み言に学ぶ統一原理【後編】
緒論について
第一節 蕩減復帰原理
蕩減復帰
救援摂理は復帰摂理
神様はなぜアダムとエバを造られたのでしょうか。体をまとうためであり、愛を完成するためでした。このようなみ旨の中でアダムとエバを造り、アダムとエバが完成して1つになれる愛の時代になれば、神様が臨在して完全に人類の愛の父母となり、霊的な世界においては、実体をもって臨むことができる道が開かれます。そして、実体世界においては、アダムとエバが神様の形状的実体をもった父母として君臨するようになるのです。そのように、実体を通して子女を繁殖し、それを通して霊界と連結させることがアダムとエバを造った目的でした。
そうすることによって、神様の愛を中心として人類の真の父母となり、実体の父母として生きて霊界に行けば、父母の位置が顕現されるようになっていたのです。このようなことを望まれた神様は、創造理想であるこの基準に向かって成就させようとしたのですが、堕落によってこれが完全に壊されてしまいました。
神様は絶対者でいらっしゃるがゆえに、志したものを成就しなければならず、成し遂げようとされたみ旨を必ず成就しなければならない方でいらっしゃるがゆえに、これを再び収拾し、再生工場で修理して、本然の神様の愛を受けることができ、堕落していなかったとき以上の基準にアダムを再整備しなければならず、エバを再び造り上げなければなりません。そして、復帰された父母として連結させ、子女を取り戻さなければならない立場です。そのような立場に立っているので、救援摂理というものが始まったのです。(1981・5・14)
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堕落とは何でしょうか。原理で言えば、無原理圏内に落ちたことを意味します。原理とは何の関係もなくなったのです。無原理圏に落ちた人間は、何の価値もない土の塊と同じです。無原理圏とは、神様が創造を始める前の状態を意味するのです。このような状態に落ちた人間に、神様が創造されたその過程を再び適用しなければ、人間を創造理想の実体として再現することはできません。(1973・7・29)
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堕落した人間は体を壊したのと同じです。体が壊れたので医者が必要です。それで救援摂理です。病気で死にかかっている人が病院に行って治れば、「救われた」と言います。ですから、病気になる前に戻らなければなりません。それを端的に言えば、神様の救援摂理は復帰摂理だということです。
復帰摂理をするには、大ざっぱな計算で復帰するのではありません。ブループリント(青写真)がなければなりません。本来人間はこうでなければならない、というプログラムがなければならないのです。創造の原則がなければならないというのです。ですから、復帰摂理は再創造摂理です。(1990・6・27)
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神様は、どのようにしてでも本来計画された真の愛の理想を回復されなければなりません。神様の救援摂理のために宗教を立てられ、善の版図を広げてきました。神様が送られるメシヤは、この復帰摂理を完結する総責任を担って来られる方です。したがって、メシヤは真の父母として来られなければなりません。真の父母の使命は、人類を真の愛で重生させ、真の人に回復させて真の夫婦、真の父母になるようにすることです。(1995・8・22)
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私たちは、サタンから生まれた堕落した人間なので、サタンの愛から出発しました。それで、神様の愛と真の父母を中心とした愛の因縁をもつことができなかったので、真の父母の息子、娘になることができなかったというのです。結局、メシヤとは何でしょうか。真の父母です。
それでは、なぜ真の父母の愛を必要とするのですか。私が真の父母の愛を通して再び生まれなければ、生命が出発することができないからです。生命は、愛によって出発するのです。ところが、私たちは、堕落した生命から出発したので、これを否定して真の父母の愛と因縁を結ぼうとするので、真の父母の愛を求めるのです。それで、メシヤが必要なのです。(1973・3・4)
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神様の目から見れば、堕落した世界は霊的死の世界です。神様は、死の世界を生命の世界へと蕩減復帰しようというみ旨をもっていらっしゃいます。復帰とは救援の異なる表現です。本来の理想的な状態を喪失したときには、これを復帰しなければなりません。健康な人が病気にかかれば、医者が来て、再び本来の健康な状態へと回復させてあげなければなりません。同じように、神様が意図された本来の創造理想が喪失してしまったので、神様は、この堕落した世界を原罪のない本来の状態へと復帰させなければならないのです。
これを成就するために、神様はメシヤを送られます。しかし、メシヤが来る前に、神様は、特別に選んだ人々を通してメシヤを迎える準備をさせます。これを聖書では、ます。
野生のオリーブの木の果樹園として表現しています。野生のオリーブの木の果樹園は、堕落した領域の中で神様が以前と同じように指示し、統制できる特定の区域を象徴しています。これが準備されたのちにメシヤが来ます。メシヤは、神様の果樹園から野生のオリーブの木をすべて刈り取り、ここに命の真の枝を接ぎ木します。このようにすることによって、野生のオリーブの木はすべて真のオリーブの木になります。そのようにして人間は、本来の状態へと復帰されるのです。
今日の信仰者たちは、正に神様の果樹園にいる野生のオリーブの木です。しかし、最も篤実な信仰者であっても、神様の真の血統をまだ受けることができないでいるので、依然としてメシヤを求めなければなりません。メシヤは、人類の真の父母としてこの世に来て、本来のアダムとエバの位置に人間を復帰させてあげなければなりません。したがって、神様の真の血統と連結されるためには、メシヤであられる真の父母と一つになって真の愛を受けなければなりません。このようにすることによって、すべての人は神様の真の息子、娘となることができます。このような方法でメシヤは人類を救援してくださるのです。
メシヤは真の父母の立場から、悪い種から育った木を根こそぎ抜き取ってサタンを屈服させなければなりません。そのようにして、メシヤは真の愛の中で人類を神様と一つになるように連結し、すべての人を神様の真の息子、娘にしなければなりません。このような方法で、地上天国が建設され、人類はついに本当の自由を享有できるようになるのです。(1990・4・9)
堕落した人間の立場
私たち人間の始祖が堕落することにより、人間は善と悪の中間位置に置かれるようになりました。ですから、善の人になることもでき、悪の人になることもできるのです。一歩右側に行けば善の人になることができるのであり、一歩左側に行けば悪の人になることができます。このように相反した二人の主人から、相反した二つの目的に支配されているのが私たち一人一人です。(1971・2・13)
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「私」という存在について見てみると、私自体も私一人を中心として、思いどおりにできる自分になることができずにいます。自分自らの一念で年頭には「1年間、このようにしなければならない」と誓いますが、願うその志は成し遂げられず、願わないことをより多くするようになるのを、私たちは日常生活で見るようになります。それで1年が過ぎ去ってから回想してみれば、その1年の中には後悔する時が多いことを感じるようになります。
私が願う所へ行かないで、願わない所へ行くようになるのはなぜでしょうか。それは、私が願う所へ行くように引っ張ってくれる力よりも、願わない所に引っ張るより強い力があるためです。すなわち、「私」という個体は、善と悪の中間位置に置かれているのです。善と悪の中間の立場に立っているというのです。ですから、私の個体は、善の支配も受けるのであり、悪の支配も受けるのです。この2つの分岐線が皆さんの個体を中心として連結されています。(1971・2・13)
蕩減復帰とは
蕩減復帰とは何を意味するのですか。何であっても、その本然の位置と状態を喪失したとき、それらを本来の位置と状態に復帰するには、必ずそこに必要なある条件を立てなければならないということを意味するのです。このような条件を立てることを蕩減といいます。しかし、一般社会では、蕩減という言葉をそのように重要視していません。言葉はありますが、その内容をよく知らずにいるからです。天と地、神様と私たち人間だけならば、このような蕩減という言葉は必要ないはずです。私たちの最初の先祖を堕落させたサタンがいるから必要なのです。(2002・8・10)
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復帰しようとすれば蕩減が必要です。蕩減とは何でしょうか。「蕩」という字は、溶かして削って、小さくするという意味です。ですから、様々な損害を被ることによって罪を削って、小さくするのが蕩減だということです。(2002・8・15)
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蕩減というものは、あることに対して、犠牲の条件を代わりに立てて越えていくことです。10の損害を被れば、何らかの条件を立てて10以上の利益をもたらして、初めて蕩減になるのです。(1970・3・14)
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蕩減は何によって成立するのでしょうか。祭物によって蕩減という結果が成就するのです。皆さんは蕩減復帰という言葉はよく語りますが、祭物という認識からは離れています。祭物がなければ蕩減復帰が成立しません。蕩減にならないのです。ですから、蕩減は祭物を通してしなければならないのですが、これは必ず裂かれなければなりません。(1971・8・30)
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蕩減復帰の過程では、絶対に神様も後援しないし、教会も後援しないので、1人でしなければなりません。助けてあげたら蕩減になりません。どうしてですか。人間の責任分担という原則があるので、その原則において、助けては蕩減にならないからです。それを助けることができたならば、人間が堕落するとき、神様が干渉して堕落しないようにしたでしょう。人間の責任分担があるからできなかったのです。(1983・3・1)
蕩減条件
私たち堕落した人間は、善を追求するにおいて、善を追求してその道に従っていくといっても、誰もがその目的を達成できるようにはなっていないのです。善の主体であられる神様がいらっしゃり、ここに相反した悪の主体であるサタンがいるので、神様とサタンの間で、神様とサタンが認める条件を立てなければ、方向転換して善の立場を求めていくことができません。
言い換えれば、今日の立場からより良い善の立場に出ていくためには、それに相応するある代価を払わなければならないのです。そうでなければ、より良い善の立場に到達できません。ですから、それに相応する内容の蕩減条件を神様が提示するか、人間が提示するかしなければならないというのが原則です。(1971・9・5)
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今までこの歴史を誰が動かしてきましたか。サタンが動かしてきました。ですからサタンを分別しなければなりません。サタンを取り除かなければ、神様は入ってこられないのです。神様の領土ではなくサタンの領土なので、堕落した圏内から蕩減条件を立ててサタンを分別しなければならないのです。追放し得る蕩減条件を立てなければ、神様の領域が拡大され神様が活動できる基盤を築くことができません。(1987・2・4)
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サタンをどのように分別させるのでしょうか。蕩減条件を立てることができる立場に立ったアダムの、代わりの存在にならなければなりません。ですから本然の基準において責任分担を完成した資格者となったアダムの位置で、真の愛を中心としてサタンと対決し、サタン側で愛するよりも天の側でもっと愛したという条件を立てることによって分別が行われるのです。ここに蕩減条件が成立することを知らなければなりません。
サタンは環境を支配しているので、中傷、謀略をして、どんな手段を使ってでも切ってしまおうとするのです。しかし、その環境を克服して、どんなことがあっても神様に代わってアダムが失った責任分担を取り戻せば間違いありません。それは永遠のものです。そして、神様を愛することにおいて、誰が何と言っても絶対に間違いないと言える基準を立てなければ蕩減ができないというのです。(1987・2・4)
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アダムが責任分担を果たすことができなかったので、責任分担を果たすにおいて、私たちが誰かの協助を受けてはその使命を完遂できない立場にいます。最後の決定は私たち自身がするのです。言い換えれば、善の人になるのか、悪の人になるのか、ということを決定するのは、神様がしてくださるのではなく、私たち自身がしなければならないのです。(1970・3・14)
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人間が堕落することによって、どんな結果が現れたのでしょうか。人間世界から神様が追放され、天使世界が追放され、万物世界を失って、その次には個人基準、家庭基準、氏族、民族、国家、世界基準をすべて失ってしまいました。その責任は誰にあるのでしょうか。その責任は神様にあるのでもありません。天使世界にあるのでもありません。万物にあるのでもありません。人間にあるのです。このような結果が現れたのは人間の責任です。ですから人間は、自分たちが責任をもって復帰路程を歩んでいくべき運命に置かれているのです。(1978・10・22)
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蕩減条件は、神様がお立てになるのではなく、人間が立てなければなりません。病気になった人が病気を治すためには、薬が苦くて飲みたくなくても飲まなければならないのです。「良薬口に苦し」です。苦いものが本当の薬になるのです。蕩減条件を立てるのは、苦い薬を飲むように難しいことです。しかし、蕩減条件を立てなければ復帰できません。(1977・4・18)
