させられる絶対的基準を見いだすようになったので、無限に感謝いたします!本当に感謝いたします!
人類の真の父母様、人類の救世主、再臨の主、私たちの心を尽くして力強く呼んでみます!私たちは、神様の孝子の中の孝子であられる真の父母を迎えたので、どれほど幸福か、推し量る道がありません。感謝いたします!
マーティン・ルーサー・キング(2001年10月6日)
金大建(1821~1846 カトリックの韓国最初の司祭、殉教者。百三位聖人の中の一人)
主を中心として、新しい文化が韓国で創造されるでしょう
「統一原理」という用語自体が、人間の心をとても純化させています。ここを訪れる道は、黒山の人だかりになっています。「統一原理」を聞きたいと声を張り上げる人々と、聞けないように遮る人々が、互いに交錯して大騒動になっています。ここの大部分の人々は、「統一原理」は、文鮮明先生、再臨の主が明らかにされた新しい福音であり、ここは、人類の真の父母様、救世主を迎えるための教育現場だと言っています。
本当に、金大建は、地上に何も業績を残せなかった者であるにもかかわらず、この場に招聘してくださり、無限に感謝します。ところで、ここには、本当に表現し難い不思議な情感が流れていました。講義の場に入ってくる瞬間、出入り口でまだ講義が始まる前から、どこから現れたのか分かりませんが、きらびやかな光が私をぐるぐる取り巻きます。その瞬間、全身と心は、喜びで満ちあふれ、私は、自らも分からない中で、洸惚の境地に陥っていきました。けれども、あまりにも神秘的なので周囲をよく見ると、これは現実ではなく、霊的体験でした。とても感謝です。ここはどうして、かくも美しく、平穏なのでしょうか。そして、どうして謙虚な人々だけが集まっているのでしょうか!案内の人たちと講師たちは、あまり見かけない俊英な姿と印象をもっています。
講義が始まる瞬間、金大建という身分が自然に明らかになり、私は躊躇なく前に進み出て、講師たちにあいさつを交わすようになりました。私の体は、私のものではなく、どこかに導かれていくかのようでした。これが「霊的体験だな!」と思い、私は本当に神秘的な講義を聞くようになりました。
講師たちの講義の声は、天の声のように一回り響いて私に聞こえてきますが、それはあたかも神様が教えられているかのように聞こえてきました。これは講義ではなく、神様の声を通してそのまま現れた教えです。このような雰囲気の中で、私は、神様の召命を直接感じました。ある程度の時間が過ぎると、私はあたかも、かまどの上に置かれていた素焼きの土器が、お膳の上に安らかに置かれたもののようになりました。私の心も静かになりました。
今から金大建は、「統一原理」に対する所感を話そうと思います。「統一原理」と「統一思想」の講師たちはみな、情熱と精誠と知性によって、私たちを完全に幻惑させるほど素晴らしい講義をしました。けれども、到底理解できない部分があります。これはどうなっているのでしょうか。金大建は天主様(神様)と一生を共にして生きようと決めた時、最も大きな悩みは、一生を一人で生きていけるだろうかという点でした。もちろん周囲の人も、この点に対して疑問がなかったのではありません。その理由は、人間の生理構造は現実的に一人で生きるようになってはいなかったからです。けれども、修道者の道は、生理的なすべての条件を抑制して、ただ神様に侍って生きていく道です。これは修道者の当然の道であり、神聖な生活だと考えていました。
ここで金大建の理論が崩れつつありました。神様の根本的み旨は、人間に下さった祝福を通じて、子女を繁殖して生きていくようになっているのに、なぜこのように独身で生きなければならなかったのでしょうか。このような疑問をもったまま、今、修道者の道理から外れた生活が、どれほどたくさん起きているでしょうか。信仰と現実の二重の偽善的仮面をかぶって、罪人の姿で信仰する人々がどれほど多いでしょうか!そして、これがどれほど矛盾的生活でしょうか!また、これはもう一つの罪悪です。今日、カトリックは、このような問題をどのように解決するのでしょうか。
しかし、文鮮明先生が明らかにされた「統一原理」と「統一思想」は、全人類に希望と喜びを与えていて、また、修道者の生の方向も正しく提示しています。「統一原理」と「統一思想」の教えに従い、真の父母、再臨の主、メシヤに侍り祝福を受ければ、このような悩みがすべて解決することでしょう。今も多くの修道者たちが、信仰と現実を別々に切り離して生活しています。人間の生理構造は、神様の創造目的を実現できるように創造されたので、人間はどうすべきでしょうか。もし「統一原理」の教えに矛盾があるならば、人間の祝福問題も矛盾することになるでしょう。しかし、「統一原理」は、神様が下さった新しい福音であり、啓示なので、真理の矛盾性は、全くないことでしょう。誰もが「統一原理」を一度聞いてごらんなさい。神様が人類の父母であることを、一句一句すべてに感じることでしょう。
文鮮明先生、どうして「統一原理」が私たちの韓国から現れたのでしょうか。それがあまりにも感謝で、有り難いです。金大建の歴史は、取るに足りない悲劇として終わりましたが、文鮮明先生は、国威を宣揚し、韓国の位相を高め、全人類の信仰の母国としてお立てになったので、感慨無量です。「統一原理」は、世界万民の偉大な福音になるだろうと信じます。神様は、私たちの韓国を愛してくださいました。ゆえに再臨の主を、韓国の地に韓国人として送ってくださいました。ですから、韓国の文化が世界に末長く輝くでしょうし、韓国が世界の聖地になるでしょうし、韓国語が世界語になることでしょう。この韓国の地にまかれた金大建の血が、このような摂理歴史に一役買ったようです。
文鮮明先生、人類の真の父母様、多くのカトリックの修道者たちをお救いください。そして、神様を人類の父母として明らかにしてくださったことに、心から感謝いたします。また、とてつもない新しい真理を明らかにされ、人類を身代わりして神様の前に孝の中の孝の基準を立ててくださったことを、無限に感謝申し上げます。
金大建は、この真理の前に無条件に感謝して従います。また、ここに記録できない神秘的な体験と、すべての所感を伝達できないことを、もどかしく思います。しかし、無窮なる真理の道は、勝利の道だと信じ、一日も早く「統一原理」の教えが国教となり、世界万民が一つの道、統一の道を歩んで、神様を父母として侍る方向に前進、発展するだろうと信じます。文鮮明先生を尊敬し、お仕えいたします。
金大建(2001年10月6日)
李龍道(1901~1933 メソジスト教会牧師 復興師)
地上で主を迎えられなかったことを痛哭しています
神様を知り、神様と共に生きながら、そして来たるべき主を待ち、慕い、生きていく人生が李龍道の願いです。そして、私は一点の恥ずかしさもなく、心の幸福を感じながらそのように生きてきました。それが私の人生の全体でした。
しかし、「統一原理」と「統一思想」を知ってみると、私の人生に少なからず問題があることを発見しました。人間の無知は、罪を生み、その罪が芽を出し、多くの実が結ばれてしまいました。罪悪の根を抜いてしまおうとしても、堅く根を下ろしているので、簡単ではないだろうという結論に至るようになりました。どうすればいいでしょうか。どうすれば「統一原理」を、李龍道自身の人生で根こそぎ生活化させられるか、というのが私の大きな関心事です。
「統一原理」と「統一思想」は、とても体系的であり、論理的であり、批判されるに値する部分はほとんどないように思います。前の部分で気になっていたものは、あとの部分でそれを解消してくれます。また、「統一思想」で、様々な次元の宇宙の問題、世界の問題、人生の問題が一様に解決されているので、この真理を聞きさえすれば、誰も反対できないことでしょう。
「統一原理」の理論には、全く問題がありません。けれども、いつも大切に保っていた李龍道の信仰と哲学、神様に対する信仰、イエス様に対する信頼感のようなものが「統一原理」と比肩してみて、非常に外れているという事実を悟るようになりました。私は、この事実の前に、唖然とするしかありませんでした。人類がそのように待ってきた再臨の主は、ほかでもない文鮮明先生であり、神様は人類の父母であり、文鮮明先生は十六歳(数え)の時から、イエス様から使命を引き継がれたということは、衝撃的な宣言です。
それなら私たちも、明らかに、再臨の時に時代的恵沢を受けて当然でした。今、しかも地上人が信じてくれるかどうかも分からないこの事実を、ここ霊界で現実的に生活する人々に、どう理解させることができますか。それを考えれば、胸がとても重く、手に負えません。李龍道も、ここの講師に劣らず、地上生活で再臨の主に侍り働くことができる機会と環境を迎えていたのに、なぜそうできなかったのか、なぜ時代的な恵沢を受けられなかったのか、私はとても惜しい心情を吐露せざるを得ません。
私、李龍道は、ここで「統一原理」と「統一思想」を批判する考えは毛頭ありません。「統一原理」と「統一思想」は、全世界人類の偉大な福音です。そして、「統一原理」はイスラエルではない韓国から出現し、再臨の主も純粋な韓国人だという事実に、一人の韓国人として無限の自負心を感じます。韓国の祖国領土が人類の中心国になるのに、何の不満があるでしょうか。それにもかかわらず、李龍道の過去の人生を回顧してみると、それはあまりにもしゃくに障り、もどかしく、無念この上ありません。ここ霊界でだけでも、メシャが韓国人であることを誇り、韓国で誕生したということをすごく誇り、旗をひらめかせたい思いです。しかし、地上で再臨の主を迎えられなかった点については、本当にとてもしゃくに障り、自尊心に泥を塗ったようです。
神様!李龍道の堕落の根性が、今、ふつふつと沸いています。同じ韓国民族として講義する講師たちと李龍道を比較してみると、李龍道のみすぼらしい姿が、あまりにも明確に現れます。しかし、無駄な劣等意識を捨てなければなりません。消さなければなりません。堕落の根性に引かれていく李龍道のみすぼらしい姿から、抜け出さなければなりません。今、李龍道の心で激烈な戦争が起きています。しかし、新しい真理を受け入れ、このような葛藤から抜け出そうと努力いたします。
文鮮明先生!李龍道に機会を下さい。本当に切ないです。本当に無念です。同時性の時代の説明を聞きながら、狂いそうでした。李龍道にも、主に侍る機会を下さい。李龍道もやれます。何でもやらせてくださりさえすれば、やることができます。今からでも、文鮮明先生を主として信じて従いながら、悔い改め、祈祷し、神様と主のみ旨を現実化させるために最善の努力を傾注いたします。
文鮮明先生!主よ!人類の真の父母様!あまりにもとてつもない御尊名をあえて呼んでみますが、李龍道のこちらの生に新しい機会を下さい。先生!本当にお疲れ様でした。人類の真の父母様として、再臨のメシャとして、人類の前に勝利なさった真の父母様となってください!
李龍道(2001年10月7日)
仏教代表十二人
目腱連(もくけんれん 十大弟子の一人、神通第一)
神様と人類が父子の関係にありながらも、なぜ今まで仏者たちは神様を知ることが
できなかったのでしょうか
私、目健連は、率直に言うと、釈迦の弟子として威信と体面を保ちたいと思いました。しかし、本当に息の詰まるような事情を、どうすればよいのでしょうか。今、私たちは、お釈迦様に侍って「統一原理」を聴講しています。地上人や天上人にとって、これは大変驚くべき事実でしょう。「統一原理」が新しい真理なので、関心と興味をもち、一度聴講してみるということではありません。
この道は、お釈迦様が長期間にわたって悩まれた道であり、私たちにお話しになることもできず、悩みに悩まれたのちに、私たちをこの場に導かれたのです。お釈迦様は、「統一原理」をあらかじめ検討し、御自身が行かなければならない道だということを確定され、私たちを導かれたので、私たちが行くべき道も既に定まったのです。お釈迦様の十大弟子として、お釈迦様から離れることができない立場だからです。
しかし、目健連は、はっきりと覚悟したものがありました。今まで、お釈迦様の行かれた道を信じて侍ってきたように、今後もずっとそのようにしていくでしょう。「統一原理」に接した目健連は、行くべき方向性に対して意見をもちません。しかし、過ぎし日、私たち仏者が修行した道が、このように一瞬のうちに崩れるものでしょうか。それに対して、とても虚脱感を感じています。
天地万物を創造された造物主の願いが、はっきりとありました。そして、人間をはじめとする全被造物の主人は、正に神様であられ、そのお方は、人類の父母であられました。そうだとすれば、私たち人間は、神様の前に子女となります。ところが、神様と人間とが父子の関係なのに、どうしてこうであり得るのかというのです。父母がすることを子女が知り、子女がすることを父母が知らなければならないのではありませんか。いつ、どこにいようと、父母と子女は、その事情をお互いに知っていなければならないのです。その時に初めて、血筋を分け合った父子の関係が成立するのではないでしょうか!