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蕩減というものは、必ず反対に払っていかなければなりません。救援摂理は蕩減復帰です。そして、蕩減復帰の路程は再創造摂理です。そのまま上がっていくことはできません。落ちたのなら、落ちたとおりに上がっていかなければならないのです。それが道理であり、公式です。ブループリント(青写真、設計図)によって工場で生産されたものが故障すれば、再びブループリントを通して製作されなければならないのと同じです。(1995・10・29)
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蕩減条件というものは、私たちにとっては有り難い恩賜です。95パーセントは神様の責任であり、5パーセントは人間の責任です。これをまるで公式のように考えるかもしれませんが、私たちがこのような条件的な蕩減をするということは、とても悲しいことです。その条件的な蕩減を条件的な蕩減ではない基準まで引き上げるためには、その背後で神様の苦労が介在されなければならないのです。なぜなら、私たちが堕落した先祖の子孫として生まれたからです。(1970・3・14)
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一人で暮らす善良な寡婦が、亡くなった夫の負債を払わなければならない立場にいるとき、周りの人がすべて同情するようになります。そして、そのうわさが債権者にも届き、同じように同情して、「大勢の人たちが願うとおりに私がしてあげなければならない」と考え、負債の一部だけを返済することで全額を支払ったとみなしてくれることがあるのです。このような立場に立つとき、蕩減されたといいます。小さい条件的なお金で多くのお金を支払ったものとして扱うようになるとき、それを蕩減条件金というのです。(1994・11・10)
蕩減条件と絶対信仰、絶対愛、絶対服従
蕩減復帰するには、反対にしなければなりません。それで絶対信仰が出てきたのです。人類の先祖が不信して堕落したので、これを踏み越えていかなければなりません。私たちの先祖が堕落したその線以上に上がっていかなければならないので、絶対信仰をしなければなりません。絶対信仰の限界とはどこでしょうか。死んでも行くということです。(1983・4・10)
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蕩減は、何を中心としてするのでしょうか。蕩減の内容とは何でしょうか。サタンをより愛するのか、神様をより愛するのかという愛の問題です。すべてのことが愛の問題です。ですから蕩減するには、神様を絶対に信奉しなければなりません。サタンは神様を信奉せずに背信したというのです。途中で神様を背信しました。ですから、 まず蕩減の道を行くに当たって、信仰や行動が絶対的でなければなりません。(1990・10・14)
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サタンを防御するには、神様を誰よりも愛さなければなりません。この世界の誰よりも愛して、宇宙を誰よりも愛さなければなりません。自分よりも愛さなければなりません。自分は堕落した人間なので、自分より愛さなければならないのです。サタンは神様より自分を愛し、世界より自分を愛しました。それがサタンです。(1986・10・8)
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今までの道人たちは、何を中心に生活してきましたか。イエス様もかわいそうな人です。人間的に見れば何の主張もない人です。夜も昼も神様のみ旨だけをもって、自分の思いはないのです。神様のみ旨の前に絶対服従でした。なぜ絶対服従したのでしょうか。絶対的な主体がいるにもかかわらず、もう一つの主体圏を成したのがサタンなので、そのサタンを取り除くためにそうしたのです。 今日の人間は、サタン圏の中に隷属しています。サタン圏内に隷属している人間を脱出させるためには、サタンが一番嫌がる道を行かなければならないのです。それで宗教は、良心を中心に絶対服従しなさいと言うのです。(1972・5・29)
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絶対的に服従することは、滅亡することではありません。服従したらどうなりますか。一つになります。一つになったらどうなるのでしょうか。悪は反発するのです。 完全に一つになっているので、悪は反発します。それで悪を取り除くことができるというのです。これが原則です。(1972・5・29)
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神様は宇宙を創造されるとき、絶対信仰をもって造られました。さらに、神様は私たち人間を愛の絶対的パートナーとして造られました。絶対従順とは、自分自身までもすべてなくして完全投入することを言います。このように投入しては忘れ、投入しては忘れ、最後には自分という概念まですべてなくなるゼロ・ポイントになるのです。
愛を否定されてももっと愛し、投入してももっと投入してこそ、怨讐を真の愛で自然屈伏させる位置まで進むようになるのです。神様がそのような道を歩んでこられ、天地父母がそのような道を歩んできたのです。投入して忘れてしまい、投入して忘れてしまうことを続ける人が中心者となり、全体の相続者となり、孝子の中の孝子となります。(2000・1・11)
メシヤのための基台
信仰基台
私たちは、神様や創造本然の理想と関係を結ぶことができない人間になってしまいました。私たちが、再びその位置に戻るためには、神様を中心として再びつくり出される信仰と実体と心情の内的な因縁を経なければなりません。
それでは、なぜ私たちに信仰が必要なのでしょうか。「取って食べるな」という神様のみ言を守らずにみ言を失ってしまったからです。不信によってみ言を失ってしまったので、私たちは、再び信仰の基台を立てなければならないのです。信仰の基台というのは、何のための基台でしょうか。私たちの実体がその上にしっかりと立つことができるようにするためのものです。(1973・7・29)
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アダムが失ったものとは何でしょうか。最初は信仰を失い、その次は実体を失って、 その次に愛を失いました。この三つです。これを取り戻そうというのです。ところで、 この愛というものはメシヤが来てこそ取り戻すことができます。メシヤによって愛の道が開かれるので、まずメシヤと一つになってこそ、神様の愛の中で生まれた私の実体と、神様の愛の中にある信仰が決定するのです。ですから、「復帰」と言えば、常に信仰復帰、実体復帰、愛復帰という観念をきちんと入れておかなければなりません。
信仰を復帰するためには心と体が一つにならなければなりません。心と体が一つにならなければ、サタンを分立させる基台を立てることができません。私の心と体が一 つになれば、アダムが堕落していない本来の基準になっているためにサタンが離れていき、私と祭物が一つになることによって、本然の位置に立つことができるのです。(1973・3・4)
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信仰基台を立てるためには、数字が必要であり、摂理的中心者、つまりアダム側の人が必要であり、その次には条件物、この三つが必要です。一つは人、その次に、ノア時代の三層の船やアブラハム時代の三大祭物という条件物が必要であり、その次には数字が必要です。三日期間や四十日路程という、期間が必要なのです。いつでも祭物を捧げられるのではありません。自分が願うとおりにするのではなく、法が定めるとおりにしなければなりません。(1982・7・11)
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祭物を捧げるためには、必ず条件的な期間があります。そして、中心人物、選ばれた人物がいなければなりません。その次に、一定の期間内に捧げられなければ、祭物になることができません。一日遅れても、祭物になり得ないのです。期間を短縮するのはよいのですが、延長するのはいけません。短縮するのは完成の基準ですが、延長するのは未完成の基準なので、許されないのです。延長は許されません。延長すれば、 すべてのものがサタンのものになるのです。しかし、短縮すればサタンは讒訴できません。(1992・4・9)
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信仰基台が立てられたということは、神様を不信することによって堕落したのですが、条件的立場で神様が信じ得るアダムの立場、すなわち希望的なアダムの立場にもう一度立ったということです。このようになったのちには、サタンと闘って自然屈伏させて実体基台を立てなければなりません。(1971・2・6)
実体基台
メシヤには、一人では絶対に出会うことができません。カインとアベルが一つになって、初めて出会うことができるのです。堕落したために、私が二つになったのです。 私が二人になったのと同じです。ですから、二つになったものが一つにならなければなりません。堕落していない人にアベルとカインがいますか。アダムだけであり、アベルしかいません。しかし、アベルとカインの二人になったので、この二人が一つにならなければ本来のアダムの位置に行けないというのは絶対的です。(1973・3・4)
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私たちは堕落性をもっています。堕落性の四大項目は何ですか。驕慢と嫉妬、血気、 そして偽りです。驕慢、嫉妬、血気、偽り、これが堕落性です。皆さんもこれを脱がなければならないということです。これを脱ぐために、今まで断食をしたり様々なことをしてきたのです。これを脱ごうとすれば、復帰路程の審判時代においてどのようにしなければなりませんか。私自身がみ言で武装し、み言の実体にならなければなりません。(1960・9・4)
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皆さんは、真の愛で悪を屈服させて善を残し、悪が自動的に順応できる立場に立ってこそ、善の人になるのです。それを原理的に言えば実体基台の完成ということです。 (1972・6・6)
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実体基台はなぜ必要なのでしょうか。これが、いかなる讒訴の条件もない所で、神様の愛を受けることができ、その愛を成立させることができる基台だからです。 神様の愛を成立させることができる基台の上に立って、初めて神様と私たちが一つになるというのが原則なので、創造の偉業を成し遂げられた神様の立場と、創造された被造物との関係を、復帰の途上において再現しなければならないのが、神様と今日の復帰路程を経ていく私たちの立場です。(1973・7・29)
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堕落の影響は、個人だけでなく、家庭、社会、国家、世界、全宇宙に広がりました。
それで、楽園を失ってしまった人間が理想世界に行くためには、復帰の過程、すなわち再創造の過程を経なければなりません。しかし、人間は直接再創造の道に行くことができません。つまり、人間は堕落した経路を逆さまに上がっていき、蕩減路程を歩まなければならないのです。
アダムとエバ、天使長は、偽りの愛によって堕落して公的な路程を歩みませんでした。したがって、人間はサタンより神様をもっと愛し、罪悪を憎んで善を愛し、私的なものより公的なものをより優先しながら、心情を通じた回復の道を歩まなければならないのです。これは、決して架空の理論ではなく、実在的原理として、個々人が本心に従い、日常生活の肉的欲望の根源であるサタンを否定し、神様をこの上なく愛さなければならないことを意味しています。人間は、社会的次元で、家庭的、民族的、 国家的、世界的、宇宙的次元で、神様を中心とする犠牲、奉仕、真実と真の愛の実践を通して、貪欲、放縦、不信と偽りの愛など、悪の根拠を除去しなければなりません。
(1987・6・30)
メシヤのための基台
復帰の路程は、蘇生、長成、完成、すなわち旧約時代、新約時代、成約時代を経ていきます。原理のみ言を見れば、信仰基台、その次に実体基台、その次にメシヤのための基台があります。そのメシヤのための基台とは、どのような基台を言うのでしょうか。相対的対象の価値を備えた心情の基台をいうのです。(1973・7・29)
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堕落した父母によって生まれた人間は、アベルとカインが一つになったとしても、これはまだ血統的には完全に清算されていないのです。サタンの血統を受け継いだことにより、血統的にはまだ清算されていないのです。血統的に清算するには、必ずメシヤが必要です。それで信仰基台、実体基台、メシヤのための基台が、堕落した人間には絶対に必要です。最後の問題は、どのようにメシヤのための基台をつくり、メシヤを通じて自分が血統転換を成すのかということなのです。(1972・5・7)
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原罪の清算はどのようにしなければならないのでしょうか。真の父母がある条件を中心として祝福してあげなければなりません。祝福式の時に聖酒を飲むのが原罪を清算する儀式です。このような絶対的な内容を中心として、天と地においてサタン世界を分立していくのです。原理がそのようになっています。ですから、信仰基台を中心として実体基台を通過し、メシヤのための基台を立てなければなりません。(1970・8・16)
復帰摂理歴史と「私」
縦的な歴史を横的に蕩減復帰する「私」
今いる私たち個々人の存在というものは、私たちの過去二十年、三十年だけの結果ではありません。人類始祖アダムとエバからつながっているのです。川で例えれば、 急流や、広々とした川のゆるやかでとうとうとした流れ、滝、カーブなど、様々な状態や様相があります。そのような流れの一場面に当たるのが、今の私たち一人一人の存在です。(1975・7・13)
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私たちは、復帰途上の縦的な歴史を横的に蕩減しなければならない責任があります。アダム一人が成し遂げるべき基準を成し遂げられなかったので、再び家庭的アダム、氏族的アダム、民族的アダム、国家的アダム、世界的アダムが出てきて蕩減復帰をしなければなりません。私たちは、縦的な蕩減条件を横的に立てていくにおいて、個人的な闘いで勝利し、家庭的な闘いで勝利し、氏族的、民族的、国家的、世界的な闘いでも勝利しなければなりません。(1964・9・18)
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六千年に千年を合わせた七千年を、七年で蕩減するのです。これが公式なので、堕落した人間は、誰もが七年路程を経ていかなければなりません。この期間を越えれば、 どのようなことでも収拾が可能になります。その七年が、縦的な歴史を横的に蕩減するにおいてかかる期間です。この公式的な路程は、子女として誰もがみな歩んでいかなければなりません。(1967・11・20)
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現在の皆さんは歴史的結実体ですが、歴史的な氏族を中心とする結実体です。皆さんは、善の先祖たちがいて、その先祖たちの功績によって先生と出会ったのです。皆さん自身が先生に出会いたいと思ったから出会ったのでもなく、皆さん自身が優れているから出会ったのでもありません。皆さんが誰を通して生まれたとしても、その先祖が功績ある歴史の一分野と関係があるのです。
皆さんの目も、皆さんの目ではありません。誰であっても、その顔を見れば、彼の母親に似ていたり、彼の父親に似ていたり、彼の祖父に似ていたり、彼らの姿の一部分くらいは似ているのです。それをすべて分析してみれば、皆さんの数千代の先祖の血統がすべて宿っているのです。どの細胞でも、すべてそのようになっています。(1971・8・13)
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私たちは、どのような存在でしょうか。今日の私が生まれるまでに、神様が六千年間の世界的な闘いを経て苦労されたことを知らなければなりません。このような神様の苦労によって探し出された自分です。ですから、皆さんは、皆さんを育ててくださった神様の恩恵を忘却してはいけません。また、神様の苦労を身代わりした祭物だということを自ら感じられなければならないのです。
そして、皆さんを探し立てるための苦難の道、厳しく困難な闘いの道を経てこられ、 語ることのできない神様の怨恨と嘆息があったことと、数千、数万の先祖たちの血の犠牲があったという事実を知らなければなりません。それだけでなく、私たちを救ってあげるために苦労された神様の愛の心情を感じることができる息子、娘にならなければなりません。(1957・6・23)
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皆さんは、自分の心と体と万物を収拾しなければなりません。自分の心の中に神様の愛が臨在できなければならず、体はこの地でイエス様が実践していたようにしなければなりません。イエス様と聖霊が二千年間役事していた内容を実践しなければならないというのです。このような立場で先生は、世界的な使命を果たし、皆さんは氏族的な使命を果たさなければなりません。全体が行くことのできる道を先生が築いておきましたが、これからは皆さんが収拾していかなければなりません。(1968・11・10)
復帰原理を学ぶ目的
復帰原理を通して、私たちは何をするのでしょうか。悲しい歴史過程を終結するために精誠を尽くし、蕩減条件を立てなければなりません。そして、アダム家庭でアダムを失ってしまった神様の、その悲しみに同参しなければならず、カインが最後の結実を結ばなければならないにもかかわらず、アベルを殺害することによって神様に釘を打ちつけたその悲しみを忘れさせ、ノアが百二十年間苦労して忠誠を尽くしたにもかかわらず、一時に破壊されたその悲しみを忘れるようにしなければなりません。
また、アブラハム、イサク、ヤコブの三代にわたって苦労した心情的な内容を知らなければなりません。そして、モーセからイエス様まで、二千年間続いてきた神様の悲しみに同参できなければならないのです。そのようにするために、神様の心情を皆さんに植えつけてあげるためのものが復帰原理です。(1967・1・29)
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復帰原理を学んで、復帰それ自体を知ることが問題ではありません。復帰原理を動かし、摂理してきた神様がどのような方なのか、ということを知るのが目的です。そして、神様がある悲しみを抱いて、こうして私のために苦労したという事実をはっきりと知り、私よりもはるかに偉大で尊い方が私のためにこのように苦労したという事実が、あまりに途方もないことだと感じるようになるとき、それ自体が私にとって力の母体になり得るというのです。(1967・4・10)
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アダムが堕落によって神様を悲しませた事実、カインがアベルに従順でなかった罪、ノアを中心とする摂理においてのハムの失敗、アブラハムを中心とする曲折の歴史、モーセを中心とする悲しみの歴史、イエス様を中心とする恨の歴史、このような憤懣(ふんまん)やる方ない歴史と、皆さん自身の立場まで蕩減しなければなりません。
アダムの悲しかったことと、アベルの悲しかったこと、ノアとハムの悲しかったこと、アブラハムやモーセの悲しかったことを代わりに蕩減し、神様が希望として御覧になることができるようにしなければなりません。これが皆さんの責任です。アダムやアベル、ノア、アブラハム、モーセ、またイエス様の事情と心情を体恤し、「お父様、 私は、彼らのような立場にはなりません。洗礼ヨハネやイエス様のような境遇にはなりません。神様を悲しませる群れにはなりません」と言わなければならないのです。 今まで先祖たちができなかった忠誠で、神様の前に希望をお返ししてさしあげようという覚悟がなければなりません。
それだけでなく、「神様、アダムに与えたいと思われたものが何だったのでしょうか。 祝福の因縁を残してくださいますように」と言うことができなければなりません。ノア、アブラハム、モーセなどの使命者たちが結びたいと思っていた心情の因縁を結ばなければなりません。歴史的な先祖たちが相続できなかった心情を相続しなければならないのです。(1962・4・19)
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ヤコブ路程はモーセ路程の典型であり、モーセ路程はイエス路程の典型であり、イエス路程は再臨主が行かなければならない典型路程です。それでは、再臨主路程は誰が模範として行かなければならない路程ですか。正に皆さんが行かなければならない路程です。再臨主が来る時まで、個人的なヤコブ路程は象徴的であり、民族的なモーセ路程は形象的であり、世界的なイエス路程は実体的です。
しかし、再臨主が実体的に蕩減するならば、皆さんは形象的に蕩減しなければならず、皆さんの子孫たちは象徴的に蕩減しなければなりません。そのようにして一周回って越えるのです。象徵的、形象的、実体的に越えて再び実体的、形象的、象徴的に戻る時、初めて世界は平和の世界に戻っていくのです。原理がそのようになっているというのです。(1969・2・2)
アダム家庭について
信仰基台
善悪分立摂理
本来人間は、神様の主管のみを受けるようになっています。神様のみが人間の主人でなければなりません。ところが、人間とサタンとが不倫の関係を結ぶことにより、人間に対してサタンが不倫の主人となってしまったのです。愛は統制力、支配力を伴うと原理が語っているように、たとえそれが不倫の愛であっても、サタンは、人間に対して、その所有権を主張するだけの力、あるいは権威や権利をもつというのです。しかし、創造原理によれば、あくまでも神様が本来の主人ですから、結局、この両者は共に人間に対して、その所有を主張することができることになります。
だからといってアダムを二つに切断して、神様とサタンの間で分け合うことは、物理的に不可能です。そこで神様は、原理的観点から、人間を二つに分立するために、あるルールを定められたのです。すなわち内的存在としての神様と、外的存在としての被造物という立場から、内外の関係、主体と対象の関係を中心として分立するというルールを定められました。そうして神様は、堕落したアダムを、生まれた二人の子供を通して分立されたのです。(1972・4・1)
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本来は、兄が神側として生まれなければなりませんでした。ところが、弟が神側として生まれました。この弟は何でしょうか。エバは天使長と愛の関係を結んだのちに、天使長が自分の夫ではないことを知って、アダムをだまして、アダムと再び愛の関係を結びました。つまり、エバは2つの愛の関係を結んだのです。ですから、息子はすべてアダムの息子ですが、エバがサタンと先に愛の関係を結んだので、サタンも愛を主管できる法度によって、アダムの血統を自分の血統であると主張できるようになりました。み旨的にも、本性的にも、そして、創造の法度から見ても、神様の息子にならなければならないのですが、結果的にサタンの息子になってしまったのです。
これを復帰するために、神様はカインとアベルを、1人を神側、もう1人をサタン側に分けて役事されたのです。誰をサタン側に立てたのでしょうか。長子をサタン側に立てました。なぜでしょうか。長子は、サタンとの最初の愛の表示体だからです。エバは、最初の愛の関係をサタンと結び、その次にアダムと愛の関係を結んだのです。
本来アダムは、成長すれば自然に愛の関係を結ぶようになっていました。それが原理です。ですから、原理の基準で見たとき、成長期間にアダムと愛の関係を結んだことは堕落の行動なのですが、それでもそれは赦される距離が近いのです。このような結果を中心として救援しなければならない神様は、創造本性の父母と主人の立場で、エバと愛の関係を結ぶことによって愛の主管権を主張できるようになった天使長とアダムに対して、愛を中心とする主管権を分けられました。それで2人の息子を立てられたのです。ゆる堕落したアダムとエバを半分に切れば死んでしまうので、2人の息子を生ませ、1人はサタンがもつようにされ、もう1人は神側に立てられたのです。これを復帰するためには、次子が長子の位置に行き、長子が次子の位置に行かなければなりません。逆さまにひっくり返さなければなりません。次子として生まれたアベルが長子になり、カインが次子の立場に立たなければならないのです。(1969・5・18)
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血統的に汚されたものを、神様が自分のものとして取ることはできません。結婚した女性が、夫が死んで再び結婚する場合、前の夫の写真や買ってくれた物を、二番目の夫が買ってくれた物以上に大切にすれば大変なことになるのです。新しい夫は、前の夫の影も形も見たくないというのです。
そのような観点から見るとき、神様が堕落したサタンの血統を受けた人を、自分のものとしてそのまま受け入れることはできないのです。蕩減復帰しなければなりません。罪を犯したので、それに該当する蕩減の道を経ていかなければならないのです。 それを救援するには、アダムとエバではできません。ですから、これを二つに分けて復帰するのです。(1993・10・8)
アベルが立てた信仰基台
本来は神様、人、天使長の順序になっていました。ところが、天使長がサタンになることによって、天使長の次に人という順序になったのです。逆さまになりました。神様、人、天使長でなければならないのに、神様、サタンである天使長、人の順序に、逆さまになっているというのです。
ここで神様は、復帰するときに順序に従って復帰しなければなりません。人を2番目に立てなければならない立場に立っているので、アダムの息子のカインとアベルを中心として、カインは天使長の代身者としてサタンの前に立て、アベルは人の位置に立てておいたのです。アベルを人の位置に立てたので、神様、人、天使長の位置に立て直さなければなりません。そのために、神様が2番目のアベルを天の側に立てて、最初のカインをアベルに屈服させることによって、神様、人、天使長の位置を再び取り戻すための役事を展開させたのです。
これをするために、神様はカインとアベルに「供え物を捧げなさい」と指示されました。本来、堕落していなければ、カインも神様の息子だったのですが、サタンが条件を掲げているのでサタン側に立てておき、アベルは条件的立場で神様の前に立て、祭物を通して完全に所有物を決定するための役事をしたのです。祭物とは何でしょうか。所有を決定するためのものです。言い換えれば、サタン側に該当すればサタンが所有し、神側に該当すれば神様が所有するのです。(1981・5·14)
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アベルになろうとすれば、第1に、神様のために生きる位置、神様の愛を受ける位置に行かなければなりません。その位置はアダムの位置なのですが、アダムの位置に行こうとすれば、神様の愛を継続して受けることができる人にならなければならないのです。ですから、神様が絶対に信じ、継続して愛することができる位置に行かなければ、アベルの位置に立てません。神様が自分を絶対に信じてくださるようにしようとするのですから、最も貴いものを祭物として捧げなければなりません。自分の体を自分の命の代わりに捧げて犠牲にしなければならないのです。それが信仰基台です。(1972・5・14)
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信仰基台は、どのように立てなければならないのでしょうか。神様の前に、サタンよりも優れた祭物の基準を立てなければなりません。サタンよりも優れた祭物を捧げなければならないのです。それでカインとアベルを通して祭物を捧げる出来事が展開するようになったのですが、そこでカインよりもアベルが優れていなければなりません。カインは何ですか。サタン側を象徴する基準です。ですから、天側を象徴するアベルがサタン側の基準を凌駕できなければ、サタン側の出発となったアダム以上の位置に上がっていくことはできないのです。(1972・6・6)