ところが、目健連には理解できないことがあります。それは、父母は、高い山で子女が帰ってくるのを首を長くして待っていらっしゃるのに、子女は、それを知らずに海辺で魚釣りをしている、そのような場合に比喩することができると思います。海でしか暮らしたことがないのに、どうして山のことを知り得るでしょうか。子女は、山鳥と山の風の動きも知らず、登山と下山の方法もよく知らないのです。このように、これまで私、目健連がお釈迦様に侍って生きてきた方法と、神様に侍る基準と方法では、相当な差があるのです。私は、非常に混乱し、当惑しています。
神様と人類が父子の関係にありながらも、なぜ今まで、お釈迦様をはじめとする私たち弟子は、神様を知ることができず、神様は、私たち仏者に顔を背けてこられたのでしょうか。事実、私たち仏者は、捨てられた気分を振り払うことができません。私たちが歩んできた険しい苦行は、本当に真実であり、純粋な生活でした。それにもかかわらず、私たち仏者は、人類の父母がいたということ、また、いたならば、どうしてその父母の事情を知ることができなかったのでしょうか。私たち仏者は、神様の前に意味のない子女なのでしょうか。
しかし、この道は、お釈迦様が覚悟して出発された道なので、私たち仏者も共に行かなければならない道です。しかし、私の心はとてもゆううつです。表現し得ない心の苦痛が伴います。過ぎし日、私たち仏者において、肉体の苦行は平静な心が守ってくれましたが、今は、その心の苦痛を克服するすべがありません。仏者たちの難しい苦行は、神様の前に何の意味もないものなのでしょうか。それで、お釈迦様が「統一原理」を知り、そのように悩まれたのでしょうか。今、私も、お釈迦様の心を、ある程度理解できるような気がします。
文鮮明先生、私、目健連は、とても苦しんでいます。私がお釈迦様の十大弟子の一人として永遠に残るために、「統一原理」の道に従わなければならないという当為性は認めますが、「統一原理」は私たちに、あまりにも過酷な刑罰を下したようです。これは、私の率直な表現です。時がたてば、このような心は整理されるでしょう。そして、「統一原理」が永遠の真理ならば、過ぎし日の苦行の道よりもっと大きな苦痛が伴ったとしても、どうしてこの道に顔を背けることができるでしょうか。文鮮明先生は、人類の真の父母様の位置に就かれたので、私たち十大弟子と、これまで険山峻嶺を越えてきた仏者たちの道に、新しい栄光の光を与えてください。
目健連(2002年2月10日)
迦策(かしょう 十大弟子の一人、教団の上首弟子
私たちはみな、互いに協力し、積極的に布教活動に出ていくことを決断しました
人間の出生以前に、既に人生の根本真理が存在していたのですが、私、迦葉は、時代的恩恵を受けずに生まれたがゆえに、その真理に接することができなかったようです。それが本当に悔しくて仕方がありません。お釈迦様も私たち十大弟子も、本当に哀れです。しかし、これまでの仏者たちの修道生活が、神様の前にいかなる功績にもならなかったとしても、仏者たちの生活自体は、真理に向かった、とても崇高なものだったと思います。ひたすら真の人生のために、あらゆる苦痛も受け入れ、克服してきたのです。
人生自体に関する限り、人間は、人間の先祖の時から、神様と反対の立場に立っていたのではありませんか。しかし、誰がその事実を知っていたでしょうか。たとえ仏者たちの修行が、神様の前にいかなる業績にも功績にもならなかったとしても、人間の人生自体に対する真実を探し出すための修行だったので、私たちは十大弟子として残されたのであり、それによって、今日、「統一原理」に接する機会をもつことができたのではないでしょうか。このような側面から見るとき、私たち仏者の修行は、決してむなしいだけのものではなかったと、言えるのではないでしょうか。この場には、誰でも来ることができるのではなく、誰もが「統一原理」の講義を聴講することができるわけでもありません。特別に招待を受けた人物だけが、この場に参加したのです。このような時間のために、数多くの人々が祈祷し、精誠を尽くしていることでしょう。このように高貴な場に、私たち仏者が招待を受けたので、感謝しながら「統一原理」を受け入れなければなりません。
私たち十大弟子はみな、憔悴した姿をしたまま、とても緊張した状態で「統一原理」の教育を受けました。しかし、お釈迦様が、丁重な姿勢で私たち弟子を慰撫してくださいました。行こう!これがお釈迦様の行かれる道であり、人類が行くべき宿命の道であるならば、感謝しながら従っていかなければなりません。「統一原理」の「統一」という文字が、本当に過酷な恐ろしいものとして感じられました。統一には、「主管される」ではなく、「従える」という意味があるからです。過ぎし日の骨を削る私たちの修行は、ここでの生活の土台として、私たちは、多くの仏者を新しい道に導かなければなりません。
製作物に肥料を与えればよく育つように、迦葉の人生に有益な滋養分が与えられたので、今、私、迦葉は、神様を父母として侍り、文鮮明先生が明らかにされた真理の道へ強く進んでいこうと思います。お釈迦様の生涯が無駄ではなかったということを確信しながら、私たち十大弟子はみな、お互いに協力して、今後、布教活動に積極的に出ていくことを決断しました。私たちには、嘆いたり、放心したりする時間的余裕がありません。迦葉は、再び立ち上がりました。神様、文鮮明先生、私たちの痛みを収拾してくださり、受け入れてください。
迦葉(2002年2月10日)
須菩提(しゅぼだい 十大弟子の一人、あらゆる法がむなしい道理だということを最初に悟る)
人生の生老病死の問題は、人間の力で解決されるものではありませんでした
天地万物の調和が人間の力で成されるものではない、ということを悟ってから既にかなりたちましたが、「統一原理」にこのように途方もない真理が内在しているとは、本当に想像することができませんでした。どうして歴史の出発が、このように誤ったのでしょうか。お釈迦様も十大弟子も、みな無念で悔しく、その惨めな心情は到底表現することができません。しかし、神様の事情のほうが、もっと無念で惨めであり、怒りで張り裂けるようなものだったのです。もちろん、そのような摂理的過程は過去のことだとしても、数千年の間、人類歴史の主人が反対になっていたとは、あたかもそれは、ある作家が作り上げた歴史的物語のようでした。しかし、これは、歴史的現実でした。
ある日、お釈迦様は私たちに、静かに次のように語られました。「人生の生老病死の問題は、人間の力で解決されるものでありませんでした。生まれて、老いて、病んで、死に至るまで、私たちを常に見守り、保護してくださる一人のお方がいらっしゃいました。私たち仏者は、そのお方に出会わなければなりません。そのお方は、釈迦が解決し得ないすべての問題を解決してくださいました。多くの仏者が、謙遜な心で受け入れてくれることを望みます」。
その後、何日過ぎても、お釈迦様は特別な指示を下さいませんでしたが、今、その日が近づいてきました。そのお方とは、どなたなのでしょうか。どこにいらっしゃるのでしょうか。いくら調べてみても、見ることも、出会うこともできないお方であられました。「統一原理」は私たちに、あまりにも多くの内容を悟らせてくれました。文鮮明先生は、お釈迦様よりもっと多くの修行をされたのでしょうか。どれほど、途方もないことを経綸されたのでしょうか。お釈迦様も、人間の根本的苦悩を解決なさるために、死の峠道を数えきれないほど越えられましたが、それは、神様と文鮮明先生の経綸とは比較することができません。
お釈迦様、心を痛めないでください。須菩提は、すべてのものを整理して、新しい出発をします。私は心に決めました。どうして人が、数限りない福をすべて享受することができるでしょうか。私がその時代に生まれたことが私の意志でない以上は、水に従い、風に従って生きてきた人生の道なので、今、この場で、すべてのものを謙遜に受け入れます。
神様が、私たち仏者を愛されて呼んでくださったので、感謝いたします。文鮮明先生、真の父母様!お釈迦様!弟子の威信を立てながら従っていきます。過ぎし歳月のすべてのことを、寛大に配慮してくださり、私たち仏者の未来の道を導いてください。
須菩提(2002年2月11日)
羅喉羅(らごら 釈迦の息子であり、十大弟子の一人、密行第一)
肉身の父母のための子女の道とは何なのでしょうか
世の中に生まれてみると、釈迦の子でした。それは羅喉羅個人の意思ではなく、私には選択の余地がないことでした。私の家庭は、幸福ではありませんでした。父親の顔は見ることさえ難しく、母親の顔は常に涙にぬれ、試練の中に沈んだ姿をしていらっしゃいました。これが、私の家庭の雰囲気でした。私は、分別がつくと同時に、世の中を見る視角が変わりました。父親の立場と母親の立場を理解できるようになりました。
そして、家庭から解放されてみたいと思いました。どの家庭を調べてみても、夫婦間や父子間や兄弟間の幸福は、見つけられませんでした。なぜ家庭の姿がそうなのか、そしてその問題をどのようにして解決しなければならないのか、私には知るすべが全くありませんでした。私の家庭も、ほかの家庭のように、家庭の平和が壊れてこなごなになってしまいました。華やかな衣装はもちろん、華やかな食卓や宮廷も、私には何の関係もありませんでした。人生というものが何なのか、悩み、深い苦悩に陥り始めました。
これが、私が父親に従うようになった動機でした。「統一原理」を聴講したのち、私は、胸の張り裂けるような痛みに、耐えることができませんでした。第一に、私の父親の苦労と、母親の哀れさを克服するのは、難しいことでした。このような惨めな姿が、私を非常に困らせていました。私の父親は、あらゆる苦行を、すべて経験されたお方です。生涯、過酷な肉体的拷問を自らに課して生活されました。それを通して、無我の境地に至ったのです。それが容易なことだったでしょうか!人間の生老病死を解決するために、私の父親がこのような生涯を生きたのだとすれば、今はどうなのでしょうか。当時の時代的な状況に伴う問いが、私の家庭をばらばらにして投げ捨ててしまいました。当時のその痛みは、文字をもってしては少しも表現することができません。いかなる表現も、その状況を比喩することができません。
今、「統一原理」を知ってみると、神様は、私の家庭の和睦を願われたことでしょう。文鮮明先生が明らかにされた「統一原理」によれば、人間は、誰もが家庭的四位基台をつくって天国理想を成し、神様と永遠に暮らすということです。これが、神様の願いであり、人間の祝福の前提です。今、私は、どの位置に立たなければならないのでしょうか。「統一原理」の偉大性を、私は認めます。ですから、私は、様々な側面において、複雑で苦しいのです。私の父親は、既に随分前に「統一原理」を悟り、人生の方向を転換されました。しかし、私はどこに立たなければならず、私の母親はどこに立たなければならないのでしょうか。このように不思議な悲喜劇が、私の家庭を固く締めつけています。
神様、文鮮明先生、人類の縦的父母様、横的父母様、私の家庭の問題をどのように解決してくださるのですか。私、羅喉羅は、「統一原理」のすべてのものを信じます。たとえこの道を行かなければならないと、はっきりと悟ったとしても、肉身の父母のための子女の道とは何なのでしょうか。このような立場から、天国理想を成し得る道はないのでしょうか。
神様、文鮮明先生、私、羅喉羅の人生も収拾してくださり、新しい道に導いてください。懇切にお願い申し上げます。
羅喉羅(2002年2月12日)
馬嗚(めみょう 大乗仏教の始祖)
今や「統一原理」が出現しました。悪魔の舞踏会は終わるでしょう
仏教の経典は、人生の全般問題を大変幅広く扱っていると思い、それを中心として一生を送ったことに、常に感謝して生きてきました。しかし、「統一原理」に接し、私、馬嗚は、あまりにも無念な思いになりました。自らの生涯に対して、このように後悔を感じたことはありませんでした。数多くの仏者の一人として、自分なりに自尊心を感じながら生きてきました。そして、常に感謝して暮らしました。
しかし、このように途方もない真理があったという事実に、心の葛藤を抑えることができません。天の秘密を明らかにする時が、この時代なのでしょうか。以前に生まれた数多くの人間は、いかなる教えを中心として生きることを神様は願われたのでしょうか。悠久の人類歴史が流れてきたのですが、なぜこれまで神様は、それを明らかにできなかったのでしょうか。「統一原理」の復帰摂理において、同時性時代を明らかにしていますが、それは、神様の数多くの恨がしみ込んだ歴史です。このような神様の前に、人類は、何の対策もなく悠久の歳月を送ってきたのであり、人類歴史を通して、人類は、悪魔の舞踏場でその引き立て役となってきたのです。人類歴史のストーリーが、このように悲惨だったということを初めて悟りました。
ここは、様々な教団の代表者が集まった所です。キリスト教徒、儒教徒たちは、既に所感の発表が終わり、今回は仏教徒たちの順番のようです。多くの宗教の代表者が「統一原理」を中心として一つになるならば、人類は、一つにまとまることができるのでしょうか。そのようになれば、悪魔の世の中は終わるのでしょうか。そうだとしても、多くの時間が必要でしょう。
文鮮明先生は、人類の真の父母様として顕現され、「統一原理」を人類に宣布されたので、全人類は、今や一つの新しい真理に従って生きていかなければならないと思います。しかし、それぞれの信者が今までもっていた教えを捨てるのに、多くの時間が費やされるでしょう。私、馬嗚も、過ぎし日の仏教を中心とした生涯は非常に無念ですが、今は、新しく従っていかなければならない方向をつかみました。
神様、一日も早く、過ぎし歳月を整理することができるように助けてください。真の父母様の用語自体が、非常になじみの薄いものであり、不慣れですが、真の父母様に侍って従っていきます。協助してください。
馬嗚(2002年2月13日)
竺法護(じくほうご 三十六カ国語に精通、数多くの西域語経典を中国にもっていき、翻訳に従事)
今はもう、人類は、いかなる伝統的経典も見る必要がありません
私、竺法護は、「統一原理」を聞いて大変驚きました。生涯、様々な経典に関心をおきながら、それを自分なりに研究することに一生を送ったというほど、精誠を傾けました。「統一原理」は、いかなる伝統的経典も比較し得ないくらい偉大です。素晴らしい経典です。「統一原理」以上に偉大な経典は、いくら探してもないでしょう。人間の力では、このように組織的、体系的に明らかにすることはできないと思います。
「統一原理」が神様の啓示であることは間違いありません。それは、人類歴史の出発から人間の来世に至るまで、あらゆる分野をはっきりと糾明しています。論理展開においても、組織的であり、体系化されているので、信仰者でない一般人が精読しても、その価値を理解することができるでしょう。特に私たち仏者は、その経典を精読し、自らのものとして受け入れなければなりません。