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アベルが本当のアベルとして選ばれる位置に立つ時までには、準備期間が必要です。言い換えれば、天側に立つのか立てないのかという期間が必要です。統一教会ではそれを「信仰基台を立てる期間」というのですが、その期間は供え物を捧げる期間です。
供え物を捧げるのは何のためかといえば、神様と人間が分かれてしまったので、再び心情的に絆を結び、また外的にも絆を結ぶためです。ですから、それができなければ祭物になれないのです。祭物は、それ自体のためにあるのではありません。祭物は必ず、祭物を受ける人と、捧げる人のためにあるのです。(1972・5・14)
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本来は、神様を中心としてアダムとエバが天使を主管しなければならなかったのですが、天使がアダムとエバを支配することによって逆さまになりました。それで、アダム側であり神側にいる2番目の息子を通して、天使長側でありサタン側にいるカインを屈服させることによって蕩減しようとしたのです。(1972・2・21)
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アダムが信仰を失って実体を失ったので、信仰基台を取り戻し、実体基台を確保したのちでなければ愛を見つけることができないのです。アダムが失ったものとは何でしょうか。最初は信仰を失い、その次は実体を失い、その次に愛を失いました。この三つです。これを取り戻そうというのです。(1973・3・4)
実体基台
神様は、なぜアベルの祭物だけを受け取って、カインの祭物は受け取られなかったのでしょうか。神様は、サタンに子女の所有権を奪われて、息子のいない立場で、息子を取り戻す方法としてアベルを神側に立てたので、当然アベルの祭物は受け取られなければなりません。では、なぜカインの祭物は受け取られなかったのでしょうか。カインの祭物を受け取らないというのが神様のみ旨ではありませんでした。受け取ることは受け取るのですが、「あなたはアベルを通して祭物を捧げなさい」というのが神様のみ旨でした。
それでは、なぜこのようになったのでしょうか。本来アダムは、神様の息子として、僕である天使長の主人にならなければなりませんでした。ところが堕落によって、主人であるアダムと、僕である天使長の立場が転倒してしまいました。逆さまになってしまったのです。そのようになったので、アダムがその本然の位置と権威を取り戻さなければならないのですが、そうするためには何らかの条件なくしては本来の位置と状態に復帰できないのです。(1980・11・18)
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アベルには、実体基台の使命を果たすと同時に、父母を復帰する責任があります。自分が信仰基台を完成すれば、実体基台の位置に上がっていきます。実体基台の位置に行ってカインを復帰すれば、父母が行く門まで開いてあげられるのです。
アベルが動機となって実体基台を復帰し、アベルが長子の位置で神様の心情を中心としてカインと一つになり、カインが「父よ、私はサタンの血統を受けたカインですが、私はそれが嫌です。アベルと一体なので、アベルを中心として何でもいたしますので、再び父母の子女であることを認めてください!」と言えば、認めてあげるのです。そのときにアダムは、堕落した位置から復帰することができるのです。(1968・8・11)
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カインも神様に祭物を捧げました。ところが、なぜカインがアベルを殺そうとしたのでしょうか。弟とは関係なく神様に精誠を尽くして祭物を捧げたのですから、アベルの祭物だけを受け取られたのならそれで終わりなのに、なぜそのように憤ったのでしょうか。カインが憤ったというのは、カインもそれだけ精誠を尽くしたということです。神様のもとに戻るために、アベルに劣らない精誠を尽くしたのです。
それでは、カインは神様を知らなかったでしょうか。神様が貴い方だということを知っていたというのです。ですから、カインが1年間精誠を尽くして育てた穀物を祭物として捧げたものも、アベルが精誠を尽くして育てた羊を祭物として捧げたものも、同じだというのです。(1970・8・29)
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アダム家庭において、実体基台を勝利するためにカインとアベルが1つにならなければならないという摂理をされるとき、神様がアベルの祭物だけを受けるようになったのですが、これに対してアベルが驕慢な心をもつようになったので、サタンがそれを讒訴してカインに血気を起こすようにさせ、理性を失うようにして、弟のアベルを殺害するように役事したのです。(2002・4・4)
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カインはアベルの位置に下りていかなければならず、アベルはカインの位置、すなわち、長男の位置に上がっていかなければならなかったのですが、カインはアベルを殺してしまいました。この行為は、アダムとエバの時の堕落行為を反復した立場になってしまいました。すなわち、再びアダムを主管した立場に立ってしまったのです。(1972・4・1)
メシヤのための基台とその喪失
三代圏の喪失
聖書を見れば、不幸にも、長子カインが次子アベルに自然屈伏する代わりに、彼を殺害するという結果に終わってしまいました。御自身が天理原則として立てた本然の真の愛の心情を中心として創造された子女たちを、サタンに奪われてしまった神様の心情が、どれほど悲痛で恨がしみわたっていたかを、皆様は想像もできないでしょう。それは、子々孫々永遠に伝授されるべき天の血統が崩れていった瞬間でした。
神様は、アダムとエバを御自身の子女として創造され、彼らが完成すれば、真の愛の道理を立てるための結婚祝福をしてあげ、御自身だけが対し、愛することができる家庭を待ち焦がれていらっしゃったのです。しかし、2代のアダムとエバはもちろん、3代の孫と孫娘を真の愛で抱いてみることができなかったことが、歴史的な神様の恨として残されてきました。
アダム家庭が神様を中心として3代圏を完成していたならば、人間の堕落は全くあり得なかったのであり、数千、数万年間、人類歴史を踏みにじって籠絡してきたサタンの存在さえも現れることはできなかったでしょう。人類は、神様を中心として、3代を成して暮らす一つの家庭の姿になっていたのです。しかし、創造原則に基づいて、天が責任分担として下さった条件的で限定的な責任を、結局アダム家庭において、2代から3代にわたって失敗してしまったのです。人類歴史の悲劇の始原が正にここにありました。(2005・2・14)
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神様は、御自身の創造自体を放棄することはできませんでした。原理と原則と法度の主人でいらっしゃる神様は、何としてでもサタンが拉致していった子女たちを再び取り戻してくるために、蕩減復帰摂理歴史を展開してこられたのです。アダム家庭で失ってしまった3代圏をそのまま放棄すれば、創造原理を放棄してしまう立場に立つので、神様は、カインがアベルを殺害したのちに、再びアダムの3番目の息子のセッを中心人物として立てられたのです。したがって、セツは、長子権を取り戻さなければならなかったアベルの責任はもちろん、その血筋までも復帰して立てなければなりませんでした。このように神様は、セツの血統にそってその子孫たちをしてふさわしい蕩減条件を立てるようにされながら、サタン分立の復帰摂理を展開してこられたのです。(2005・2・14)
絶対信仰、絶対愛、絶対服従
今皆さんが、神様の前に宇宙的な嘆息の峠を越え、神様のうれしく、喜び得る1つの祭物として現れることを願うとすれば、皆さんはどのようにすべきでしょうか。全宇宙の万物を復帰するためのアベル的な祭壇を築き、アベル的な祭物として、羊を捧げるのではなく、皆さんの1つの生命の実体を捧げることができなければなりません。
昔、アベルが天の使命を賦与され、それを果たすことができずに血を流し、神様の摂理を挫折させましたが、今日の皆さんは、そのようになってはいけません。皆さんの周囲に現れるすべての事実は、自分を完成させるために現れたものだという心をもち、ある人がどんな不義の環境に私を追い込もうとしても、決して天に対して背く道には行かないという、確固たる信仰をもたなければなりません。そうして、皆さんは、周囲の環境のすべてのものを忘れ、ひとえに、神様の栄光を現すために、死を覚悟してでも前進できる人にならなければならないのです。(1957・11・1)
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カインとアベルが祭物を捧げたのち、アベルの祭物だけを神様が受けられたことを知ったカインが、アベルを憎み、殺してしまいましたが、ここには、カインとアベルが祭物を捧げるために準備するときから、カインにアベルを憎む心があったことを、皆さんは知らなければなりません。カインが、神様が自分の祭物を受けないので、瞬間的にアベルに対する憎しみが生じて彼を殺したのではなく、そのことにぶつかる前から、アベルが憎くて殺したいという思いがカインにあったというのです。
そのような堕落性の血統を受け継いだ今日の皆さんが、宇宙的な嘆息の峠を越えるためには、どのようにしなければならないのでしょうか。皆さんは、神様に不信と争いの条件を成立させる祭壇を築くのではなく、神様の栄光を紹介し、神様に喜びと栄光をお捧げできる勝利的なアベルの祭壇を築かなければなりません。
ですから、今日の皆さんの生活は、ただ皆さん個人に極限された生活ではありません。全体を身代わりする生活なのです。皆さん個々人が神様の前に身を伏すその時間、み旨を中心として生きる生活、それは、その時間と生活で終わるのではありません。そこでカインの立場か、あるいはアベルの立場かという、2つの道が決定するのです。すなわち、今日の皆さんは、ともすればアベルになり、ともすればカインになる、このような途方もない歴史の峠道にいるというのです。(1957・11・1)
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カインがアベルを殺して、アベルの代わりにセツが出てきたので、長男と末っ子はおんしゅう怨讐ですが、失ってしまったものを末っ子のセツが取り戻してこなければなりません。セツは何をしなければならないのかというと、サタン圏に勝たなければなりません。ですから、そこで絶対に必要なものが、神様の創造理想の全体がそれを表題として立て、それを中心として(神様が)創造を始めたのと同じように、絶対信仰、絶対愛、絶対服従しなければなりません。(2004・10・3)
アダム家庭を見つめる神様の心情
神様にとってはアベルも息子であり、カインも息子です。99匹の羊より、いなくなった1匹の羊を捜し求めていく父母の心情をもった神様でいらっしゃったので、カインも息子でありアベルも息子なのですが、99匹の羊のような神様の懐に抱かれたアベルよりも、いなくなった1匹の羊のようなカインを捜し求めるのです。これが真の羊飼いと同じ、父母の心情ではないかというのです。
このような父母の心情を通して見てみるとき、アベルも息子でありカインも息子なので、その父母は、アベルの死の道も代わりに行ってあげなければならず、カインの死の道も代わりに行ってあげなければなりません。これが父母の愛です。しかし、アベルの代わりに行ってあげようにも行ってあげることができない神様の立場であり、カインの代わりに行ってあげようにも行ってあげることができないのが神様の立場なのです。(1970・4・5)
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どうして神様は、アダム家庭と向き合うとき、無限に悲しい心情で向き合ったのでしょうか。アベルに対する心とカインに対する心に差があったでしょうか。本心から湧き出るその心情においては、どちらも子女の立場でしたが、区別する心情をもって向き合わなければならないのが神様の事情でした。
そのように悲しい立場にいらっしゃるのが神様だったので、「アベルの祭物は受け取られたのに自分の祭物は受け取られなかった」と、カインがアベルを殺したことは、神様御自身が打たれることより憤る出来事でした。(1960・1・17)
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カインとアベルが共に神様に供え物を捧げたとき、アベルの供え物を受け取られた神様の立場と、カインの供え物を受け取られなかった神様の立場は、互いに違うようですが、そうではなかったということを知らなければなりません。天の立場を身代わりしたアベルを通そうとする心が少しでもカインにあれば、神様はそのカインの供え物を取られたのです。神様は時間的な差はあったとしても、公平な立場で彼らの供え物を受け取ろうとされたというのです。(1957・11・1)
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神様は、アベルを中心としてアダムが失敗したことを復帰してくれることを懇切に願われたのですが、カインがアベルを殺したその瞬間、神様の心情はどうだったのでしょうか。絶望的だったというのです。
アダムが堕落したことも悲しいのに、希望をもって、失ってしまった子女の基準を取り戻すために希望の基盤を築き上げ、復帰の一時を望まれた神様の前で、カインがアベルを殺害するようになったのですから、二次の復帰の希望まで失敗するようになり、カインは神様の内心に重ねて傷跡を残したのです。人間始祖が神様の前に悲しみの起源者であることだけでも胸痛いのに、アベルが凄惨なかたちで殺害されることによって、再び神様に傷跡を加えたというのです。神様は、このように増し加わった怨恨を抱いてこられました。(1970・3・12)
アベルの行く道
アベルが、カインすなわち兄と共に供え物を捧げたとき、神様が自分の供え物だけを受け取られて兄の供え物を受けなかったとしても、兄に純粋に対さなければなりませんでした。兄のことを考えなければなりませんでした。そして「ああ、お父様、なぜ私の供え物だけを受け取られたのですか」と言って泣き、兄のところに行って「私の供え物だけを受け取られた神様は嫌いです」と言ったなら、神様はどうされたでしょうか。間違いなくカインを愛さずにはいられなかったでしょう。