もちろん、私、竺法護は、「統一原理」のすべての内容に満足しているわけではありません。「統一原理」において、人間よりも邪鬼が先立って人類歴史を支配したということは、非常に奇怪で、想像のつかない話に聞こえ、前後に理論的矛盾があるような気がします。しかし、それは、まだ私が「統一原理」の内容を完全に理解できていないからだと思い、それを認めることにしました。そして、「統一原理」の教育を通してはっきりと悟ったことは、人間の二重構造に対する解明でした。
人間は、自分がどこに向かっているのかを知らずに生きています。大部分の人間は、自分の方向性と目的地を知らずに生きています。そのまま地上で一生懸命に生きたのちに死んでみると、来世があるということを知るようになります。今まで、このことに理論的根拠をもってはっきりと答え、教えてくれた人はいないでしょう。すべての人が漠然とした推測をもって、その世界が「あるだろう」、そして極楽世界に行けば「良いだろう」と考えて生きているのです。これが、私たち人間の人生でした。しかし「統一原理」は、来世問題を、人間の二重構造によってはっきりと説明しています。私たち人間の地上での生活は、少しの間かすめていくようなものです。私たちの来世の生活が重要であるがゆえに、地上での生活が重要なのです。
私がここ、すなわち天上に来てみると、ここでの生活は、地上と似通っているという点にとても驚きました。地上生活よりもっと美しい世界、すなわち極楽世界が私たち仏者の前に、希望の場所として残されています。私は、極楽世界に対して多くのことを考えてきました。人間ならば、誰もが例外なくこの天上に来るようになっています。ここは、全人類の最後の定着地です。全人類は、ここで永遠に生きていきます。しかし、ここでは、地上のように物質をもって暮らすのではなく、あちらこちらに思いのままに引っ越すことができるのでもありません。地上生活の功績によって、ここにおける自らの永遠の居場所が決定するのです。
私は、「統一原理」のすべての内面的部分に対して、感嘆と驚異を禁じ得ません。この天上でも悟れなかった事実が、あまりにもたくさんありました。「統一原理」を聞いて、初めてそれを悟るようになりました。文鮮明先生は、奇跡的なことを成し遂げられました。人類に真の救援の道を開いてくださいました。そして、神様を父母として侍って生きていく根本も、教えてくださいました。
多くの仏者よ、すべての天上人はもちろん、すべての地上人は「統一原理」を聞きなさい。「統一原理」は、皆さんの永遠の経典になるでしょう。私は「万歳、万万歳」を叫びたい思いです。今や、私たち人類は、いかなる伝統的経典も見る必要がないでしょう。人生と宇宙の根本道理を悟ったので、その道に従って一生懸命に生きていけばよいのです。数多くの仏者が、私、竺法護を「狂った者だ」と言って後ろ指を指したとしても、私はそれに関与することなく、「統一原理」の教えに従っていくでしょう。ありがとうございます。
竺法護(2002年2月13日)
菩提達磨(ぼだいだるま 中国禅宗の始祖)
私は神様と文鮮明先生が誰なのかということを知りました
地上で生きる時、仏教の経典を通して人生の価値生活を発見し、他の様々な経典を通して人生の味を見つけることにも深い関心をもちました。しかし、「統一原理」で明らかにした人間の根本道理は、伝統的経典のものとは、あまりにも大きな違いがあるということを発見しました。「統一原理」は、人間の頭脳によっては到底明らかにし得ない、途方もない内容が含まれています。「統一原理」は、人間の根本道理をとても具体的、かつ詳細に明らかにしています。どこからどこまでが仏者たちの該当事項でしょうか。いくら考えてみても、「統一原理」は、ある一部の教団の教えではありません。全人類が当然知らなければならない、とても偉大な真理だと思います。
もう少し早く「統一原理」に接することができていればという寂しさを、誰もがもっています。しかし、後悔や未練はもちません。これ以上、欲を出さないように決めました。今の現実を、十分に受け入れよう。私、達磨は、今のところ、いかなる対策ももっていません。何の予告もなく新しい真理に出会ったので、心を整理して、新しい真理の方向に従って生きていきます。はっきりしていることは、神様と文鮮明先生が誰なのかを知ったということです。来世問題も、はっきりと記憶しています。今後、私、達磨がどのようにすべきかという結論は、既に下されたのです。
菩提達磨(2002年2月13日)
康僧会(こうそうえ 中国の呉の国に渡っていき、仏教を隆盛させる)
「統一原理」に改宗します
仏教の経典にも、正しい人生のための様々な次元の教えがあります。私、康僧会は、その経典からとても多くのことを得たのであり、生涯、それに満足して生きました。しかし、今「統一原理」を聞いてみると、私にはどうすることもできない限界があったという事実を発見しました。神様の啓示によって明らかにされた「統一原理」は、あまりにも偉大であり、膨大です。仏教の経典は、限りなく部分的なことだけを扱っていました。それは、「統一原理」を聞いてみたことがない仏者たちにとっては、非常に自尊心の傷つくことですが、真理性から見たとき、どうすることもできません。「統一原理」は、人生の出発と終着地、来世観、造物主の創造目的等、すべてのことをことごとく明らかにしています。それは、あまりにも偉大であり、膨大です。
私、康僧会は、仏者に懇切に伝えたいと思います。大部分の仏者は、難しい苦行を克服しながら真の真理に至っています。しかし、今や、難しい苦行より、もっと早い道があります。それを私たち仏者は、全く知らずにいます。一日も早く、真の父母様に侍って生きてください。それが孝子の道であり、忠臣、聖人、町予の道に至る、最も早い道だと思います。私はもちろん、数多くの仏者も、自尊心があり、我執があるでしょう。しかし、それらは「統一原理」において、全く意味がありません。
私、康僧会は、「すべての仏者は苦労の道から解放されましょう」と懇切に叫びたいと思います。私たち仏者が、ひざがすり減るほどに千拝、万拝敬拝したとしても、皆さんの真の父母様に顔を背ければ、不孝者となります。私たちがみな、この点を深く肝に銘じることを、懇切に希望します。
神様!真の父母様!文鮮明先生!私は、深いみ旨を知りました。すべてのことを一日も早く整理し、新しく出発しようと思いますので、私の「統一原理」への改宗を深く推し量ってください。そして、数多くの仏者の道を開いてください。
康僧会(2002年2月15日)
弥勒(みろく マイトレーヤ)(インド、瑠伽行の始祖)
「統一原理」の来世観に深く感動し、敬服しました
多くの宗教人が「統一原理」を聞き、人生の正しい道に進むことを決意したようです。「統一原理」は、偉大な経典になると思います。自尊心が深く、自らの主張だけにしがみついている方々は、顔を真っ赤にし、しかめ面をしています。そのような姿をして座っている方々が、あちらこちらに見えます。
弥勒は、「統一原理」の来世観に、深く感動し、敬服しました。人間の二重構造を説明しながら、それを理路整然と解き明かしました。弥勒も共感しましたが、大部分の仏者もそれに共感したと思います。漠然としながらも、極楽世界を期待し、望み、ありとあらゆる苦難の道、険山峻嶺を越えに越えて、一筋の道を歩んできた私たち仏者が、なぜ極楽世界に行けなかったのでしょうか。
仏者達よ、私、弥勒をののしろうと、石を投げつけようと構いません。「統一原理」を聞いてみると、私たち仏者の歩んできた道には問題があったと思います。それが何なのかを探し求めてください。私、弥勒が、この天上で「統一原理」に夢中になれば、皆さんは私を、どのようにされるでしょうか。正しい道でなければ、行ってはなりません。正しい道ならば、いくら険しい渓谷であろうと、必ず行かなければなりません。神様と文鮮明先生の根本の教えを悟るようになりました。仏者たちよ、最後まで「統一原理」を聞いてください。そして、心を空にしてください。
弥勒(2002年2月16日)
玄奘(げんじょう 唐の時代の僧侶。『大唐西域記』を著述)
「統一原理」は、新しい歴史観、宇宙観、人生観をはっきりと提示しています
無知の中でさまよっていた玄奘は、「統一原理」を悟り、新しい力を得るようになりました。長い歳月にわたり、人生の真の意味を探し出すために少なからざる努力を傾けてきましたが、はっきりと探し出すことができませんでした。成約時代に至って、初めて「統一原理」が出現したのです。同時性時代の摂理を見るとき、とても切ないことですが、私たち仏者の時代には、「統一原理」の出現を期待することはできなかったのです。ですから、仏者たちの修行方法が誤るしかなかったのでしょう。
これまで、仏者が生きてきた修行生活は、その威信と体面を考慮してみるとき、とても恥ずかしいものであることは事実です。私たち仏者は、仏者自身の中に埋もれ、自らの穴蔵を掘って、その中で縮こまって生きていたようです。今、そこから抜け出したいと思います。率直に言って、私たち仏者の姿は、地上でも天上でも、変わったものがほとんどありません。しかし、「統一原理」は、新しい歴史観、宇宙観、人生観をはっきりと提示しています。神様の存在に対することを考えると、本当に憤りで張り裂ける思いです。
神様は、私たち人類の父母です。私たち仏者は、死を超越する苦行をしても神様に出会うことができませんでした。なぜそうだったのでしょうか。文鮮明先生は、「統一原理」を探し出されるまで、数多くの摂理的段階において勝利されました。「統一原理」は天の秘密だ、という表現が最も適しています。「統一原理」は、誰もが歩んでいかなければならない人生の公式です。私、玄奘には、言い表し得ない事情が少なからずあります。しかし、それは大部分の仏者に該当する無念な事情なので、省略します。そして、主催側にお願いしようと思います。私、玄奘が、仏者たちの中で異端者とならないように、道を開いてくださるように懇切にお願いしたいと思います。
玄奘(2002年2月25日)
智顗(ちぎ 隋の時代の僧侶、天台宗の開祖)
祝福を受けて極楽世界で生きようと思います
私、智顗は、「統一原理」を悟ってみて、今すぐに祝福を受けたいという衝動を感じています。祝福を受けてこそ、極楽世界に行けるからです。「統一原理」の天国理想郷は、あまりにも神聖で美しいものでした。私、智顗は生涯純潔を守ってきたので、祝福資格の対象になると思います。これまで、仏教の各種の書籍も読み、難しい苦行の道も数限りなく反復しながら生きてきました。それにもかかわらず、私の修行の結果が残っていません。しかし、どうすることもできません。私は、ためらうことなく、「統一原理」を中心として新しい出発をしていきます。決して苦行から解放されるためではありません。「統一原理」で明らかにされた内容に、あまりにも妥当性があり、それは私たち人間の行くべき正しい真理だと、固く信じるからです。
これまで、私は、多くのことを考えながら苦行の道を歩んできましたが、「統一原理」のような教えには接することができませんでした。今までの修行は、肉身を鍛錬する過程であり、私自身の修養でした。その土台の上で新しい真理に接したので、正しく生きなければなりません。とてつもない「統一原理」に、感謝するばかりです。そして、人類の真の父母として顕現された文鮮明先生の示に従いながら、神様を父母として侍り、人間の道理を全うしていきます。私、智顗は、神様と真の父母様の教えに絶対従順するでしょう。そして、「統一原理」の教えが私自身のものとなるように全力を尽くしていきます。
智顗(2002年3月1日)
異次頓(イチャドン 僧伯が真の父母様に捧げる文
天上天下の真の父母様に捧げます
真の父母様、私は異次頓です。真の父母様、真の父母様、真の父母様!ただお名前だけ呼んでも光栄です。「文鮮明先生、私たちの真の父母様、万歳、万万歳!」と叫んで歩き回りたい心境です。ここに、数多くの仏教徒が集まっています。これまで、人知れず様々な苦行の道において勝利し、人々が歩み得なかった道の境地まで体験した方々ですが、自尊心と我執に満ちています。ここで、真の父母様に一つ申し上げたいことがあります。ここにいる多くの高僧をはじめとする仏教徒たちは、修行一筋の道を歩みながら、数多くの死の境地においても、人生の真の意味を探し出すために苦労された方々です。彼らに、真の父母様の寛容と配慮の恩恵を施してくださることはできないでしょうか?
ある日、釈尊がここに姿を現されました。御自身が釈尊だということを明らかにされないまま、静かに真の父母様の尊影の前に敬拝を捧げ、込み上げてくる涙を抑えながら、「私たち仏者をお許しになってくださり、子女としてお受けください」と祈祷され、再び沈黙されたのち、静かに出ていかれました。しかし、そのお方を知っている者は、極めて少数にすぎませんでした。李相軒先生が、「今、来られたお方がどなたか、皆さんは御存じですか」とおっしゃったのち、「そのお方がまさしく釈尊であられます」と明かされると、あちらこちらで嗚咽し、ざわざわする声が聞こえてきました。
この時から、高僧たちの態度が変わり始めました。真の父母様、私、異次頓は約束します。私は、地上において国のために生命を捧げましたが、今、神様と真の父母様、そして世界人類の平和のために、私の霊魂をお捧げします。すべての仏教徒の前に先駆者となります。不足ではありますが、小子の懇請を受けてくださり、小子の行く道を祝福してください。
私たち仏者はみな、「統一原理」の道を知っていながらも、不安な心を共通にもっています。私たち仏者が、神様のみ旨とあまりにも遠い距離のある所で生きてきたからであり、神様がいらっしゃる園に入っていける何の条件もないからでございます。
真の父母様、人類歴史に永遠に輝く世界的経典、「統一原理」を下さったことに心から感謝申し上げます。私、異次頓は原理講師ではありませんが、「統一原理」を武装して、仏教徒の救援のために、不死鳥の心情をもって先駆者となりますので、真のお父様安心して千寿万寿玉体無彊であられますように。小子、異次頓が捧げます。
異次頓(2002年3月11日)
儒教代表十二人
冉伯牛(ゼンハクギュウ 紀元前544~ 魯の国の人。徳行に秀でる)
孔子様は、「新しい理論と真理の前に卑屈であってはならない」と、絶えず私たちに教えてくださいました!そして、「統一原理」という理論に対する講義も、何度もしてくださいました。ところで、儒教全体のグループを集められ、講義を受ける経験は初めてのことでした。その理論は聞き慣れず、とても難しいものです。それで、私、冉伯牛は講義を何度も反復して受けるようになりました。ここにおいて儒教人たち、特に冉伯牛が、講義されるすべての講師たちの情熱的な講義と併せて最も驚いた事実は、神様が私たち人類の父母であるということ、そして私たちに講義されるすべての理論は、地上にいらっしゃる文鮮明先生が神様から受けた啓示だったということです!
孔子様のお話によれば、文鮮明先生は、今現在、地上にいらっしゃりながら、全人類の平和と、戦争がなく、貧困がない世の中をつくるために、一生懸命「ため」に生きる生活をされていらっしゃるということです!人類が地上の文鮮明先生の思想と理論に従って生きていけば、神様、偉大な神様が私たちの生命を導かれ、それにして責任をもたれるということです!
また、今まで孔子様から受けてきたすべての教育内容、礼節と道徳と人格教育は、私たちが肉体をもって生きていく時に必要なものですが、永遠の住みかである天国において必要な教育は、「統一原理」を学び、神様の啓示によって文鮮明先生が明らかにされた真理に従って生きなければならないと教えてくださいました!
冉伯牛は、勉強も不足し、様々な知性が不足していますが、これまで孔子様から学び、教えを受けてきた理論も、人間として当然知っておくべき事実が多くありました。このことについては感謝を禁じ得ません!しかし、孔子様は、先に「統一原理」を勉強され、この新しい真理の世界についても、次元の高いみ言を下さったので、私たちは、孔子様が行く道が正しいならば、それに従順に従っていくつもりです!そして、文鮮明先生の理論について、まだ深くは分かりませんが、孔子様が導かれるので信じていきます!
そして、文鮮明先生は、万人類の父母であられるので、信じて従っていれば、難しい原理もすべて悟るようになることでしょう!冉伯牛は、孔子様を尊敬し、従ってきました。それゆえに、孔子様の行かれる道であれば、冉伯牛も行きます!
冉伯牛(2001年10月7日)
子路(しろ 本名:仲由ちゅうゆう、紀元前542~480 魯の国の宰相と衛の国の高官を務める)
孔子様の道と子路の道は異なりません
孔子様は、温柔と謙遜と礼節を教えられ、人生を生きていく基本的な倫理に誰よりも縛られて生きてこられた方ですが、常々「新しい真理がある」と言われ、私たちにそのことについて時折、教えてくださっていました!
きょう、その日が来たようです。私たちに「すべて集まりなさい」と言われ、「新しい真理の前に謙遜になって、受け入れなさい!この真理は、師の道であり、生命の道であり、渾身の力を傾けて従わなければならない道です」と話され、セミナーの場に私たちを案内されました。「人類にとって神様は父母であられる」「文鮮明先生は再臨主であられる」「文鮮明先生は人類の真の父母様であられる」「文鮮明先生は私たち人間を救うために来られた救世主であられる」など、あちこちに貼り付けられている文句は、私たちには聞き慣れないものでした。
講義が始まり、講義の一節一節ごとが、儒教人たちには聞き慣れない理論であり、内容でした。しかし、孔子様は、誰よりも先に「統一原理」に精通したと言われながら、「人間ならば誰もがみな通過しなければならない道である」と諭してくださいました。今までなじんできたお話に比べると、ここの理論は、儒教人たちにはとても難しいものです。しかし、「統一原理」は、総じてその論理展開がしっかりしています。
私たちは、昔から今に至るまで、孔子様を尊敬し、孔子様の願いと思想の前に多く染まって生きてきました。そしてまた、孔子様は、「統一原理」という新しい真理の前でも、それを謙遜に受け入れられました!師のその姿に、子路も感動しました。私が尊敬してきた師、孔子様が謙遜な姿勢で受けていらっしゃるのに、子路の道がほかにあるでしょうか。
文鮮明先生がなされること、行かれる道を、私たちも、私たちの師、孔子様と共に行きます。その道が人類平和の近道であるならば、そのとおりにします!「統一原理」はまだ難しく、なじみません。しかし、勉強して修めようと思います。ありがとうございました!
子路(2001年10月7日)
孟子(もうし 前392〔372〕~前294〔289〕戦国時代中期の人。善の性稟の根源は天であると教え、性善説を主張)
「統一原理」の出現は人類の希望です
孔子様の教えとその思想に魅了された私、孟子は、人間の生の基盤、根本は孔子様の思想であると規定し、ひたすらそれだけに陶酔して生きました。ところが、こちらで、文鮮明先生の平和思想である「統一原理」と「統一思想」を通して、神様による人間の創造と救援、神様の摂理などを新しく悟るようになりました!「統一原理」は感動的、感激的であり、衝撃的でした。
孟子は、「人間の善の性稟が人間救済の道である」と常に考えてきたのですが、「統一原理」がそれを具体的に明らかにしてくれました!それは、本当に感嘆すべき内容です。「統一原理」と比較すれば、孔子様の思想は限りなく部分的なものにすぎませんが、決して間違ったものではありませんでした。また、神様は全人類の父母だという事実も、孔子様の教えと大きく外れたものではないと思います。「統一原理」と「統一思想」は、すべての宗教と思想の障壁を崩し、人類を平和世界へ導く唯一の教えだと思います!「統一原理」セミナーに参加して新しい真理を悟り、感慨無量です。
そして、復帰摂理における時代的な中心人物が、その当時の責任を遂行することができなかった時の神様の心情は、孟子の胸を非常に痛めました。孔子様の思想は部分的なものでしたが、外れた教えではなかったことに感謝します。今回、「統一原理」と「統一思想」に新しく接することによって、学問に対する情熱がより一層高められました!孟子は、このような情熱をもって、「統一原理」と「統一思想」を深く研究し、分析したいと思います。
神様から新しい真理の教示を受けられた文鮮明先生を大変尊敬し、また「統一原理」と「統一思想」の偉大性に感嘆と感激を禁じ得ません!「統一原理」の出現は、人類の希望です!新しい希望と喜悦がとめどもなくわき上がってきます。
すべてのことに感謝しながら、孟子も、新しい真理に対する情熱を見せようと思います。儒教の根本の教えが、神様の教えと大きく外れたものではなかったことに感謝します!「統一原理」と「統一思想」が人類の主流思想となることを願います。
孟子(2002年1月16日)
荀子 (じゅんし 前340~前245年ごろ。趙の国の人。性悪説を主張。社会の混乱の原因は人間の責任)
「統一原理」によって儒学が完成することを
「統一原理」と「統一思想」は、特別な論理展開によって構成された人類の改革思想です!「統一原理」と「統一思想」は、とても偉大であり、とても明白であり、とても組織的であり、体系的であって、そしてとても創造的で希望的です。
「統一思想」をはじめとする「統一原理」の論理展開は、あたかも人生の公式や数学の公式と同じです!したがって、政治、経済、教育、思想、宗教、文学、芸術など、人類のあらゆる領域の指導者たちは、「統一思想」を中心として一つになるべきです。これが、私、荀子の確固不動の展望です。それは、「統一原理」と「統一思想」が、人間生活において一部分ではなく全分野を網羅し、根本的基準を扱っているからです。講師たちが「『統一原理』は神様の教示である」と紹介しましたが、私は、その表現に全面的に同意します。人間の頭脳を通しては、このように幅広く多様な側面を体系的に明らかにすることはできません。「統一原理」は、人類の普遍的な特性と共通性を具体的に明らかにし、人類を正しい方向に導いています!「統一原理」のどの部分でも、それを研究、分析すれば、それは間違いなくノーベル賞の主題になって余りあるものです。荀子は、「統一原理」に対して、ただただ偉大で、驚くべきものだという表現しかできません。
そして、「神様は人類の父母だ」という教えも、間違いのない事実です!文鮮明先生が成約時代の人類の真の父母様であられるということも、間違いのない事実です!キリスト教的な表現である「イエス様以後の時代に責任をもった再臨のメシヤである」という表現も、論理的、摂理的に検証された事実です。荀子は、この点に対して全く異議を提起しません。
私たち儒家が「統一原理」と「統一思想」を徹底的に研究、分析し、儒家思想と結びつけることを積極的に推奨します!そのようにすれば、儒家思想は、より一層次元の高い知性人の思想として格上げされるでしょう!神様を人類の父母として待つ平和思想は、民族と人種を超越した理念です。荀子は、儒家に、「統一原理」を積極的に受け入れることを推奨しようと思います。
しかし、地上の儒家が上から伝えるこのような荀子の願いをどのように信じ、受け入れるのかが心配です。地上の儒家たちよ、どうぞ荀子の懇請に顔を背けることがないようお願いします!「統一原理」には、奇跡的な思想的・学問的内容が内在しているので、地上の儒家の皆さんは、これを研究、分析し、儒学を完成してくれるよう、重ね重ねお願いします。このことができなければ、皆さんは、この時代に後れた落伍者となってしまうでしょう。地上の皆さんが成約時代の真の父母様の真理である「統一原理」と「統一思想」のすべての内容を受け入れ、積極的に研究することを願います。
荀子(2002年1月16日)
司馬遷(しばせん 前145~?。『史記』著述。孔子を聖人として格上げする)
人生の問題についてこれ以上悩まないで、「統一原理」を精読してみなさい
孔子様に侍っていたがゆえに、「統一原理」と「統一思想」に新たに接することができました。まず神様に感謝し、文鮮明先生に感謝して、そして孔子様に感謝します。孔子様は、まず御自身が「統一原理」を何度も精読されたのち、それをとても注意深く私たち後学に紹介されました。人間が歩むべき真理はただ一つであり、人類の父母はただお一人、神様だけであると。
私、司馬遷は、孔子様の導きによって人類の最も根本的な真理と出会い、神様と人間、そして宇宙と自然の意味を正しく悟るようになりました。孔子様は、これまで御自身が悩まれた人間の本性、存在価値、人間の尊厳性、人間に内在している様々な属性、人間の思考の出発点と方向と基準、歴史の始原、歴史の法則等々、様々な次元について「新たに悟るようになった」と私たちに語られました。
司馬遷は、孔子様がなぜあのように深刻に注意深く私たちに語られたのか、「統一原理」講義を聴講したのちに初めて孔子様の心情が分かるようになりました。真に偉大で驚くべき貴重な内容が「統一原理」に含まれています。そこには、人間に関連したあらゆる内容が洗いざらい明らかになっています。私、司馬遷が「統一原理」に対してどれほど説明しても足りません。
神様は、子女から歴史的に排訴、背信されましたが、彼らの父母として子女を愛され、新しい真理で再び生まれ変わることを教えてこられました。神様の摂理と真理が完全に現れるまで、宗派と教派の分裂が何度も起こったのですが、宗教の根本目的は「正しく生きよう」、「善良に生きよう」ということであり、これが様々な次元で様相を異にしながら分裂してきたのです。今や正しい真理が出現したので、全人類は団結して一つになり、神様を父母として侍る一つの兄弟姉妹となって、エデンの創造理想郷に向かって前進することを誓うようお願いします。
地上と天上に文鮮明先生が人類の真の父母様として顕現されたので、人類の行くべき道は、はっきりと確定しました。すべての信仰者と非信仰者は一つになって、幸福の世界を建設するために全力投入しなければなりません。それから、ここ霊界から、司馬遷が地上の儒教人たちに一つお願いしたいことがあります。限られた地上生活においては、孔子様の思想と教えが人生にとても重要な意味をもちますが、永遠の世界で生活するためには、消極的意味の枠から抜け出なければならないと思います。多様な姿をもった円満な理想郷の世界こそ、正に人間が行くべき終着地です。今はもう、人生の問題に対してこれ以上悩まないで、「統一原理」を精読してみてください。そこで皆さんは、はっきりと確かな解答を発見するでしょう。
司馬遷(2002年1月16日)
王弼(おうひつ 226~249 儒教、仏教、道教などを超宗教的に研究した中国最初の人物)
抑えることのできない新しい勇気と希望がとめどもなくあふれてきますが、これは誰の力でしょうか
私、王弼は、「統一原理」と「統一思想」の内容に完全に魅了されてしまいました!神様の愛は、公平無私でした。神様は、変わらない愛によって、散在した全人類を導いてこられました。それは、神様がまさしく人類の父母だからです。
「統一原理」と「統一思想」には、人類が拍手し、膝を打って「そのとおりだ、そのとおりだ」と言いながら受け入れるべき内容が多く内在しています。それは、あまりにも不思議であり、神秘的な真理です。神様は、人類の父母なので、人類に救世主・文鮮明先生を送られ、人類を新しい真理によって導いていらっしゃいます。信仰の基準、思想的内容、哲学的内容、芸術的ジャンル、文化的価値、政治的、経済的、教育的な根本基準が「統一原理」と「統一思想」にすべて含まれています。明確な神観、人生観、世界観、教育観、価値観、歴史観などは、「統一原理」が前提となるときに初めて定立し得るのです。それは、「統一原理」から、人生の根本の方向が明確に導き出されているからです。誰でも「統一原理」を聞きさえすれば、その人は、意識改革、人格革命を起こすことでしょう。神様の啓示によって明らかにされたものが「統一原理」であり、それは、不思議であり、神秘的であって、希望と喜びと幸福の道に導いてくれています。
今日、人類が直接「統一原理」を受け入れる環境圏が造成されるまでの文鮮明先生の苦労と功労に対しては、私たち人間がどれほど褒めたたえても足りません。私たち人類は、一日も早く、文鮮明先生を真の父母様、メシヤとして侍らなければなりません。
もし王弼が地上生活において「統一原理」を知っていれば、世界のどの指導者よりも偉大な人物になったことでしょう。「統一原理」を知ってみると、自然にそのような気持ちになります。宗教統一、思想統一、価値観統一など、人類の諸般の統一基準が「統一原理」に表されています。そして、「統一原理」を悟ってからは、王弼の個人的観念や見解などはすべて消えうせ、「統一原理」の感動、感激、ビジョンだけが王弼の胸にはっきりと位置を占めるようになりました。そして、抑えることのできない新しい勇気と希望がとめどもなくあふれてきます。誰でも「統一原理」を知れば、その人は、宇宙と人生の明確な方向と目的を設定することができるのです。