カインとアベルは、同じように祭物を用意して神様の前に捧げたはずです。カインは穀物を、アベルは羊を、1年間精誠を尽くして育てて捧げたのです。誰がより精誠を尽くしたかという問題を離れ、祭物を受け取る受け取らないという問題について見てみるとき、神様はアベルの祭物を受け取らざるを得ない立場だったために受け取ったのです。
ところが、アベルは神様が自分の祭物だけを受け取られたので、自分が優れていて、神様が自分だけを好まれるから受け取られたと思い、「お兄さん、見てください。私の祭物は受け取られました」、そのように誇ったでしょう。間違いなくそうしたのです。そうでなかったなら、じっとしているカインの顔がなぜ真っ赤になったのでしょうか。アベルが黙っていたのにそうなったのでしょうか。間違いなくアベルはカインに、「お兄さんは何ですか。私の祭物は受け取られました」としつこく言ったでしょう。アベルは驕慢になってはいけません。謙遜でなければならないのです。(1970・9・13)
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アベルは、カインを愛する心と哀れむ心をもってカインに同情し、慰労してあげなければなりませんでした。しかし、アベルは間違いなく、神様が自分の祭物だけを受け取られたと喜んだのです。もしアベルが、神様がカインの祭物を受け取られなかったことを哀れみ、涙を流して同情し、「私が相続したものは、すべてお兄さんのために受けたものなので、代わりに受け取ってください」と言っていればどうなっていたでしょうか。自分の貴い愛を、1つしかない貴い贈り物をカインにすべて与えていれば、それは天使長を誰よりも愛したという立場に立つようになるので、自動的に復帰されるのです。このようにできなかったことが恨です。それであらゆる宗教は、従順で温柔、謙遜であれと教えるのです。(1970・8・29)
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アベルは、サタン世界の底辺に住む僕のような人たちに仕え、感化させなくてはならないのですから、僕の歴史に今一つの僕の歴史を積み重ねなくてはならないのです。その場合、サタン世界の僕たちと、天の世界のアベルのどちらがより悲惨な道を歩んだのかということを中心として、アベルがアベルとして認定されなくてはなりません。
そのときにサタン世界の僕たちが、「何の希望ももてないどん底の中にあっても、あなたは希望を捨てることなく、力強く私を支えてくれた」と認め、「地上で自分の生命も惜しまず、愛と理想をもって犠牲的に尽くしてくれたのはあなたしかいません。私は誰よりもあなたを信じ、国よりも世界よりも、あなたのために尽くします」と言うようにならなければなりません。その認められた事実を通して、初めて「自分はアベルであり、あなたはカインである」と言うことができるのです。アベル・カインの関係はその時から始まるのです。アベルにはカインがいなければなりません。
そのようにアベルが責任を果たすことによってカインが、「あなたは私の後ろに立ってください。サタン世界に対するみ旨は私が引き受けます」と言って、先頭に立って戦うようになるのです。その時点からカイン・アベルが成立します。そして、「私のすべての財産と、すべての所有物をあなたの仕事のために捧げましょう。私の体が犠牲になっても構いません。私がみ旨の先頭に立ちます」と言えるのがカインです。そうすることで、天の国に行くことができるというのです。(1979・12・30)
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アベルは、カインに尽くしたあとにアベルとなるのです。互いに相手を尊重しなければなりません。尊重されるためには、先に、カインとなる人に尽くすのです。誰よりも信仰心が厚く、誰よりも愛の心情が深く、誰よりも理想的であるという模範を示し、自然屈伏させたあとに、カインたちのほうから、「私たちの代表となって指導してください」と願われた時、「はい」と答えてアベルになれるのです。
それなのに、食事の時に1番先に御飯を食べるのがアベルですか。「私は食べ残りでもいい。君たちが先に食べなさい」と言うのです。休む時も「君たちは休みなさい。私はもう少し仕事をしてから休みます」と言わなければなりません。そこでカインが、「あなたは天の人です。どうぞ私たちの代表者となってください」と言ったならば、その時から御飯を先に食べてもよく、先に寝てもよく、先に休んでもよいのです。(1979・12・30)
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皆さんはつらくて、つらくて、涙を流すこともあるでしょう。しかし、自分のために涙を流すのではありません。涙を流すのであれば、天のために、国のために、世界のために流す涙でなくてはなりません。私たちが反対されて不安になれば、神様はどれほど不安であり、人類がどれほど不安であるか、それを考えるのです。価値のある涙を流さなくてはならないのです。たとえ人々からひどい扱いを受けても、その人に決して怒りの情をもってはいけません。自分の痛みで泣いてはいけません。その代わりに、よりつらい道をたどってこられた神様を慰めるのです。人類の身代わりに涙を流すのです。たとえどのようなことがあろうと、自分のことのために涙を流し、ようなことはしてはいけません。
皆さんにも悲しい時があるでしょう。先生にも悲しい時が多いのです。痛哭する時が多いのです。そのようなとき、神様に、「どれほど悲しまれたことでしょうか。あなたの愛する息子、娘たちの悲しみを見られて、どれほど悲しかったでしょうか。人類が行かなくてはならない復帰の道は、どれほど悲しいでしょうか」と語り掛けながら涙を流すのです。それがアベルの行く道です。(1979・12・30)
ノア家庭について
信仰基台
絶対信仰、絶対愛、絶対服従
アダムが堕落したのち、ノアを立てるために神様は千六百年準備されました。千六百年間、神様が苦労されたのですが、その苦労の代価を成就できるかできないかを決定するためには、一人の人を立てなければなりません。それで、ノアという一人の人を立てなければならなかったのです。
神様が苦労されたその期間全体の功績を、そのままノア自身に受け継がせて栄光の位置に立てればよいのですが、神様は時を迎えてノアを立てても、ノアに栄光の生活を許諾しませんでした。ノアを選んで、かえって理解できない立場に追いやりました。
神様は「山の上に箱舟を造りなさい」と言ったのです。箱舟を造るなら、川辺や海辺に造らなければならないにもかかわらず、全く関係ない正反対の「山の上に造りなさい」と言いました。これは普通の人では信じられない出来事です。
世界的な責任を担うべきノアまでもそれを疑わざるを得ない立場で、神様は出発するようにしたのです。しかし、ノアは、信じられないそのみ言を信じ、困難な環境を克服しながら、百二十年間箱舟を造ることにあらゆる忠誠を尽くしました。(1972・6・5)
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ノアは、祝福される前に、百二十年という長い間、激しい苦難を受けながら忠誠を尽くさなければならない命令を受けました。その条件を立てるために苦労した期間は、 十二カ月や十二年ではなく、百二十年という期間でした。その上、彼が受けた命令は、 海辺ではなく山の上に箱舟を造ることでした。
ノアがこのような神様の命令を受けたとき、すべての人たちは懐疑的でした。それは一種の狂想だと思ったのです。当時の人たちは、そのようなことは夢にも考えられないと思ったので、彼らはいつもと変わらず飲み食いして享楽にふけりながら、神様を忘れて生きていました。
しかし、ノアにとって神様の命令は絶対的なものでした。そのようなノアの心情を心から理解してくれた人は誰もいなかったのです。ただ自分が分かっているだけでした。彼の妻も理解してあげることができず、彼の子女たちもノアの事情を理解できませんでした。ましてや、彼の親戚たちがどう思ったか、簡単に推し量ることができます。(1965・2・13)
ーーーーー
神様がノアに要求した事情は、人類全体との関係を完全に放棄しなさいというものでした。このような神様の命令を完遂するために、ノアはあらゆる因縁を断ち切ってしまわなければなりませんでした。彼の妻や子女たちを神様の命令以上に愛することはできなかったのです。
ノアは、絶対的でみじんも揺らぐことのない磐石のような神様の命令以外には、他の何ものも選ぶことはできませんでした。このような立場にいたノアを、当時の人たちはどのように接したでしょうか。それは、皆さんが簡単に推し量ることができるでしょう。
その時、ノアの妻は自分の夫に従わなければなりませんでした。聖書には記録されていませんが、その当時、彼の家族全員がノアを捨てたので、彼は一人で箱舟を造る仕事を果たしたのです。ノアの家族たちは、ノアの計画を拒絶しました。彼の意志に反対したのです。
もし彼が、少しでも側近者たちから協助を得ることができていれば、 外部から来る迫害を簡単に耐え忍ぶことができたでしょう。しかし、そのようにできない立場で、十年、二十年、三十年、そして百二十年を過ごしながら、おじいさんになったノアは、狂った人として世の中に知られるようになってしまったのです。(1965・2・13)
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ノアは、百二十年の間、あらゆる情熱と自分のすべての財産を投入して箱舟を造りました。誠心誠意を尽くして働きながら、時間があるたびに、百二十年後に水で審判されることを叫んだのです。百二十年間叫びましたが、一人の同志も見つけることができなかったノアでした。大勢の群集は、彼を嘲弄しました。青々とした天を見つめながらあざ笑い、道端で嘆息するノアを見つめてあざ笑いました。そのように笑われて追い立てられたノアだったのです。(1960・4・3)
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ノアは神様の命令と共に百二十年後の洪水審判の日を望みつつ、一つの希望として、一つの信仰基台の条件として、神様の愛を生活の圏内に連結しようとしました。それは神様の摂理でした。その期間は一年でもなく、十年でもなく、二十年でもなく、百二十年という長い間、ノアは毎日同じことを繰り返してきたのです。
家庭が歓迎したと思ったら大間違いであり、親戚あるいは村人が助けてくれたと思ったら大間違いです。十二日後のことでもなく、百二十年後のことなのです。生きているか死んでいるかも分からないのです。そのようなノアに対して、多くの人たちが批判しました。
そのように環境から排斥される中で、神様は何を願ったのでしょうか。「我のみを信じよ 」ということでした。周囲に渦巻くあらゆるものに対して、自分に逆らうあらゆるものに対して、それを踏み越え、あるいはそれを退けて、神様と一体となる信仰の基準と希望の基準を立てなければならなかったのです。(1965・10・3)
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ノアは悲しい人でした。自分は鉄石のように固く神様の命令とみ旨を信じたのですが、妻子たちは信じませんでした。その時の環境が、どれほど困難で悲惨だったでしょうか。環境が困難であれば困難であるほど、「父よ、この地上で父を信じる者は私だけです」と言ったノアでした。しかし、迫害と嘲笑が大きくても、神様に対する信仰心が大きかったために、その時代の悪の勢力を抑えることができたのです。このような信仰の基盤がノアにはありました。
ノアは神様のみ旨を知ったので、死んでも行こうと考えました。ノアは、嘲弄され、 迫害されることに対して、憤る暇もありませんでした。自分が冷遇されるのは腹立たしいことですが、自分を信じて訪ねてこられた神様が、百二十年後に世の中を審判すると語られ、箱舟を造りなさいと命じられたのに、もし私がそのみ旨に反対すれば神様がどれほど悲しまれるかと、自分の悲しみを超えて神様を慰労することに忙しかったのです。それでノアは、百二十年間、耐えることができました。
ノアが箱舟を造ることに対して、朝に夕に妻子たちから反対されました。聖書にはありませんが、調べてみてください。祈ってみれば、うそかどうか分かります。父親がすることに対して、互いに助けようとしなかったのです。ノアの妻が箱舟を造ることを承諾したでしょうか。
そのような環境にいたノアでしたが、神様の近くに立ち、 自分のために準備された神様を慰労しました。このようなノアの信仰によって、復帰の道を受け継いで余りある基盤が築かれました。ですから、神様の審判を行使することができたのです。(1964・3・15)
ーーーーー
神様は命令をされるとき、信じる立場で信じられるように命令されるのではなく、 信じることができないように命令されます。ノアには「百二十年後にこの世界を審判するから箱舟を造りなさい」と命令しました。ところが、「箱舟を海辺や川に造りなさい」と言えば納得するにもかかわらず、「山の上に造りなさい」と命令しました。
船を造ろうとすれば川辺に造らなければならないのに、山の上に造りなさいと言うのですから、それを信じられるでしょうか。それは、人類始祖が不信することによって堕落したので、神様は絶対的に信じたという立場に立てるために、絶対的に信じる者を立てようとしたのです。ですから、神様は簡単に絶対信仰できる命令をされなかっ
たのです。(1972・2・10)
ーーーーー
ノアの家族は、洪水審判で贖罪されたので感謝の生活をしなければならなかったのですが、習慣的な生活を繰り返しました。ですから、天倫に対して立ち上がった私たちも同様に、このような過ちを犯しやすいのですが、私たちは自らの習慣的生活を繰り返す人になってはいけません。
自分と家族を救ってくださった神様に、いつも新たに接するノアとなり、全人類がそのような心をもつようになる日を願いながら、父の心情を直視して立ち上がったノアになっていたなら、また神様の前に絶対的信仰を立てるノアの家庭になっていたなら、第二の堕落を成立させるような過ちは犯さなかったことでしょう。(1957・6・23)
ーーーーー
神様は、この一時を用意するために、千六百年という長い歳月を準備しました。そして、一人の人を立て、彼に命令しなければならない神様なのですが、ここでは通常の立場で命令できない理由が介在していることを知らなければなりません。
真でいらっしゃる神様が、「私はこのようにする」と語られたのなら、そのようにしなければなりません。そのような神様が本来、「堕落しなさい」として人間を造ったのではないのです。堕落してはいけないように造りました。そのような人間が堕落したので、神様が「このようにする」と言ったことができなくなったのです。誰のためにできなくなったのですか。
神様のためにできなくなったのではなく、人間のためにできなくなりました。人間の何のためにできなくなったのでしょうか。不信のためにできなくなったのです。信じられなくなったためにできなかったというのです。
誰でも自然に信じることができる立場で信じなければならなかったアダムとエバが、信じることができなかったのです。言い換えれば、通常の立場で信じるべきものを信じることができませんでした。ですから、これを反対に復帰するためには、信じることができない立場で信じなければなりません。通常の立場で罪を犯したので、それを蕩減するためには、通常ではない立場で蕩減しなければならないというのです。
皆さんも、もし罪を犯せば、五年なら五年、十年なら十年の刑を受け、刑務所に入っていって服役しなければなりません。服役するのは通常ではありません。そこは、あらゆる体制が自由を許さず、制裁圏内で自分自身の立場を見つめながら、その刑期が満ちる時まではその環境を通常と考えて突破し、越えていってこそ解放されるのです。
このように考えるとき、ノアに神様がそのような命令を提示したのは、ノアが憎いからではなく、原則から外れたことを立て直すためだったのです。(1972・6・5)
ノア家庭を見つめる神様の心情
ノアは、山の上で箱舟を造りました。平地ならともかく、山の上で箱舟を造ったということは、常識を超えるどころか、度を超えるにも、とんでもなく度を超えたことです。一般的に見る時、正常な立場で見る時に、ノアは狂った人間に近い行動をしたのです。舟を造ろうとするなら、川辺に造らなければならないのに、山に造ったのですから、これは常識を超えたことです。
これを命令した神様は、冗談で命令したのでしょうか。違います。生涯を捧げて耐え難い道を行かなければならないのが、ノアの路程であることを誰よりもよく知っていた神様は、穏やかな心でノアに受難の道を命令されたのではないのです。
それよりもっと難しい内容があったので、それを条件として解決できる、一つの方便になることを願われる心をもって、ノアに百二十年の間、受難の道を行きなさいと命令されたのです。そのような神様の心は、どれほど悲惨だったでしょうか。言うに言われぬほど、悲惨だったのです。
ですから、ノアがその命令を受け入れるか、受け入れないかという緊張した瞬間にノアが順応する立場を取る時、ノアよりもっと喜ばれた方が神様ではないでしょうか。 また、ノアよりもっと悲しまれる方も神様です。(1971・9・5)
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ノアには妻も息子、娘もいました。そのようなノアは、自分の家庭に背を向けて百二十年間、狂った人のように振る舞いました。自分の夫や父親がそのようなことをしていると考えてみてください。そのような夫、そのような父親を信じることができるでしょうか。ノアの家族は、百二十年の間、夫に対して、父親に対していつも愚痴をこぼしていたでしょう。
神様はなぜそのようにされたのでしょうか。妻の中の妻を求めるためであり、家庭の中の家庭を求めるためでした。神様がそっくりそのまま愛することができる家庭を求めるために、そのようにされたのです。神様の愛をそっくりそのまま受けるためには、それに適する因縁がなければならず、伝統が設定されなければなりません。
このように考えるとき、ノアにそのような使命を与えたのは、ノアの家庭を苦しめるためではなく、より良い立場に立てるためだったことが分かります。怨讐サタンもついてくることができず、サタン世界の誰もはるかに及ばない、そのような立場に立てる家庭を神様は願われたのです。
ですから、神様がノアに下した百二十年という期間は、その期間に箱舟を造らせる目的もありましたが、ノアが着実に天の基盤となれる家庭基盤を成すことを願われた期間だったのではないかというのです。(1971・9・5)
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ノアが様々な問題にぶつかるとき、そのようにさせた神様の心は平安だったでしょうか。そうではありません。問題にぶつかるたびに、希望としていた妻の基台が壊れ、 子供の基台が壊れ、家庭の基台が壊れていきました。
制裁を受けるしかない立場に立ったノアを見つめる神様は、天理を中心として約束した途方もない規約が壊れるか壊れないかというはらはらする立場で、ノアだけでもこれを引き継いで成し遂げてほしいと願われる神様だったのです。
ノアも、もうやめたいと思わなかったでしょうか。「私はなぜこのようなことをやっているのか」と思ったでしょう。だからといって、そのたびに神様が、「ノアよ、ノアよ、そのように考えてはいけない。何年過ぎたから何年残っている」と言いながら、 「五十年が過ぎたのだから、七十年が残っているだけだ。それを我慢できないのか」 と言ったでしょうか。神様がそのように慰労しながら歴史を引っ張っていくことはできないのです。
ノアが行こうか行くまいか迷いながら八時を過ぎ、九時を過ぎ、十時を過ぎ、十一時を過ぎ、ついに一日仕事をせずに過ごした日があったかもしれません。もし一日働かない日があったとすれば、神様の心はどうだったでしょうか。神様は、「お前は本当によくやった。もう少しそのように考えてみなさい」と言われたでしょうか。
ノアが働かなかった一日が、神様にとっては千年、万年のように感じられたでしょう。その一日のために億千万世の聖なる事業が中断するかもしれないのです。その一日の無念が天地の無念として残るかもしれないのですから、神様が喜ばれるだろうかというのです。
私たちは、そのようなノアを見つめてこられた神様がどれほど悲しく、どれほど悲惨で、どれほど孤独で、どれほど無念でいらっしゃったかを知らなければなりません。(1971・9・5)
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神様はノアのことを分かっていましたが、ノアは神様の真の心情を知りませんでした。神様はアベルとカインのことを分かっていましたが、アベルとカインが神様の心情を知らなかったように、ノアも神様の心情を知りませんでした。また、その当時の人々も、神様のために成そうとするノアの心情を知りませんでした。
神様はノアをよく知っていらっしゃり、「ノアが神様の心情に代わって神様の観を解いたならば、その時に喜びの息子としてもてなそう」というみ意を抱いて、ノアを見つめていた神様でした。恵みがあるとすればこれ以上の恵みはなく、祝福があるとすればこれ以上の祝福はなく、栄光があるとすればこれ以上の栄光はありません。神様はこのような心情でノアを見つめていましたが、それに従うノアは、そのような神様の心情を知らなかったのです。
ですから、知らないながらもついてきたノアが、どれほど哀れで、分かってくれない立場でもノアをつかんでこられた神様も、またどれほど哀れかというのです。知らないながらも、神様のみ旨のために生きようと苦労したノアでした。
神様は、そのようなノアが御自身の心情を分かってくれることを願ってきましたが、ノアは、その事情を知りませんでした。知らないノアの心情も不安でしたが、神様の心情はもっと不安だったというのです。ノアも神様を知りませんでしたが、ノアと一緒にいるノアの家族もノアのことが分かりませんでした。神様がこのように何も知らない息子、娘たちを導いていこうとされるその苦しい心情は、語るに語れないほど大きなものでした。(1960・1・17)
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ノアが百二十年間苦労したのちに、神様は洪水審判をされましたが、そのあとに残ったのがノアの八人の家族でした。そこで天は、何を期待されていたのでしょうか。堕落しない天の家族として、神様を父として侍り、喜ぶことを期待されていましたが、 ノア自身はそれをはっきりと知りませんでした。
自分は本然のアダムの資格を復帰しなければならない立場であり、アダム家庭によって生じた恨を蕩減復帰しなければならない立場として呼ばれた自分の八人の家族である、ということを知らなかったので
す。ノアが知らないと同時に、ノアの息子、娘たちも知りませんでした。
悔しく悲しいこととは何でしょうか。他人が理解してくれないことは耐えられるものですが、死ぬときは共に死に、喜ぶなら共に喜び、悲しければ共に悲しむべき家族が分かってくれなかったということです。これが神様の悲しみでした。このことゆえに、天の歴史は延長されてきたのです。世の中の人が分かってくれずに延長したのではありません。理解すべき群れが理解することができなかったために、天の歴史は悲しみが加えられて流れてきたのです。(1960・1・17)
実体基台
ノアは、百二十年の期間を経たのちに洪水審判を受けました。ノアは、ここから神様の新しい所願成就があることを信じていました。しかし、ノアを中心として見てみるとき、ノア個人だけでは復帰されないのです。アダムが復帰されるためには彼の息子であるアベルが必要だったように、ノアの息子が父を復帰する因縁を中心として、 父と一体になり得る基準を立てなければ、堕落した父子の因縁を復帰できないだけでなく、本然の世界に入っていける姿勢を備えることができません。子女が救援摂理の出発を行うのです。本来は父がしなければならないのですが、堕落したために子女がするようになりました。
ですから、ノアを中心とするみ旨において、父子が一体になり得る基準を立てるようにするために、彼をしてあらゆる受難の逆境を経ていくようにして四十日の洪水審判をしたのです。審判後のこの地上には、父とその家族だけがいて、自分たちに反対する人たちは誰もいない環境でした。(1970・3・12)
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アダム家庭で、アベルがカインに殺されてセツが出てきました。これを復帰するために立てられたのがノアの家庭のセム、ハム、ヤペテです。これを中心にその相対まで連結させれば八人家族です。
八人の家族が神様のみ旨の前に立つようになるとき、サタンを審判できるのです。 審判できるということは、サタンをすべて屈服させることができるということです。 ですから、アダム家庭の八人家族によって堕落したので、ノア家庭の八人家族によって、百二十年間で神様を中心として立つことができる基準を立てたので審判したのです。
ところが、どのようになったかというと、セム、ハム、ヤペテの三人が一つになって神様を中心に父母に侍り、四位基台を完成しなければならないのですが、ハムの失敗によってそれができなかったというのです。ハムの失敗によって、ノアの意志に従うのではなく、この三人が一つになって父母に反対したのです。(1969・5・12)
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ノアの子女たちもノアを信じることができませんでした。それは何を見て分かるのでしょうか。審判が終わったあとにノアは箱舟から降りて、裸で寝ていたのですが、 百二十年間箱舟を造り、神様が審判されたことを見たのなら、神様がノアと共にいらっしゃることが分かるにもかかわらず、ノアが裸で寝ているからといって、ハムが兄弟を扇動し、後ろ向きに歩み寄って服を掛けたのです。
これを見れば、父を不信していた習慣的な行動がまた起きたのです。ここでノアはハムについて、「彼はしもべのしもべとなって、その兄弟たちに仕える」(創世記九, 二五)と言って呪いました。結局、絶対的に信じ、絶対的にサタンに侵犯されないようにしてこそ、神様の愛を受けることができるのです。それが原則です。(1972・3・1)
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神様に対して誠を尽くそうと決心したノアであることをノアの八人家族が理解していれば、死のうと生きようとノアに絶対服従し、父が死ねば自分も死に、父が喜べば自分も喜ぶ立場に立たなければなりませんでした。そうなっていれば、ほかの重要でない内的な条件が間違ったとしても、神様を中心として心情を結束させていれば何の問題もないのです。
ハムは、父であるノアの言うことを聞かなければなりませんでした。兄弟たちが何を言っても、父の意志に合わなければ聞いてはいけなかったのです。 彼が聞くべき言葉は聞かず、聞くべきでない言葉を聞いたために、ノアの百二十年の苦労は崩れてしまったのです。(1958・2・23)
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ノアは一人で、孤独でした。絶対信仰をもっていましたが、家庭が絶対心情で一体になっていなかったので、すべて崩れていったのです。ハムもそうです。父親と愛で一体になっていれば、なぜ裸を恥ずかしく思うでしょうか。心情が一体になっていれば、裸でいても恥ずかしく思うことはないのです。自分も裸になってその横で昼寝をすれば、どれほどよいでしょうか。ところが恥ずかしく思ったのです。一つになりませんでした。心情一体ができなかったのです。(1995・4・3)
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ハムの失敗は、個人的な失敗にとどまるものではなく、歴史的な失敗であり、ノアの憤りは、個人的な憤りではなく、天宙的な憤りでした。ところが、このような事実をハムは知らなかったのです。一個人として選び立てられたノアも、自分がそのように大きく用いられ、そのように大きな価値の存在であることを知りませんでした。
地をすべて審判し、大勢の民族を魚の餌として掃き出してしまっても、ノアの八人家族だけは生かされた、神様のこの上ない愛を彼らは知らなかったのです。ノアの八人家族がいる所は、神様の愛の最前線でした。神様の愛の最前線だったのです。ですから、 ハムの失敗は、それだけ大きな恨をもたらしました。神様の愛の最前線が侵犯されたので、神様は侵犯されたそこにいられず、彼らをすべてサタンに差し出し、四百年間、その民族を抱きながら無念な思いをもたれたのです。(1960・12・1)
アブラハム家庭について
信仰基台
象徴献祭
ノア以降、四百年を過ぎてアブラハムの時代になり、三大祭物を捧げるようになりました。そのとき、牛と羊は裂いたのですが、鳩は裂きませんでした。裂くのは聖別することです。裂いて聖別すべき鳩であるにもかかわらず、裂いて聖別しなかったために、アブラハムの祭物は失敗に終わったのです。(1960・2・21)