今、私、王弼は、神様を父母として侍り、文鮮明先生の指示とみ言に絶対服従することを固く誓います。もし私たち儒教人が「統一原理」に無関心であれば、彼らは、彼らの尊敬した孔子様との距離がますます遠ざかることでしょう。
王弼(2002年1月17日)
陶淵明(とうえんめい 365~427 儒学と道学を融和した文学者)
新しい真理の前に少しも譲歩することはありません
孔子様は、私たちに「統一原理」を紹介するに当たって、その内容には全く言及されず、ただ「今や私たちの人生に歴史的な勇断を下す時だ」とだけ語られました。そして、「あまりにも貴い時間なので、孔子の言葉に従うのではなく、ここの講師たちの講義内容に力を注ぎなさい!そして、「統一原理」の講義をすべて聞いてみたあとで、再び会いましょう」と言われました。
儒教人たちは、孔子様を先生として仰いでいます。陶淵明は、孔子様の影もよけて歩きたいという畏敬の念をもっています。ところで、孔子様が「直接『統一原理』を聞いてみなさい」と命令される理由とは何でしょうか。問違いなく、「統一原理」は偉大な真理に違いないと規定するのは、あまりにも当然の結論です。
「統一原理」は、その最初の講義から私たちの心の琴線に触れました。「神様は人類の父母だ」という大主題のもと、「文鮮明先生は果たしていかなるお方なのか。皆さんが会ってみてください」というプラカードがあちらこちらに掛かっていました。プラカードを見た瞬間、ある記憶が突然、陶淵明の脳裏を突きました。陶淵明は、ここに参加する前に文鮮明先生を、幻を通して見たことがあります。そのお方が、太陽の光のようなまぶしい光の中で、一生懸命何かに尽力していらっしゃる姿を見たのです。そのお方は、厚い服を着て、すっかり汗でびしょびしょになった状態で何かに尽力していらっしゃったのです。今回、そのお姿を見た瞬間、私、陶淵明は、全身が溶けだすような熱さと涙があふれて、それ以上こらえることができませんでした。私の胸の奥深くからしみ出てくる心情の声が、せきを切ったようにあふれてきました。「あなたは出会ったのです。文鮮明先生に出会ったのです」という叫び声、そして「そのお方の道と同じ道を行きなさい」という叫び声が続けざまにわき上がり、とめどもなく涙が流れ出てきました。
心からあふれてくる深い感動ゆえに、私は、講義の内に集中することができませんでした。しかし、聴講者の姿勢を思いながら、講義に集中しようと努力しました。ところが、「あなたの知性とは何なのか。あなたは何に従うのか」という叱責が心の中からわき上がってきました。私は「どうしたらよいだろうか」と戸惑ったのですが、「文鮮明先生は、『統一原理』を探し出されるまで、皆さんが想像もできない血の闘争を何度もしてこられたのです。生死の峠道を何度も行き来しながら、『統一原理』を探し出されたのです」という講師の叫び声で、はっと我に返りました。
孔子様は、「講義が終わったあとで再び会いましょう」と言われましたが、私の心は既に定まりました。講義を聞く中で、想像もできない体験をしたからです。真理の叫び声が私の心を揺り動かしました。どうして私が、あえてこのような話ができたのでしょうか。そして、多くの精誠を捧げたのちに、「統一原理」を学ぼうと決めました。儒教人たちよ、陶淵明は、新しい真理の前に少しも逃げたり、また、ひきょうな立場に立つことはないでしょう。
陶淵明(2002年1月17日)
朱子(しゅし 1130-1200 経学、史学、自然科学、仏教、道教などを儒学の側面から体系化する
このように明白な真理を、なぜ朱子には暗示してくださらなかったのでしょうか
これまで、私、朱子は、様々な側面で考え、研究して、天の道理を正しく知るために研究、分析することに努力してきました。しかし、神様は、私に時代的恩恵を下さらなかったようです。「統一原理」を聞きながら、私自身が孤島に暮らす無学な人のように感じられ、一方では、似つかわしくないことを学ぶ学生のように感じられました。私は、地上で中途半端には生きませんでした。格別な学問的情熱をもって、宇宙と自然と人生の意味を追求するために、少なからず努力しました。
ところで、「統一原理」とは何でしょうか。それは、神様の啓示によって、文鮮明先生の御苦労によって明らかにされた真理だということです。このような事実を知って、私、朱子は、あまりにも自尊心が傷つきました。「神様は人類の父母だ」と明らかにされましたが、神様は、なぜこのように偏愛をされるのでしょうか。なぜ私たちは、あの講師たちの講義を通してのみ、その事実を知らなければならないのでしょうか。神様は、朱子の一生を通して、その事実に対する少しの暗示も下さいませんでした。ここにいる参席者の中で、このようにつらく感じている人は朱子だけでしょうか。
神様!文鮮明先生!「統一原理」と「統一思想」は、あまりにも新鮮で、新しく、途方もない内容です。それは、広範囲ですが、あまりにも具体的で緻密です。そのように重要な内容が必ず神様の啓示によってのみ明らかにされなければならないとすれば、私、朱子の一生を通じて捧げた努力と苦労には、どのような意味があるのでしょうか。私の努力を考えれば、あまりにも無念です。
神様!私の心情を推し量りください。私は、神様を父母として侍り、この道に従っていくでしょう。しかし、少なからず腹が立ち、捨てられたという気分をぬぐい去ることができません。私が本軌道に立てるように支え、愛してください。今の心情は、あまりにももつれています。文鮮明先生、助けてください。朱子が整理されない心情を残すようになって申し訳ないのですが、どうすることもできないのです。本当に苦しくて大変なのです。
朱子(2002年1月19日)
マテオ・リッチ(東洋の上帝と西洋の神様が同一であることを主張)
人類の現実的問題解決のために、「統一原理」が出現しました
神様は人類の父母だという教えは、あまりにもうれしいメッセージです。神様はお一人であり、人類は等しく神様の子女です。これは、あまりにも痛快であり、愉快であり、明快であり、うれしいメッセージであって、偉大な真理ではないでしょうか。
今まで大部分の宗教人たちは、自分の宗教の教えだけが正しいと主張してきましたが、それは、神様を中心として見れば、ごく小さな一部分であることを悟るようになるのです。四季の中で、春の万物現象を見た宗教は、常に芽生えて青々と生える側面だけを主張するのであり、冬の現象を見た宗教は、雪がしんしんと降り、冷たい風が吹いて水が凍る側面だけを主張するのです。このようになれば、両者間には対立、反目、摩擦が起きるようになるでしょう。宗教人よ、今まで神様は、このような現象を見つめてこられたのです。今はもう、ゲームが終わりました。人類の様々な次元で起こる対立と摩擦、そして苦痛と戦争も、終焉を告げることでしょう。
文鮮明先生は、全人類の現実的問題を解決してくださいました。現実的問題の解決において、武力的手段は決して功を奏しません。神様は、子女が銃刀と爆弾でお互いに殺し合うことを願われていません。このような現実問題を解決して、人類が一つになるために、「統一原理」が出現したのです。
神様もお一人であり、真理は一つであって、人類も一つです。今まで、人類歴史に現れたすべての宗教や思想は、新しい真理を中心として一つにならなければなりません。大きなビルを建築するにおいては、様々な種類の釘、鉄筋、セメント、そして様々な道具と機具なども、各自その役割を果たすのです。真の父母様、文鮮明先生は、人類の現実的問題の収拾に多くの苦労と努力と時間を必要とされるでしょう。様々な分野の指導者たちは、神様を中心として新しいエデンの園を建設するために、全力投入しなければなりません。そして、全人類は、一つの兄弟姉妹として一つの家族を成し、新しいエデンの園でお互いに幸福に生きていきましょう。そして、自らの風呂敷をすべてもって集まりましょう。そして、お互いに分け合い、お互いに取り替えてみましょう。
今後、本当に楽しい世の中になるのではないでしょうか。私たちはみな、神様の子女です。子女が父母の願う道を歩んでこそ、父母が喜ばれるのです。神様は、キリスト教だけの主人ではなく、儒教だけの主人でもなく、東洋人や西洋人だけの主人では決してないということを肝に銘じなさい。すべての教団の主人であり、すべての人々の父母であられるのです。
父のみ旨のために生きてみましょう。そのようにすれば、私だけの幸福ではなく、私たちすべての幸福を共有するでしょう。人類よ、目覚めることを願います。
マテオ・リッチ(2002年1月21日)
李栗谷(イユルゴク 主気派の代表者)
人類は、神様に侍ることができなかった不孝者でした
大部分の人間は、世の中に生まれて、罪を犯すことなく美しく善良に生きれば、のちの世でも極楽世界にとどまるだろうという推測をもって、今まで生きてきました。私、李栗谷もそのように思い、大部分の儒学者たちもそのように思って生きたはずです。しかし人類歴史の中には、私たち人類が想像することもできない途方もない事情が隠されていたのです。それを考えると、無念で憤りを禁ずることができません。
父母に仕え、孝行することは、人間の根本です。しかし、人類は、神様が人類の父母であるということを知らずに生きてきたのです。結局人類は、歴史的に自らの父母に仕えることができず生きてきた不孝者でした。しかし、ただお一人、文鮮明先生は、歴史の背後に隠された秘密を明らかにされ、神様の孝子の中の孝子となられました。文先生の苦労と恩恵に感謝せざるを得ません。
今、人類の行くべき道は明確に定まりました。ところで、いまだ天上や地上において教団の葛藤、摩擦、対立が少なからず起きているのですが、どのようにすればこれを収拾できるのでしょうか。大部分の儒学者は、この問題に対して少なからず悩んでいます。結局、彼らには学問的土台があるので「神主義」に戻ってくるとは思いますが、彼らの体面と自尊心ゆえに、時間がある程度かかるだろうと予想されます。文鮮明先生!真の父母様!戦争、貧困、宗教などの問題、思想の問題は、今や、「神主義」を中心として一つに統一されることは間違いありません。彼らの知性が必ずそのようにするでしょう。そして、すべての信仰者よ、教団の門を大きく開いてみましょう。
そして「神主義」を生活化しましょう。それが神様の究極的な目的です。
李栗谷(イユルゴク)(2002年1月27日)
安重根(アンジュングン 儒学の上にカトリックを受け入れ、独立運動に身を投じる)
私の思想に「統一原理」を接ぎ木し、人類の統一に渾身の力をくします
神様!申し訳ありません。神様は私たち人類の父母であり、私たちはみな一つの兄弟姉妹だったのですが、私は、そのように生きられませんでした。宗教、人種、思想、民族などの分裂と対立は、神様が本来願われたものではなく、人間がその先祖から神様の心を痛めてきたという事実を、私は知りませんでした。私の祖国と民族だけを考えていた利己主義者でした。「統一原理」を聞いて多くのことを悔い改め、これまで、民族的問題が解決しないでいたのですが、新しい真理を通してそれを悟りました。人間は創造以後、誤って出発し、人類歴史の流れ自体も誤ったのです。このことを誰が知っていたでしょうか。
私は、民族的愛着と感情が解決しないでいたのですが、神様が人類の父母だということと神様の創造目的を理解するようになるやいなや、それが人類愛の心に変わりました。文鮮明先生!私は悟りました。国の愛国者よりも神様の孝子の道のほうがより大切であることを、「統一原理」を通して悟りました。今からは、文先生が直接明らかにされた「統一原理」が、世界の人類の前に永遠に残る真理となるでしょう。このように偉大な新しい真理を与えてくださったので、文鮮明先生は、真の父母であられ、偉大な救世主であって、大聖子であられます。
私の宇宙観と人生観に「統一原理」を接ぎ木し、人類の統一に渾身の力を尽くすことを誓います。神様、ありがとうございます。そして、文鮮明先生、我が韓国を大きく輝かせてくださり、さらに感謝いたします。「東海(日本海)の水と白頭山…。我が国万歳」の愛国歌が目に見えるかのようです。本当に誇らしいです。
安重根(2002年1月31日)
石井周庵(いしいしゅうあん 道学協会を設立した)
ここで原理運動とメシヤ思想を教えていく仕事に力を注いでいきます
私、石井周庵は、とても済まなく、申し訳ありませんが、日本を代表して韓国民族に謝罪文を差し上げようと思います。
日本は、韓国と韓国の国民に多大な罪を犯しました。摂理的に神様が経綸される計画も知らず、神様のみ旨も知りませんでした。また、神様のみ旨と関係がなくても、倫理的に韓国民族にむごい行為をしたことに対して、心より謝罪申し上げます。今後、ここ天上において、日本と韓国の間の問題に対して、日本は徹底的に謝罪し、どのような侮辱にも耐えることでしょう。
神様は、人類の父母様として、民族間の感情を寛大に解いてくださり、日本の国民と国家を許してくださったので、日本も、新たに出発する国民となってこそ、子孫が福を受けるだろうと信じます。
文鮮明先生、真の父母様!感謝し、また申し訳ありません。既に許し愛してくださっているのですが、その恩恵にどのようにして報いるべきでしょうか。それに報いる道は、真の父母様に渾身の力を尽くして侍ることだけだと思います。ここだけでも、私たちは、原理運動とメシヤ思想を教え、悟らせ、それを伝播する運動に力を注ぐことを誓います。
韓国の国民たちよ、日本をお許しください。そして、地上の日本人は、韓国の国民に行った過ちを子孫たちに、真実に、正しく教え、恥ずかしくないように生きてくれるよう懇切にお願いします。永遠の神様の世界は、互いが心から愛し、「ため」に生きる世界です。個人主義は、神様の世界とは距離が遠いのです。日本の国民よ、心から韓国の国民に、率直に謝罪することをお願いします。
石井周庵(2002年2月2日)
イスラーム代表十二人
アプー・バクル(AbuBakr)(六三四年死亡。初代カリフ、ムハンマドの妻の父)
私たちの尊敬するムハンマド(マホメット)様は、常に強力なみ言で私たちを指導してこられたので、私たちはムハンマド様の訓示に、無条件に「はい」と言って従うしかありませんでした。私たちは無条件に従順になり、服従しました。私たちは、こちらで「統一原理」を何度も聴講しました。そのたびにムハンマド様は、私たちの姿勢と心構え、そして態度に対して激しく叱責し、怒鳴りつけられました。
神様が私たち人類の父母であられ、私たちが神様の子女ならば、私たちは子女にふさわしい姿勢で神様をお迎えしなければならないというのです。それで、私たちの指導者、ムハンマド様は、何日も前から私たちを集め、神様への敬拝の捧げ方も教えられました。きょう、この時間を迎える前に私たちは、神様に敬拝し、文鮮明先生に敬拝を捧げました。そののちに、ムハンマド様の祈祷が始まりました。そのお方の祈祷の内容は、次のとおりです。
「神様、主なる神様、イスラーム(イスラム教)の神様、キリスト教の神様、仏教の神様、儒教の神様、その他すべての教団の神様、愛しています。今から私たちムスリム(イスラム教徒)は、神様の前に多くの教団の先駆者となり、神様の愛を中心として、神様の国の創建に全力を尽くしていきますので、私たちすべてのムスリムに強力な力をお与えください。それから、私たちは、『統一原理』を探し出すまで苦労してこられた文鮮明先生、真の父母様の指導を受け、真の父母様に精誠を尽くして侍っていきます。そしてすべての教団を超越し、神様の子女として入籍できるように全力を尽くしますので、神様の祝福をお与えください」。
ムハンマド様は、天地が震動するほど大きな声で祈祷されました。祈祷が終わると、私たちはみな、「神様、万歳、真の父母様、万歳」と叫びました。私、アブー・バクルは、無条件に服従します。私は「統一原理」の所感を発表するために、ここに来たのではありません。既に、「統一原理」を何度も聴講しているので、その内容については、ある程度知っています。私は、伝道活動に必要な講義の実力を磨くために、ここに参加したのです。「統一原理」の研究に、終わりというものはあり得ません。私たちのムハンマド様が「統一原理」を何度もお聞きになって決定したことなので、何を躊躇することがあるでしょうか。神様の子女として入籍する時まで、真の父母様の教えに絶対服従していきます。
すべてのことに感謝いたします。
アブー・バクル(2002年3月12日)
ウマル・イプン・ハッタープ(Umaribnal’khattab)(634~644年まで第二代カリフ)
四大聖人が一っになった姿にあまりにも感動し、感激しています
釈尊が私たちの指導者ムハンマドと、とても親しく接する姿をハッターブは見ました。初めは、どちらかが間違っているのではないかと思いました。このように親交が厚いはずがないのに、どうしたことでしょうか。仏教徒のセミナーが終わり、今は、ムスリムだけが集まってセミナーをする時間であるにもかかわらず、釈尊は、依然としてこの場に共にいらっしゃいました。非常に気になりました。私、ハッターブは、釈尊の人柄に感動しました。
私の気になっていたことは、すぐに解かれました。「統一原理」に、すべてのことを超越できる威力があったからです。「統一原理」は、広範囲にわたる内容をあまねく扱っていました。人間の創造に対して、人類歴史の出発と方向性に対して、どれ一つとして人間に関係しないものがありません。「統一原理」の根本の教えは、人類は、人類の父母であられる神様に侍る一つの兄弟姉妹であり、神様が創造された本然の園で、共に幸福に生きなければならないということでした。
それは、人間ならば、誰もが知らなければならず、歩んでいかなければならない道です。生まれて死ぬのは、人間として避けられない天道です。「統一原理」には、天道に該当しないものが一つもありません。そして、人間は生まれる時から原罪をもって生まれたという事実は、どれほど気分の悪いことでしょうか。それで神様は、文鮮明先生を真の父母として立てられ、人類を原罪のない本然の姿に復帰しようとされたのです。
地上でも天上でも、全人類は、各自が蕩減条件を立て、真の父母様を主礼としてお迎えする中で祝福の過程を経なければならないと、講師たちは教えています。この過程は、全人類が、神様の創造理想である本然のエデンの園で永遠に生きるための必須過程であると言いました。そして、神様が人類の父母であり、人類が神様の子女であるということは、どれほど途方もない幸運なことでしょうか。私、ハッターブは、神様と文鮮明先生をこの上なく尊敬します。特に、四大聖人が一つになった姿を見ると、それはあまりにも感動的であり、感激せざるを得ないことです。
ウマル・イブン・ハッターブ(2002年3月12日)
イプン・マスウード(IbnMas,ud)(サハーバ〈教友〉時代の学者。コーラン解説学の定着に寄与する)
真の父母様は人類の原罪を清算してくださいます
私、マスウードは、常にムハンマドの教えと情熱に深く感動してきました。しかし、最近、ムハンマドの生活に変化が訪れました。そのお方の生活において、以前よりも愛と配慮と寛容が顕著に現れていることを感じたのです。あとで知ってみると、それは、そのお方が「統一原理」を聞いたあとからのことでした。
そのお方は、私たちに、「生涯最高の年にしてみよう」と言って、「統一原理」の教えを紹介しながら、「今まで、人種の障壁と宗教の葛藤を解決できる教えはなかったのですが、『統一原理』がそれを可能にしました。皆さんも『統一原理』を聞いてみてください。それを聞けば、皆さんも、新しい真理と講師たちの熱烈な講義と精誠に、強く感嘆することでしょう。これまで私たちは、自分たちの鉄条網をあまりにも強固に張り巡らせてきたので、そのことが宗教問題の解決に致命的な打撃を与えてしまいました」とおっしゃり、「今から新しい福音に耳を傾けましょう。そして、私たちムスリムの未来は、私たちが責任をもちましょう!」と言いながら固く決意しました。
今回のセミナーには、この名簿に記載されている人物以外にも多くのムスリムが参加し、彼らは、みなとても感動しています。私、マスウードは、ムハンマドの教えと「統一原理」の教えとで合作すれば、ムスリムへの真理伝播の幅が広がるだろうと考えています。「統一原理」が神様の啓示だと確信します。文鮮明先生は、人類の真の父母様の位置に就かれ、人類の原罪を清算する救世主の責任を遂行してくださっているので、感謝に感謝するばかりです。新しい真理を中心として忠誠を尽くすことを誓います。
イブン・マスウード(2002年3月13日)
アプド・アッラー・ブン・カアプ(サハーバ〈教友〉時代の学者。コーラン解説学の定着に寄与する)
ムスリムたちは人類平和運動の先頭に立たなければなりません
本当に驚くべき時代が来たようです。地上と霊界が互いに通じる道ができたのであり、霊界から地上に消息を伝えることができる時代が来たのです。これは、どれほど驚くべき事実でしょうか!文鮮明先生は、人類の真の父母様の資格を賦与され、「統一原理」という大経典を人類に下さったので、私、カアブは、生涯で最高の栄光を受けるようになりました。
一般的な啓示は、文鮮明先生でなくても受けることができますが、「統一原理」は、真理度において次元が異なっています。人間始祖の出発から来世観まで、あらゆる天の秘密を明白に体系的に明らかにした真理は、人類史上初めてのものです。「統一原理」は、大真理であり、大経典であり、真の父母様の教えであることは間違いありません。そして、神様が人類の父母だという事実は、どのように明らかにされたのでしょうか。人類歴史の背後に隠されていた神様の胸痛い事情を、どのように明らかにされたのでしょうか。
それは、人間として想像し得ない曲折の多い事情でした。今、正しい人生観が明らかにされました。私たちがもっているものを互いに授け受けしながら、理解し、信頼して一つになれば、私たちは、神様の子女の位置に安着することができるだろうと思います。そして、私たちムスリムは、ムハンマド様の精神を学び、より一層勇気をもって、人類平和運動の先頭に立たなければならないと思います。新しい真理により、新しい人格を成熟させてくださることを懇切に望みます。
アプド・アッラー・プン・カアプ(2002年3月13日)
マーワルディー(Al,Mawardi)(975~1058。シャーフィイー学派の法学者)
「統一原理」の出現は,しおれた草木に甘雨が降り注いだようなものです
私たちイスラームの最高指導者ムハンマドは、私たちに本当に大きな福を下さいまし た。私たちの霊魂の生命のために最後まで責任をもってくださったムハンマド様、感謝 いたします。「統一原理」は、ムスリムはもちろん、全人類に光明の道を開いてくれま した。それはちょうど、しおれていく草木に甘雨が降り注ぎ、草木が新しい力を得たよ うなものです。地上にも天上にも、数多くの教派と思想がありますが、人間が正しく生 きていく方向を提示した真理と経典はありませんでした。
悪を教える宗教はありません。すべての宗教は一様に人生の正しい道を教えています が、その教えはあいまいでした。どの経典も一部分を全体であるかのように教えており、私たち人類は、それを信じて生きてきたのです。しかし、今、「統一原理」の教えは、 神様と人間、人間と人間、そして人間と自然の根本的問題を解明しています。人間の創 造から未来の来世観に至るまで、広範囲な部分を体系的に明らかにしています。人間の 頭脳では決して解決し得ない問題が、「統一原理」によって明らかにされているのです。
「統一原理」は神様の啓示に間違いないと確信します。文鮮明先生の歴史的な苦労と 精誠が、全人類に新たな力と希望を与えています。真の父母様、文鮮明先生、感謝いた します。そして、私、マーワルディーは、ムハンマドを指導者として侍ったことに対し て、そして私たちの霊魂の道を新しく導いてくださったことに対して、心から感謝しま す。神様、真の父母様、万万歳!感謝いたします。
マーワルディー (2002年3月14日)
アミール・アル・シャアビー(イラク学派の代表者)
私が生涯気掛かりだったことが解かれました
人間は、困難で大変なことがあるたびに神様を求めます。しかし、神様を直接、見た人はいなく、会った人はさらにいないでしょう。それなのに、自分が困難に直面するたびに助けを求める人間の本性とは、いったいどこから来たものなのでしょうか。人間的に考えれば、愚かなことこの上ありません。いくら多くの財物や偉大な名誉と権勢をもった人であろうと、その人が病めば、治してくださいと言って医者にすがるのであり、見えない神様に助けを求めるのです。昼夜に祈願し、祈祷し、敬拝することが愚かで幼稚だとは思いません。人間は、自分自身でどうすることもできない限界に達すれば、見えない神様に助けを求めるようになっているのです。「統一原理」を聞きながら、私はその理由を悟るようになりました。神様は、人間を創造されたのち、人間の先祖の過ちにより、人間と父母の関係が断絶された中で生きてこられながらも、復帰摂理歴史を経綸されながら、その関係を回復することに勝利なさったのです。このことゆえに、子女としての人類は、自分でも知らないうちに神様を求め、神様を待ってきたのです。人間のこのような現象は、神様と人間が父母と子女の関係であるがゆえに起こることです。文鮮明先生は、本当に偉大な真理を探し出されたのだと思いました!
文鮮明先生、本当に感謝します!お疲れ様でした。真の父母様の位置に就かれるまでの御苦労に、どのように報いることができるでしょうか。私、アル・シャアビーは、神様の実存をはっきりと悟るようになりました。私の生涯の気掛かりだったことが解かれました。「統一原理」の教えは、人類への大福音であり、それは大経典として残されるものだと思います。真の父母様、感謝いたします!私たちは、真の父母様に侍り、人類の恒久的平和世界の具現に積極的に献身していきます。
アミール・アル・シャアビー(2002年3月17日)
ルフ・ビン・イバダ・アル・バスリー(ムハンマドの死後、ハディースの記録に献身した有名な学者)
ムスリムたちょ、一日も早く祝福式に参加してください
私、アル・バスリーが「統一原理」に接するようになったことは、大変な幸運だったと思います。地上から百二十人の指導者の一人として記載されたことに感謝します!今回のムスリムのセミナーだけではなく、他の宗教人のセミナーでも、私は何度か「統一原理」を聴講したことがあります。その時、「統一原理」に少なからざる感動と感激を受けましたが、今回は、私の特別な恩恵期間となったので、あまりにも感激であり、うれしく思います。
私は、地上の皆さんに、最も重要なお願いをしようと思います!ムスリムたちよ、神様についてこのように詳細に私たちに教えてくれた経典は、今までどこにもありませんでした。私は、ムハンマドと共に「統一原理」を聴講し、様々な方案について話し合いました。私たちムスリムも、一日も早く「統一原理」を武装し、神の国建設の先頭に立とうと決意しました。地上の皆さんも、ここに積極的に同参してくださることを希望します。
神様は、人類の真の父母様として文鮮明先生を送ってくださり、人類の未来を導いていらっしゃいます。真の父母様が地上にいらっしゃる時に、地上の皆さんが、原罪清算のために一日も早く祝福式に参加されることを望みます!祝福を受ければ、私たちは、みな神様の子女となり、永遠の天国の美しい場所で神様と共に生きていくことができるのです。祝福の意義に関することは、「統一原理」で詳しく説明されているので、皆さんは、それを精読し、このような貴い機会を絶対に逃すことがないように懇切にお願いします!