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アブラハムが絶対信仰をもたなければなりませんでしたが、祭物を裂かないことによって荒い鳥が下りてきました。小さな祭物を軽んじたのです。大きな祭物は裂くことができましたが、小さな一羽の鳩を裂かないことによって、その祭壇を荒い鳥で象徴されたサタンに奪われてしまいました。(1995・1・2)
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アブラハムが祭物を捧げることに失敗したこと、すなわち鳩を裂かなかったという事実が、神様とサタンが相反する立場で同時に取ることができる条件となり、サタンが屈服できなくなったのです。そして、神様だけではなく、サタンも同参できる場になったので、両分されたその形態がこの地球上に残るようになりました。そのことによって、イスラエル民族と異邦民族というものが生じるようになったのです。(1969・10・4)
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アブラハムが祭物を捧げるとき、「これは自分のためにするのではなく、神様のためにするのであり、人類のためにするのだ」ともう一度考えていれば、鳩も裂かなければならないと思っていたはずであり、そうしていれば、歴史に汚点を残さなかったでしょう。このことによってどれほど多くの歴史的な罪が生じたかというのです。(1977・6・12)
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サタン世界から責められることがないように導こうとされました。テラという偶像商の息子だったアブラハムを導き出し、彼が暮らしていた環境から他の所に移し、そこでつらい苦労をさせ、過酷な試練の道に立たせました。しかし、そのような試練の中でも、神様は、アブラハムをして、神様にした約束と神様に寄与しようという一念だけは絶対的な基準として歩んでいけるよう、そのような一日を待ちながらアブラハムを導かれました。
アブラハムが目的として訪ねていった地は、アブラハム自身が敬い慕っていた所ではありませんでした。全く知らない異国の地でした。そこには多くの困難が待っていることを神様も知っていらっしゃり、アブラハム自身も知っていました。しかし、彼は神様の命令に服従し、自分の故郷であるカルデヤのウルを勇敢に旅立ったのです。 このようなことは、信仰生活をする私たちにとって、重要な教訓になります。
他郷の地で神様の命令を信じながら、あちこち放浪する旅人の生活をしたアブラハムでしたが、本当に神様を愛し、神様を信じる心がなければ、いくらでも神様に背くことができる時もありました。しかし、最後まで一貫して神様を敬い慕ったアブラハムこそ、神様が信じ得る息子、人類が堕落して以来、初めて神様のみ意にかなう一人としてこの地上に立てられたのです。(1965・1・31)
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アブラハムはテラの息子であり、自由な環境で誰を羨む必要もない生活環境で暮らしていました。ですから、そのようなアブラハムにとって一つ難しかったことは、慣れ親しんだ父母や故郷、情緒的な面で安息のよりどころとなり、安息のすみかとなる生活圏を打ち破って否定することでした。
そのような立場を神様がアブラハムに要求したのです。アブラハムがハランに住んでいるとき、「自分の故郷を離れよ」という神様からの突然の命令を受けました。「離れよ」という命令を受けて、即座に離れるのは難しいことです。何かの希望があり、 あすの希望を期待できる立場ならばそうではないかもしれませんが、ただ「すぐに離れよ」という命令を受け、即座に慣れ親しんだ故郷の山川と家庭を捨てて離れることは、とても難しいに違いありません。
「あなたが離れればこのようになり、このような結果になる」とはっきりと教えてくださった上で「離れよ」と命令されたのなら分かりませんが、そのような内容もないままに、慣れ親しんだ故郷の家や山川を離れよという命令を受けて、そのまま離れるのは難しいことです。
また、そのようにして離れることを父母たちが反対するのは間違いないので、恐らくアブラハムは父母に知られないように離れたでしょう。兄弟に知られないように出発したでしょう。親戚に知られないように出発したでしょう。知られないように出発するために、真昼のような、すべての人に見られてしまう可能性のある時に出発したでしょうか。間違いなく夜中や早朝に出発したでしょう。このように目的も提示されず、環境の内容も分からない立場で、天の命令だけを受けて出発するのは、とても難しいことなのです。
ノアは、それでも百二十年という限界線を引いて命令を受けた立場にいましたが、 アブラハムはそのような内容や環境的要件も提示されない立場で、自分の一切を否定して出発しました。それは何よりも難しいことだったと見ざるを得ないのです。心情的な分野、情緒的な分野において誰よりも難しい立場を克服したのがアブラハムです。(1971・9・5)
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アブラハムは、偶像商の愛する息子として、父母の膝元ですくすくと成長したのですが、神様が彼を呼び、「アブラハムよ、アブラハム! お前はテラの家から離れなさい。わたしが示す地に向かいなさい」とおっしゃったのです。それは、予告して下された命令ではありません。呼んで、すぐに下された雷のような命令です。青天の霹靂のような命令が落ちたのです。
そのようなときには、ぐずぐずしていてはいけません。出発するのを待っていたかのように、すぐに出発しなければならないのです。「ああ、少し待ってください」とためらってはいけません。潔く出発しなければならないのです。出発を誤れば、千秋万代の歴史の恨になる汚点を残すようになります。それがサタンの讒訴条件となり、経てきたすべての歴史が否定されるようになるのです。
このようなことを知っているので、天の命令に従っていった人たちは、命令を受けて即座に行動するのです。(1971・5・1)
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神様がアブラハムを呼ばれ、「ハランを離れるように」と言われたとき、アブラハムは天の呼び掛けに応えて、そこを出発しました。故郷を捨てて出発したのです。どうしてでしょうか。そこは、アブラハムが暮らすべき地ではなかったからです。この世は恨まれるべき世の中であり、呪われるべき世の中です。いくら愛する父母と親戚が住んでいる地であったとしても、その地は天の人が住む地ではないので、神様はアブラハムを孤独な荒野に追い出されました。「父の家を離れなさい」と命令されたのです。(1960・1・17)
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聖書には、ソドムとゴモラに審判を下さなければならない神様の悲しい心情が表れています。神様がその都城に向かって審判しようとされたときに、愛するアブラハムの甥ロトがいました。神様は、ロトが審判を免れるようにしてくださったのです。ロトが優れているからソドムとゴモラの審判を免れるようにしたのではありません。神様はアブラハムを愛されていたがゆえに、何も苦労の功績がない甥にまで審判を避けることができるようにしてくださったのです。(1958・2・23)
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アブラハムは、神様の命令を中心として自分の一切の幸福の要件を一度に塗りつぶしてしまう行動を断行しましたが、結局、失敗の要因を残し、歴史的な恨の種を蒔きました。彼はどうしてそのようになったのでしょうか。祭壇に祭物を捧げるときに、 鳩を裂かなかったというごく小さな失敗のためです。時間で言えば寸時にすぎず、行動で言ってもごく簡単な行動でした。
その寸時の瞬間に、そのように大きな失敗をしたのです。それが現実においては何でもない簡単な行動でしたが、歴史全体をひっくり返す動機になったのです。アブラハムも、まさかそのようになるとは思っていませんでした。全く思いもよらない間に、 興亡盛衰の要因は、現実という運命の道を中心としてひっくり返していったのです。(1971・6・6)
イサク献祭
祭物に失敗したアブラハムが、再び神様のみ旨を受け継ぐために、祭物の代わりにイサク献祭が必要でした。言い換えれば、アブラハムの心と一つになれる息子の姿を取り戻さなければならないのであり、ノアの心と一つになれる息子の姿を取り戻さなければならないのです。それでアブラハムは、自分の心と自分の息子の心が一つに結実される立場を求めていくようになりました。(1958・2・23)
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息子を祭物として捧げなさいという命令は、その時代に合うものではありませんでした。そのような命令を受けたとしても、その時代に従っていく人は一人もいなかったでしょう。すべてが否定的な与件であり、否定的な行動であり、否定的な条件でした。
そのような条件の前にアブラハムは、「私はあなたに捧げられた僕の身なのですから、主人であるあなたに背き、どうして自分の思いのままにできるでしょうか」と思いながら、貞節と志操をもって神様の命令に順応するのが道理であると考え、受難の道を歩んでいったのです。(1971・5・1)
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アブラハムは、祝福を成し遂げるために百歳で得たイサクまで神様に燔祭として捧げなさいという命令を受けたとき、それに従いました。その命令は歴史上になかった一つの冒険的な条件になる命令でした。それは天地を身代わりし、天上のことや地上のことなど、億千万事を左右する条件でしたが、このことを知らなくてもアブラハムは「イサクを祭物として捧げなさい」というその命令を受けたあと、息子を祭壇に置いて祭祀を捧げようとしたのです。
愛する息子を祭物とし、剣を上げて切りつけようとしていたアブラハムを考えてみてください。これは、それこそ超現実的な儀式でした。その当時に、誰がアブラハムのそのような信仰を認めてあげることができたでしょうか。アブラハムが提示したこの冒険的な行動は、すなわちアブラハムが天に属した体であり、アブラハムの家族が天に属した体なので、アブラハムはもちろん、彼の家族と彼のすべての物質までも神様の命令に従わなければならないことを示しているのです。このような事実をアブラハムは、一人しかいない息子を燔祭として捧げる過程で悟りました。
それでアブラハムは、「この息子は私が生みましたが、あなたのものなので、あなたに捧げます」という心でイサクを献祭しようとしたのであり、現実的な環境を打開したのです。(1956・12・2)
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もし分別のないイサクが父親に反抗していたら、神様はそれを祭物として受けることができなかったでしょう。イサクは、自分を剣で切ろうとするその場でも、父親に対して小羊のように、何の不平もなく従順にしていたので、サタンが讒訴できる道が立ち切られたのです。
アダムは、個人の栄光のために、個人の幸福と享楽のために、個人の欲望のために神様のみ言に背いて死の道へと堕落していきました。しかし、命を捧げなければならない場でも、一言の不平不満なく祭物として捧げられたイサクとアブラハムの精誠に対しては、サタンが讒訴することができないのです。ここから初めて信仰の先祖アブラハムの歴史が始まりました。(1968・6・9)
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祭物というものは、堕落することによってサタンの血統を受け、サタンが寓居する家になったものを、すべて破壊させるものです。血を流すので壊れるのです。死の場に臨み、剣を掲げてイサクを葬ろうとする、剣を掲げて祭物を切り裂く、そこからはサタンが退きます。ですから、神様が代わりに羊を祭物として捧げるように言われたのです。このような闘いをしてサタンを分別させ、天の側の人として、生きた祭物として残ったのです。そのような一族の出発がイサクの家庭から展開したのです。(1994・5・22)
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アブラハムは、今日私たちが聞いている内容を知らない立場で、罪悪の地を蹴飛ばして無条件に出発しました。神様に祭物を捧げるときも、内容も知らずに祭物を捧げました。「イサクを捧げなさい」と言われたときも、その命令の意味も知らずに無条件に従ったのです。このように知らない立場で天のみ旨に従ってきたのが、私たちの先祖たちの歴史なのです。(1960・1・17)
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神様は、アブラハムに「イサクを祭物として捧げなさい」と言うとき、どれほど無念な思いでその命令をしたでしょうか。千回、万回、考えに考えられたことでしょう。
もし命令を受け入れなければ、二千年の歴史に恨が宿るようになることを御存じの神様でした。ですから、「アブラハムよ」と呼ばれるその声には、神様の深い事情が宿っていたことを知らなければなりません。
アブラハムが祭物を捧げにいくとき、サタンは、千年の歴史路程において、自分の子孫が敗北するか、あるいは今までの歴史が再び延長するかという岐路に立っていたので、あらゆる努力をしてこれを破綻させようとしました。このような決戦の場にアブラハムを立てて命令された神様の声は、どれほど哀切なものだったでしょうか。(1968・6・9)
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アブラハムが百歳のときに生まれたイサクを、モリヤ山に連れていって祭物として捧げなさいというのですから、信じられるでしょうか。ですから、絶対的な信仰が必要でした。息子よりも誰よりも神様をもっと愛する絶対的な信仰を願う神様の原則的な内容があるがゆえに、そのような命令をする神様は、どれほど胸が締めつけられ、どれほど悲しみを感じられたでしょうか。もしそれが失敗する日には歴史的な苦労が水の泡になるので、心が締めつけられながらもサタンが公認する最後の時まで、このようなことをせざるを得ないのが神様の事情なのです。(1972・3・22)