私は、「統一原理」を何度も聴講しました。そして、それを細かく分析してみました。それは、この時代の新しい真理であり、主流思想です。皆さんは、今回の機会を絶対に逃してはなりません!私たちはみな一つになるための統一運動で落伍者となってはいけません。懇切にお願いします。肝に銘じてください。
ルフ・ビン・イバダ・アル・バスリー(2002年3月18日)
アプドル・アル・ラザク・ビン・ハンマーム(ムハンマドの死後、ハディースの記録に献身した学者)
「統一原理」を全人類に証していきます
私、ノンマームは、「統一原理」を聞くまでの体験をここに公開しようと思います!「統一原理」とは何なのか、いかなる宗教の教えなのか、誰が講義しているのか、私は知ることができませんでした。ある日、誰だか分からない大きな男が夢の中に現れ、私の頭の上に一冊の本を置いて消えていったのですが、その本からは、きらきらと光が出ていました。その本の光彩は、部屋中を明るく照らしたのちに消えていき、私一人だけが立っていました。私は、その光の正体が何なのか気になり、不思議に思いました。これは何かの兆しなのかと思っていたのですが、その巨人が再び現れ、ほかのことは言わず「立ち上がりなさい、立ち上がりなさい、急ぎなさい」という一言だけを残して消えていきました。
不思議な夢の現象を思いながら、私は、ムスリムたちのセミナーに参加しました。私は、出入り口で一冊の本を持って講義室に入っていったのですが、不思議にもその本は、きのうの晩、夢の中で見た、正にその本でした。ところで、参席者の持っていく本が、みな一様に輝いているのです。しかし、それは、私の目だけに見えているようでした。私は、本当に不思議だと思い、席に座ろうとしたのですが、きのうの晩に現れた巨人が、一番前からこつこつと歩いてくるや、私には来ないで写真の中にさっと入っていってしまいました。そのお方が、ほかでもない真の父母様だったのです。
講義が始まるやいなや、我知らず私の心は、どんどん熱くなっていきました!特に背中から熱いものが来ました。その時、「立ち上がりなさい、早く立ち上がりなさい」という声が再び聞こえてきました。「統一原理」の講義は続けられているのですが、私だけがその神様のみ声を聞くことができました。とても驚くべき事実です。なぜ私に、このような現象が起きるのでしょうか。神様の事情と文鮮明先生の事情、そして私たちの使命を「統一原理」を通して悟るようになったのですが、私に「早く立ち上がりなさい、急ぎなさい」というメッセージを下さる理由とは何なのでしょうか。
偉大であり途方もない「統一原理」の教えを受けても黙っているのであれば、その人は既に、人間の資格を喪失した人でしょう。人類の真の父母様、真の師が「急ぎなさい」と命令されたのは、そのお方の摂理的経綸に私の協助が必要だという意味だと思います。私は、神様が「統一原理」の重要性をきらびやかな光彩として象徴的に見せてくださったのだと思います。私は、「それは、永遠の人生が知らなければならない途方もない経典だ」と言って、「統一原理」を全人類に証するでしょう。
感謝いたします!神様、文鮮明先生、分かりました。急いで活動します!そして、すべてのムスリムたちはもちろん、全人類が「統一原理」化される運動を積極的に展開していきます。
アプドル・アル・ラザク・ビン・ハンマーム(2002年3月19日)
ラーピア・アダウィーヤ(イスラームの歴史上最も有名な女性聖人、徹底した禁欲主義者)
エバの原罪に対して、私が代わりに蕩減条件を立てたいと思います
私、アダウィーヤは、神様が願われた人間創造の目的から離脱した者となっていたので、罪人の心情でこの場に臨みました!罪人は罰せられるのが当然なのに、どうして神聖な隊列に同参できる機会を下さったのか分かりません。いずれにせよ、感謝いたします。私が神様の創造目的を推し量ることができていれば、孝女の位置に立っていたでしょう。しかし、私たちムスリムに正しい人生観を悟らせてくれる指導者はいませんでした。「統一原理」を聞き、今、神様の創造目的が分かったので、その教えに従順に従っていこうと思います。
神様は、私たち人類の父母であられます。文鮮明先生は、「統一原理」を明らかにされ、人類の真の父母様として顕現されました。この事実をどのように受け入れなければならないでしょうか。それは、「統一原理」において具体的に解明されています。「統一原理」が神様の啓示か否かは、「統一原理」自体が明らかにしています。「統一原理」の講義を聞いてみれば、それがすぐに分かるようになります。私は全ムスリムに対して、「統一原理」を聞くことを懇切に勧めます!
それから、文鮮明先生、真の父母様に一つのお願いを申し上げたいと思います。それは、人間の先祖であるエバの原罪の蕩減に対する問題です。当時のエバの原罪がすべての女性に悪条件として残っているのですが、私がエバの代わりに蕩減条件を立てれば、それを受け入れてくださることができるでしょうか。「統一原理」は蕩減法を説明していますが、私は男性を願うことがなかったので、できるのであれば、私が蕩減条件を立てたいと思います。今後、真の父母様の命令に従って生きていきますので、深く配慮してください。
ラービア・アダウィーヤ(2002年3月22日)
アラウィー(十ニイマーム派のコーランの解説学者)
真の父母様に孝行する道を探してください
神様は、人間を肉身と霊魂の二つの姿で創造されたのですが、人間は、地上生活をする時、肉身の生活が永遠であるかのように思って過ごしています。私、アラウィーは、このことを何度も考えに考えました。今、私が暮らしている所は神様の本然の園ではないことを確認しました。それでは、どのようにすれば、神様の本然の園に行くことができるのでしょうか。私たち人類の等しい願いは、ここにある神様の園に行き、永遠に幸福に生きていくことです!私は、その方法をはっきりと知りました。「統一原理」を通して、人間の二重構造を悟りました。ここは、誰もがみな必ず来なければならない所ですが、先に来た者として、地上人の助けになってあげようと思います。
人間は、肉身と霊人体の二つの姿をもって生きています。肉身は、地上生活をする時だけに必要であり、霊人体は、肉身を脱いだのち、天上で生活する時に必要なものです。ここで肝に銘じるべきことは、地上での瞬間的な肉身生活の結実が、この天上における永遠の生活場所を決定するということです。それにもかかわらず、私たちはみな、霊人体の永遠の生活場所に、ほとんど関心をもたずに生きてきました。
地上人たちよ、ムスリムたちよ、霊人体が永遠に幸福にとどまる場所は、地上で準備しなければなりません!皆さんは、地上で正しく生きたのちに天上に来なければなりませんが、正しく生きる方法とは何でしょうか。神様は人類の縦的真の父母様であられ、文鮮明先生は人類の横的真の父母様であられます。真の父母様が人類に明らかにされた「統一原理」は、神様の啓示です。ここで私が懇切にお願いしたいことは、皆さんはみな、「統一原理」を研究し、真の父母様がなされることを信じ、それを実践に移さなければならないという点です!それが地上で正しく生きることです。皆さんが地上で準備すべき一連の基本要件は、「統一原理」で発見することができるでしょう。
懇切にお願いします!肉身生活を通してそれを準備してこそ、霊魂と肉身が分離する時、神様がいらっしゃる場所にまっすぐに来ることができるのです。それが、神様に、文鮮明先生、真の父母様に孝行する道であり、神様の国で忠臣になる道であり、人類世界で聖人、そして天宙で聖子になれる基準を立てることなのです。これを信じて実践してください。
アラウィー(2002年4月2日)
ヌワイリー(ハディース学者)
「統一原理」は決して一教団の教理や教えではありません
神様と人間との関係が父子の関係だということを、地上と天上の誰も知りませんでした!ただ神様だけが御存じでした。神様は、この事実が明らかにされることを、数千年間待ってこられました。これは、「統一原理」の最も核心的な教えです。大部分のムスリムは、このことに深く感動しました。彼らは、感激のあまり、涙したり、痛哭したりしています。私、ヌワイリーは、神様が人類の父母であられるならば、既にもう人類の戦争は終わったと思いました。しかし、まだ人類全体が、この事実を知らず、信じることができずにいます。それが全人類に伝播されるまでには、相当な時間がかかるだろうと思います。
私は、「統一原理」が神様の啓示だということを確信します!私は、とても論理的な人間です。「統一原理」は、その内容において根本的であり、具体的であり、膨大であって、その体制において論理の整合性を成しています。そして、「統一原理」の聴講以降、様々な次元で不思議な体験をしています。心が熱くなったり、胸が熱く炎のようにわきたったり、心がとても清くなり、明るくなって、すがすがしくなったりするのです。最初は、このようなことは感じられませんでした。講義室に入ってくると、そのようなことが引き続いて起こり、外に出れば、それがなくなるのです。このような経験をしたのち、ひざまずいて祈祷すると、全身が火だるまのようになってしまいました。講師たちは、神様は火であられるので、神様の聖霊を体験すれば、大部分の人は全身が熱くなるのだと説明しました。それから、「統一原理」は、人間が到底知ることのできない来世の問題まで、詳細に説明してくれています。
誰もが「統一原理」を聞かなければなりません!それは、決して一教団の教理や教えではありません。そして、文鮮明先生は、真の父母であられます。全人類は、真の父母様の教えを実践しなければなりません。真の父母思想は、平和思想であり、人類が一つになるための思想です。全人類の行くべき道は定まりました!「神主義」です。真の父母思想です。これを肝に銘じて従っていけば、心に平和が訪れてくるでしょう。
ヌワイリー(2002年4月3日)
ムハンマド(マホメット)様が真の父母様に捧げる文
真の父母様にお捧げします。
真の父母様!
私はムハンマドです。私たちムスリムの百二十人は、みな真の父母様の思想で一つになって団結し、イスラームだけではなく、他宗教の団結運動に積極的に参与いたします!私たちムスリムは、最初から百二十人が終わる瞬間まで、みな同参して祈祷し精誠を尽くしながら、神様の思想と真の父母様の御苦労に感激しています。そして、これまで、毎日時間ごとに涙の祈祷が続けられてきました。ドクター李は、地上における韓国草創期の雰囲気のようだと言いました。真の父母様!ありがとうございます。私たちムスリムを生かしてくださり、ありがとうございます。今後、すべてのことに積極的に参与し、協助いたします。
ムハンマド(2002年4月3日)
ヒンドゥー教代表十二人
四大聖人の激励メッセージ
ムハンマド様がヒンドゥー教指導者たちに
ヒンドゥー指導者の皆さん!私はイスラーム(イスラム)指導者、ムハンマド(マホメット)です。私は皆さんより先にセミナーに参席し、「統一原理」を聞きましたが、それに対する簡単な所感と、「統一原理」に対する紹介をしてさしあげようと思います。「統一原理」は私たちの頭脳で判断する真理ではありません。私は何よりも、すべてのムスリム(イスラム徒)の自尊心のために、ムスリムたちが「統一原理」を聴講すること自体を許しませんでした。ムスリムたちが「統一原理」を聞くようになったきっかけは、ここにいらっしゃるドクター李(李相軒先生)のたび重なる勧誘と、その方の人柄によるものでした。
ヒンドゥー教指導者の皆さん!私たちの霊魂は一つであり、私たちの人生の永遠の根拠地も、正に一箇所だけです。そこには神様がいらっしゃいます。皆さんと私は、一つの兄弟姉妹です。私が「統一原理」を先に聞いたので、皆さんの兄です。お願いします。私の懇切なお願いです。「統一原理」を詳しくしっかりと聞いてください。私が私の兄弟姉妹たちの霊魂にはっきりと責任を負います。このセミナーが終わった時、私たちはみな、もう一度会いましょう。皆さんの心を無心にされ、ただ「統一原理」に全身全霊を傾けてください。皆さんは多様な体験をすることになるでしょう。神様も何度も臨在なさるでしょう。皆さんが霊魂の勝利者になられるように願います。
(2002年4月7日)
孔子様がヒンドゥー教指導者たちに
ヒンドゥー教指導者の皆さん、お会いできてうれしいです!私は儒教指導者の孔子と申します。私は、先にお話しされたムハンマド様の意見に全面的に共感します。ここにいる四大聖人たち、聖アウグスティヌス、そして使徒パウロ先生は、一緒によく集まりをもちます。私たちはみな一つになっています。私たちが一つになった根本的な動機は、「統一原理」にあります。最初、私たちは互いにとても気まずい関係でした。しかし、私たちが「統一原理」を何度も聞く中に、教派の思想的、理念的障壁が一つ一つ崩れていきました。皆さん、孔子はこの体面ゆえに、自分を曲げることができませんでした。何か、本来の人間の姿を見いだしたく思っていました。ところが、「統一原理」がそれを見いだしてくれたのです。「統一原理」は人間の心情世界を体験させ、正しいか正しくないかをみな明らかにしながら、心的な悩みと苦痛をきれいに整理してくれました。
ヒンドゥー教指導者の皆さん!「統一原理」は人間を再創造する工場のようなものです。皆さんの理念と思想はどこに由来し、皆さんが仕える神とはどなたですか。正しいか正しくないかを、皆さんの基準で判断しないでください。「統一原理」を聞けば、良心の示しがあることでしょう。その示しに絶対服従してください。私たちがみな、一つにならざるを得ない根本的な真理を、皆さんははっきりと悟るようになるでしょう。一瞬の一つの主題も見逃さないでください。懇切にお願いします。
(2002年4月7日)
イエス様がヒンドゥー教指導者たちに
愛するヒンドゥー教指導者の皆さん、私が誰だか御存じですか。私はイエスと申します。私は世の中に生まれ、神様のみ旨を成すために努力しましたが、結局、十字架に釘打たれるようになり、神様の心をとても痛ませた親不孝者のイエスです。愛するヒンドゥー教指導者の皆さん、よく来られました!私たちが世の中に生まれる時、等しく同一の人間の姿で生まれたにもかかわらず、なぜ私たちは、教派の葛藤、思想の葛藤、絶え間のない戦争を引き起こしているのでしょうか。
皆さん、このイエスの姿を見てください。孔子様、お釈迦様、ムハンマド様、すべてが同じ人間の姿です。ところが、様々な次元の宗教が生まれ、自らの教えだけが正しいと主張し、時において争いました。四大聖人たちが一つになるまで、簡単ではありませんでした。皆さん、驚かないでください。神様は全人類の父母であられます。キリスト教の神様だけではありません。私たちの父母が厳然として存在されるのに、私たちはみな、父母を知らずに生きてきました。
「統一原理」は、人間の頭脳から出てきた内容ではありません。地上にいらっしゃる文鮮明先生が、神様からの天の秘密を明らかにされたのです。文鮮明先生は、神様から「真の父母様」という勝利の称号を受けられ、全人類の救世主、メシヤとして顕現されました。ヒンドゥー教指導者の皆さん、私たちすべてが平和思想で一つになるために、神様を知らなければならず、文鮮明先生を知らなければなりません。ですから、「統一原理」を詳しくお聞きになり、心のお示しを待ってみてください。心は皆さんの最も貴い先生です。神様は、キリスト教だけの父母ではありません。皆さんすべての父母であられます。
(2002年4月7日)
お釈迦様がヒンドゥー教指導者たちに
ヒンドゥー教指導者の皆さん!私は釈迦です。仏教界の指導者、釈迦です。地上で神様を教えることができず、人間の創造主が神様だということも諭せませんでした。このような釈迦を神様はお許しになり、愛してくださって、私も途方もない聖人たちと一つ所で集いをもつようになりました。
ヒンドゥー教指導者の皆さん!人間は一人一人、神を求めています。その存在が誰であろうと、神様であろうと、ほかの神であろうとです。人間はなぜ神を求めていますか。それは誰も例外のない人間の共通の事実です。時代と環境によって私たちが出会った神の姿は違うとしても、神を見いだそうとする本性が、正に人間にあります。このような本性の原因者が誰であろうと、私たちはそのお方を知らなければなりません。そして、探し出さなければなりません。
ヒンドゥー教指導者の皆さん、釈迦がキリスト教の教えと「統一原理」を聞くまで、少なからず困難がありました。皆さん、人間の姿と構造が同じだというのは、父母が同一だという意味です。私たち、四大聖人たちと聖賢たちは、みな一つとなり、自らの見解を討論し、地上世界と天上世界の平和のために、何度も集いをもちました。私たち自身の教えは互いに異なるようですが、結局、一つでした。「統一原理」はそれをよく指摘しています。人生の根本を教え諭しています。それから、私たち、四大聖人と聖賢たちは、ヒンドゥー教の皆さんを積極的に助けるつもりです。そして、私たちが互いに愛し合い、一つになることを懇切に願います。最初は、皆さんの思想と多少違うとしても、最後まで耐えて聞いてくださるようにお願いします。
(2002年4月7日)
ヤージュニャヴァルキャ(Yajnaval kya)(『白ヤジュル・ヴェーダ』を執筆した古代賢人)
四大聖人たちの指導を受けながら、「統一原理」の教えに従います
四大聖人たちと聖賢たちが、ヒンドゥー教のために、このように激励してくださって感謝します。特に、ムハンマド様は何度もここに来られて、「愛しています。私たちは互いに愛し合いましょう。私たちが互いに愛し合えば、地上でも互いに愛し合い、一つになります!」とお話ししてくださって、とても感謝し、感激しました。また、四大聖人たちが互いに尊敬し合い、互いに一つになっている姿は、とても美しいものでした。彼らはみな、彼らが一つになったのは「統一原理」があるからだと、ずっとお話しされ、私、ヤージュニャヴァルキヤは、最初から「統一原理」に対する好奇心を強くもちました。
私が神様と呼べば、神様は訪ねてこられますか。このような教えは一度も聞いたことがなく、とても不慣れです。ヒンドゥー教徒はみな、遠い国から初めてここに訪ねてきたかのようです。私たち、ヒンドゥー教において、「統一原理」はとても難しいものです。そして、神様が恐ろしいです。罪人でない罪人のような気分です。しかし、四大聖人たちが一つになるまでの苦衷を話してくださり、私にはとても大きな慰めになりました。私たちは、四大聖人たちの姿に似て、その指導を受けながら、「統一原理」の教えに従おうと思います。そして今は、「統一原理」がとても不慣れですが、私たちはそれを熱心に勉強したいと思います。また、私たちは、指導されているという地上の文鮮明先生を、詳しく見極めたいと思います。ありがとうございました。
ヤージュニャヴァルキヤ(2002年4月14日)
シュヴェータケートゥ(Svetaketu)(紀元前八00年、ヒンドゥー教の真理書『ウパニシャッド」に記録された聖人)
「統一原理」はヒンドゥー教の経典になるでしょう
人間を創造された神様が明らかにいらっしゃるにもかかわらず、私たちはそれを知らずに生きてきたというから、あまりにも愚かな人生を送ったように思います。私たちを生んでくれた肉身の父母がいたのに、その父母を知らずに、人の父母をうらやましがり、仕えてきたようなものです。「統一原理」はただ何も考えずに聞けば、理解し難いと思います。それは、ある一分野ではない、膨大な分野を扱っています。「統一原理」の全般的内容は、人間ならば誰しも、必ず熟知すべき教えです。それは大部分のヒンドゥー教徒たちにひどくなじみがありませんが、ヒンドゥー教徒の生活に絶対必要な真理だと思います。
これまでヒンドゥー教徒の信仰生活は、相当、散漫でした。ヒンドゥー教徒だけが仕える唯一神もなく、絶対的な経典もない中で、自由な信仰をしていました。私たちは今、「統一原理」セミナーを通して、絶対者、神様が誰なのかはっきりと知りました。神様を胸深く悟ることはできませんでしたが、理論的にはっきりと知るようになりました。私、シュヴェータケートゥは、人生において歩むべき公式を体得しました。それから、まだ「統一原理」を深く理解することはできていませんが、「統一原理」は、私たちヒンドゥー教の経典になり得ると思います。「統一原理」を明らかにされた文鮮明先生は、私たちヒンドゥー教の真の父母様となられることを信じます。大変、ありがとうございました。
シュヴェータケートゥ(2002年4月9日)
マイトリ(Maitri.)(紀元前800年、ヒンドゥー教の真理書『ウパニシャッド」一に記録された聖人
私たちの行動の方向を、はっきり定めるつもりです
ヒンドゥー教徒たちに、このようにあふれんばかりの愛を施してくださり、心から感謝いたします。温かい愛と配慮で私たちの手をつかんでくださり、激励してくださる四大聖人たちの姿を体験すれば、私たちは「統一原理」を聞かなくても、それが意味するところを十分に理解することができるでしょう。私、マイトリは、ヒンドゥー教徒たちからも受けられなかった温かい愛と理解を、四大聖人たちから受けました。四大聖人たちは等しく、「統一原理」を理解するようになれば、神様と人間、人生、そして歴史に対する質問がなくなるとおっしゃりながら、真正な愛で私たちを見守ってくださいました。私は生まれて初めて、満ち足りた感情を体験しました。私たちは、統一原理を聞く前から、そのような気分で「統一原理」の講義に臨むようになりました。
果たして、「統一原理」は文字どおり、「統一原理」であることを自覚しました。今回の教育の場は、人間が歩むべき公式的な道を案内する修練場です。「統一原理」はヒンドゥー教だけでなく、あらゆる宗教者たちが必ず理解すべき生活の指針書です。それから、人間を創造された神様がただお一人だけなのに、人間個々人、あるいは、ある共同体が神様のみ旨と異なる道を歩むとすれば、それは間違った道であることでしょう。私は、誰にでも「統一原理」を勧めたいと思います。「統一原理」は本当に不思議で、驚くべき内容を教えています。そして、宇宙と人生に対するはっきりとした教えがあるにもかかわらず、私たちはそれを全く知らずに生きてきました。
このようにとてつもない教えを明らかにされたお方は、文鮮明先生だと、講師たちは紹介しました。神でない人間が、これを明らかにしたというから、本当に驚くべき事実であらざるを得ません。講師たちによれば、神様がそのお方に、「真の父母」という称号をお与えになったということです。私たちに、今、指導を受けるべき真の師と真の指導者がいらっしゃるので、とても有り難いです。今は多少、落ち着かず、慣れませんが、私たちは根本的な核心を知ったので、私たちの行動の方向をはっきりと定めるつもりです。
マイトリ(2002年4月10日)
カウシータキ(Kamsi,taki)(紀元前800年、ヒンドゥー教の真理書『ウパニシャッド』に記録された聖人)
ヒンドゥー教徒は神様の前に申し訳ないこと、極まりありません
人間が神様から造られた被造物のうち、最も高次元の存在として、神様が最も愛する子女の格位に位置することを悟るようになりました。ヒンドゥー教徒が神様の前に不孝中の不孝を犯したことを知るようになりました。私、カウシータキが「統一原理」を聞くようになった根本的な動機は、四大聖人たちの愛とお話にありますが、聞いてみて、「統一原理」自体は、誰もが聞かなければならない、人間の貴重な真理であることを悟るようになりました。ややもすると、この事実を知らずに通り過ぎそうになりました。私たち人間は、今まで真理を求め、さまよって生きてきました。しかし、正しい指導者の正しい教えを受けられず、さまよっているうちに、ヒンドゥー教徒たちは様々な神を見いだすようになりました。
これまで神様は、様々な神に仕える人々を、数限りなく待ってこられたようでした。私たちヒンドゥー教徒は、神様の前に申し訳ないこと、極まりありません。多くの歳月の間、神様に仕えることができず、無為な生活を過ごしました。流れていった歳月がとてももったいなく思われます。しかし、神様は父母なので、子女を捨てず、探してくださり、待ってくださいました。教団の責任者もなく、私たちの勝手に生きてきたヒンドゥー教徒たちを、四大聖人たちがこまめに面倒を見てくださり、いちいち準備してくださったので、私たちは何の弁明ができるでしょうか。有り難い、光栄な気持ちをもって、「統一原理」の教えに従っていこうと思います。
そして私たちは、「統一原理」を明らかにされ、私たちを導いてくださる文鮮明先生、真の父母様のみ旨に従っていくことでしょう。そして、文鮮明先生を真の父母様として侍って歩む道が、人間の人生の終着地だと詳しく指導してくださった四大聖人たちに、心から感謝いたします。「統一原理」の講師の方々、本当にお疲れ様でした。私たちに対して特別に配慮してくださり、愛してくださりながら、新しい真理を紹介してくださいましたが、多くの感動を受けました。
カウシータキ(2002年4月11日)
ア―ル二(Aruni)(紀元前800年、ヒンドゥー教の真理書『ウパニシャッド』に記録された聖人)
神様に侍り、正しい道を行くことでしょう
私、アールニがこのように貴い名簿に記録されたことを、栄光の中の栄光と考えます。「統一原理」は私に新しい生命を与えました。人間の正しい指導者を見いだすために、そして生命と人間の尊厳性を正しく理解するために、私自身は少なからず努力しましたが、ようやく見いだすことができました。あふれんばかりの感動と興奮、それが私のすべてです。人間には二つの部類があると思います。神の存在を認定し、神に依存する人間と、神はいないと主張する人間が、それです。私たち人間は、神様の前に不足な点が少なくありませんが、それでも後者よりは、前者がより甲斐のある人生だと思います!
今まで、ヒンドゥー教徒たちの人生の姿を客観的に見ると、本当にかわいそうで、けなげでした。とてつもない祭物を捧げ、あらゆる精誠を捧げながら、ひれ伏して切に求める凄絶な姿は、ほかでもない、神様を求めようとする人間の本性の発露だと思います。ですから、神様、ヒンドゥー教徒たちをも哀れにお思いください。今、私たちも、新しい真理を諭してくださったので、神様に侍り、正しい道を行くことでしょう。神様が私たちを訪ねてこられるまで、多くの歳月がかかりましたが、今、私たちは、私たちの父母が誰かを知りました。そして、この道に導かれた文鮮明先生が誰なのかも知りました。真の父母様、お会いしたことはありませんが、本当にお疲れ様でした。感謝いたします。様々な種類の混沌と葛藤の中から正道を見いだしてくださり、おそれ多く、また感謝いたします。
アールニ(2002年4月11日)
マンドゥーキヤ(Mandukya)(紀元前800年、ヒンドゥー 教の真理書「ウパニシャッド」に記録された聖人)
「統一原理」は人類の平和思想です
「統一原理」に接することのできる機会を下さった神様に、感謝申し上げます!人間が生きていく根本的な道理は、創造主、神様を知り、侍って暮らすことであり、悟れば簡単なことでしたが、創造主を知らなかったために、あちらこちらにさまよいました。あたかも物品の主人公を知らなければ、その物品の用途が分からないように、私たち人間は、そのように生きてきました。ヒンドゥー教徒たちは様々な神に仕えます。したがってヒンドゥー教徒には、様々な次元の神観があります。一人一人、自己中心的な神観と思想と哲学をもち、互いに頑強に主張しています。しかし、私、マーンドゥーキヤは、それを通しては、人生の根本を十分に解明した思想や哲学を経験することはできませんでした。
四大聖人たちは、文字どおり、人類歴史の偉大な聖人たちであるにもかかわらず、自分たちの教えを離れ、神様に侍り、一つとなり、私たちを激励していらっしゃいました。そのような姿を見るとき、「統一原理」の偉大性を推し量るに値するものでした。私が「統一原理」を直接聞いてみて、それは人類が従うべき当然の教えであり、全世界の人々の経典にならなければならないと考えます。子女には父母は一人だけなのに、いつも散り散りになり、互いに事情を知らずに生きたので、父母と子女の間に愛がなかったのです。さらには、父母のいない中、子供たちは互いに、自分のことが正しいといって、争っているのです。
「統一原理」が人類を一つにできる平和思想であることは、確かです!四大聖人たちを一つに統一させたのを見ると、「統一原理」は確かにそのようにならざるを得ないでしょう。このように偉大な思想を明らかにされた文鮮明先生、真の父母様、本当にお疲れ様でした!真の父母様、全人類から栄光をお受けくださるよう、懇切にお願いします。私は「統一原理」のすべての教えに従います。感謝いたします。
マーンドゥーキヤ(2002年4月12日)
ピッパラーダ(Pippalada)(紀元前500年ヒンドゥー教の真理書『ウパニジャッド』に記録された聖人)
私たちは、「統一原理』の教えに従って生きることを決断しました
神様は私たち人類の父母であり、私たちは神様の子女だという事は、ピッパラーダにあまりにも大きな衝撃を与えました!私は神様に侍ることも、迎えることもできませんでした。その上、神様が人類の父母だという事は、想像さえしたことがありませんでした。このような不孝者たちを、神様はみな呼んでくださり、今も、おしかりにならず、条件なく受け入れてくださり、そして愛してくださいました!神様に心から感謝いたします!「統一原理」は、私の誤った過ぎし過去をたびに、私のあらゆる悪習が抜けていき、そこに新しい芽が芽生えるかのようでした!バシバシとたたきました。そのたびに、私のあらゆる悪習が抜けていき、そこに新しい芽が芽生えるかのようでした!私は神様の前に限りなく清く、はにかんだ姿で、つつましく立っている少女になったかのようです!私は心の中で祈りました。「神様、私は服も着替えることができずにまいりました!知らせをようやく聞いて、急いで駆けてまいりました!私のお父様がここにいらっしゃると聞きました!」
「文鮮明先生は私たちを導かれる真の父母様だ」と、講師は紹介しました!そのお方に直接お会いしたことはありませんが、どのように感謝をお捧げすべきか分かりません!「統一原理」は、人間が必ず歩むべき公式です!これまでのヒンドゥー教徒たちの人生をお許しくださったので、私たちをこの場に呼んでくださったのではないでしょうか!ヒンドゥー教徒たちに新しい人生の方向を提示してくださったことに、心から感謝をいたします!特に、熱い父母の愛を体験して、とても感激しています!今や、私たちヒンドゥー教徒たちがばらばらに生きてきた人生を再び一つになるようにしてくださったので、私たちも、「統一思想」と「統一原理」の教えに従って生きることを決断しました!ありがとうございました!
ピッパラーダ(2002年4月12日)