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祭祀を捧げるときに祭物を裂くのですが、小さな一羽の鳩を裂かなかったからといって、どうしてそれが大きな問題になるのでしょうか。祝福してくださると言われた神様が、一羽の鳩を裂かなかったからといって、「あなたの子孫は他の国に旅びととなって、その人々に仕え、その人々は彼らを四百年の間、悩ますでしょう」(創世記15・13)と言われたのですから、その神様を神様と思うでしょうか。「これはサタンなのではないか!」と考えることもできるというのです。
しかし、アブラハムが立派だったことは、それを何よりも畏れ多く考えたことです。 神様がそのような罰を下されたとき、それを自分が死ぬことよりも深刻に考えたのです。それで、アブラハムは偉大なのです。そのような失敗を犯して何よりも大きな衝撃を受けた場でも神様に従う心をもっていたので、「息子を捧げなさい」と命令されたとき、自分の息子を捧げることでその衝撃を受けた失敗を解消できるのであれば、 すぐにでも実践しようと決心したのです。(1972・6・5)
実体基台
長子の特権の復帰
ヤコブは、父のイサクと兄のエサウをだましました。そして長子の特権を奪うのです。なぜこのようなことが聖書に記されているのでしょうか。長子の特権を奪い取ったのです。長子の特権は、口で語って次子に与えられるものではありません。ヤコブはその長子の特権を要求しました。ヤコブは知恵を使って、「お兄さん、おなかがすいているなら、パンとレンズ豆のあつものを上げますから、代わりに長子の特権を譲ってください」と言いました。長子の特権は売り渡すべきものではないのです。それは自分の天国を売り渡したのと同じであり、自らを滅ぼすことになるからです。天国も神様もなくなってしまうのです。
エバの立場のリベカは、ヤコブに長子の特権を奪わせようと思いましたが、イサクが長子の特権をヤコブに譲らせるはずがないことははっきりしています。そこで思いついた方法が、兄弟で約束を交わさせることだったのです。そしてヤコブはリベカに、 「お母さん! お兄さんはレンズ豆のあつものを食べて長子の特権を売りました」と言いました。そのようにしてヤコブが長子の特権を受けることになるのです。(1979・12・30)
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ヤコブは、母リベカと相談して長子の特権を受けました。長子の特権を受けるとき、 強制して受けてはいけません。エサウが狩りから戻ってきて空腹のとき、ヤコブからパンとレンズ豆のあつものをもらう代わりに、長子の特権を譲ると固く約束をしたのです。そして、エサウは喜んでパンとレンズ豆のあつものを食べ、ヤコブは喜んで長子の特権をもらいました。約束したのですから実践しなければなりません。約束を実践するのは罪ではないのです。実践できないことが罪です。ですから、約束を実践できるように協助するのは良いことであり、それを協助しないのは悪いことです。したがって、ヤコブの母リベカが、ヤコブが長子の特権を受けるように協助したのは良いことであり、それは引っ掛からないというのです。(1971・8・19)
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エサウはヤコブに長子の特権を売りました。それは偶然ではありません。一日で長子の特権を売ると約束しましたが、それは神様を中心として誓ったことになるのです。神様に誓ったことは実践しなければ罰を受けます。聖書を初めて見た人は、「世の中にこのようなけしからん者がどこにいるか。兄から長子の特権を奪うとは」と思うでしょう。しかし、ヤコブは兄をたぶらかしたのではなく、エサウが長子の特権を売ると約束したことは神様を中心として誓ったことなので、その誓ったことを実践しなければ罰を受けるというのです。
ヤコブは、その誓いを実践するために、長子の特権を奪ってこなければなりませんでした。母と一緒に父をだますのは、父には良くないですが、それを実践する方法がその方法しかなかったので、それは神様も公認しなければならず、サタンも公認しなければなりません。母が協力して父をだましたことは、ヤコブが責任をとるのではありません。母が責任をもたなければならないのです。罰を受けるのなら母が受けるのであって、ヤコブは受けません。そのような意味でリベカの貢献が大きかったというのです。(1971・8・22)
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堕落の張本人は、母でありエバです。その次に、堕落した罪の実を結ばせたのが誰かというとカインです。アダムの代わりにアベルを立てたにもかかわらず、カインがアベルを殺しました。ですから、二代にわたって罪の実を結ばせた人はカインです。 このように母子です。ですから、リベカは天の側の息子と一つになり、サタン側のエサウから長子の特権を取り戻してこなければならないのです。それでヤコブはエサウから長子の特権を奪ってきたというのです。(1972・3・22)
ハラン苦役路程
リベカはヤコブを通して、失った祝福である長子の特権を奪ってこれる条件をもつようになりました。条件です。その実体を得たのではなく、条件を得たのです。その事実をエサウが知ってヤコブを殺そうとしたので、リベカはヤコブを伯父の家に逃がしました。ヤコブは、伯父ラバンの家に逃げていき、そこで二十一年間苦労し、妻のレアとラケルを迎えるようになりました。(1981・5・14)
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ヤコブは兄から長子権を買い、あとで神様の祝福を奪いました。そして、家を出ました。彼はハランの地に行き、伯父の家で二十一年間僕のように働きました。伯父は彼にラケルをあげると約束しました。しかし、七年後にヤコブをだまし、レアを与えました。
皆さんであれば、すぐにラバンのところに駆け込んでいったでしょう。しかし、ヤコブは何も言わずにまた七年働き、そしてラケルをもらいました。その後、伯父ラバンは、神様がヤコブに与えたすべてのものを奪おうとヤコブをだましました。 それでもヤコブは不平を言わなかったのです。ここで私たちは、ヤコブが最も孤独な境地でも神様のみ旨だけを考えたことを知らなければなりません。
彼の人生で、ほかのことは問題にならなかったのであり、重要なことは神様のみ旨を成し遂げることでした。それで彼は、世の中からだんだんと遠くなりましたが、より多くの神様の愛を受けるようになりました。(1971・12・22)
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ヤコブのハランでの二十一年間の生活は、すべて神様を中心として行う生活だったのであり、神様にすべてのことを委ねる生活でした。彼は神様の心情の深い所に接しようとする生活をすることによって、生活の一切を神様と共に行い、神様の栄光のために生きなければならないという志を示したのです。
ヤコブが行く所は、すべて反対の道であり、すべてが許されない不完全な環境でしたが、その環境が厳しければ厳しいほど、神様に向かうヤコブの心も強くなりました。 そのためにヤコブに対する神様の心情も強くなったのです。
神様は、彼がその環境で苦痛、あるいはつらさに耐えなければならない状態に立てば立つほど、それに対応してヤコブの道を打開してくださいました。これは事実です。 ヤコブがそれを体験することによって、苦難の二十一年間を無事に越えることができたというのです。(1965・1・31)
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時が満ちて、故郷のカナンに帰らなければならない天命があることを知ったヤコブが故郷に帰るとき、伯父のラバンとの間に事件が起きました。ラバンは、ヤコブの二十一年間の生活の中で十回もヤコブをだまし、ヤコブの祝福された恩恵を奪った人です。いわば、彼はヤコブの義父でしたが、摂理上から見るとき、実体をもったサタンの立場だったのです。
そのような環境で神様に真実に忠誠を尽くすヤコブを心から慕う人がいれば、その人がいくらサタン側の人だとしても、ヤコブの蕩減期間が終わるまでは赦すことができませんが、その期間が過ぎるか、条件がすべて備えられるようになれば、神様はサタン側の人を赦すことができるのです。そのような立場にいた人がラケルでした。彼女はラバンの娘だったのであり、ヤコブの妻でした。彼女は、父のラバンがヤコブにしてはいけないことをしている事実を、長年の生活の中で知りました。
そのようなラケルは、もしヤコブがカナンに帰るのなら、ヤコブについていかなければなりませんでした。神様の祝福によって受けた財産をだまして奪った人がいれば、 その人に遠からず神様の罰が下ることを知ったラケルは、ヤコブが故郷に帰るときに、 ラバンがヤコブと約束した財産を渡さないことを知るや、ラバンがヤコブと約束したもの以上の価値があるものを盗んでいこうと決心したのです。このような妻をもったということは、ヤコブが天命を完遂するにおいて、なくてはならない絶対的な条件でした。
ヤコブが21年間苦役した結果として、ラバンと約束した財産を100パーセント持っていこう、ラバンにとってなくてはならない貴重な財産を持っていこうと決心した妻をもっていたヤコブは、神様の摂理、すなわち復帰摂理から見て、そのような条件が成立しなければ家庭的な摂理を出発できない立場に立っていたのです。ヤコブはラケルと一体となり、今までラバンと約束していた、自分がもらうことのできるものに該当する財産を三日間ですべてまとめ、自分の故郷に向かって出発しなければなりませんでした。これは歴史上にあった、一つの事実にとどまる問題ではありません。
一つの家庭を中心として、イサクから祝福を受けたヤコブが、アブラハムの代身者としてサタン世界に入っていき、愛するラケルと財産を取り戻してきたということは、 人間たちがすべてのものをサタン世界から分別して神側に渡す、家庭的な闘いをしなければならないことを意味するのです。これは摂理においての絶対的な条件でした。
しかし、ヤコブがラバンの家から妻と財産をもって帰ることをラバンが気づいて、追いかけてきました。そのときにラケルは、ラバンが取り返そうとしていた偶像を、 気丈にも馬の鞍の下に隠して見つからないようにして、ラバンを自分の故郷に送り返したのです。
サタン世界において、堕落したエバの復帰路程を歩んだラケル自身が、ラバンを実体の立場で送り返したということは、実体のサタンを分別したという条件を立てたことになるのです。このように、地上でサタンが追ってくる条件を断ち切ることによって、ヤコブの家庭はカナンの地に向かうことができたというのです。(1965・1・31)
天使との組み打ち
ヤコブがエサウに会いにいく途中、ヤボク川で天使と組み打ちをします。どうして天使と組み打ちしなければならないのでしょうか。天使はサタンの立場であり、神様に反対する天使です。
これで勝敗を決するのです。ヤコブが神様のみ旨を成すのか、成せないのか、という最後の決定的な闘いだということです。霊的な天使長を屈服させることができなければ、サタン側の実体の息子であるエサウを屈服させることはできません。エサウを救うことができないというのです。(1981・5・14)
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堕落とは、(見方を変えれば)天使に屈服させられたことです。ですから、人間が天使を屈服させなければなりません。これに勝っておけば、霊的サタンの支配を受ける天使長の実体も屈服させる道ができるのです。ですから、神様は天使を送ってヤコブを打つようにしました。
ヤコブはその闘いで、二十一年で投入した力以上の力で闘いました。二十一年間祝福を受けた以上の精力を尽くし、全力を尽くして闘ったというのです。ヤコブは、「骨が折れても、死んだとしても私はみ旨を成し遂げなければならない、体を犠牲にしてでもみ旨を成し遂げなければならない」という信念を強くもっていました。(1977・4・18)
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天使が来た時ヤコブは、神様の使者として来たことを知りました。ですから、「私を滅ぼすという使命をもって来たのか、でなければ福を与えるという使命をもって来たのか」と問えば、「福を与えるために来た」と答えたので、「福をくれるならくれればいいのに、なぜくれないのか」と言えば、「責任分担が残っているので、そのままでは与えられない」と言うのです。すなわち、ヤコブが組み打ちをして勝たなければ福を与えることができないというのです。言い換えれば、命を懸けて闘わなければ与えられないということです。
そのような条件を懸けていで立った時、ヤコブは「よし、私の指が抜けても、私の腕が抜けても、絶対に負けはしない」と決心し、刀で打たれても放さず、首を切られても離れないという心をもって組み打ちをしたのです。どれくらい闘ったでしょうか。 一晩中闘ったのです。お前が死ぬまで放さないという心で闘ったのです。ここには、 神様も立ち会い、サタンも立ち会っていました。
それでは、最後の決定をするその場で、ヤコブはどれだけ切ない思いだったでしょうか。天使が腰の骨を打ち、足の骨を折ってしまってもヤコブは放しませんでした。「お前が死に、私が死に、二人とも死んだとしても、絶対に放さない」という思いだったのです。そのように何時間闘ったと思いますか。七時間以上闘ったというのです。それでもヤコブは絶対に譲歩できないというのです。
そのような中で、ヤコブを見つめる神様の心は、どれほど息詰まる思いだったでしょうか。神様は、「天使が今サタンを代表して闘っているので屈服してはいけない」と知らせてあげたかったのですが、そのようにできないので、どれほど焦るような思いでその時間を過ごしたか考えてみてください。
時間が過ぎて最後の決断を下すようになったとき、天使がいくら振り払おうとしても放さないので、そこで神様も公認し、サタンも公認したのです。ヤコブがそのような立場に立って、初めて天使が公認し、ついにイスラエルという名前をもつようになりました。(1968・6・9)
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なぜ天使は、ヤコブを祝福する前に、彼の腰骨を打ったのでしょうか。人間の堕落行為は、体のその部分、腰骨の誤用からもたらされたものでした。ですから、その罪ある部分を打つことにより、償いの法則が全うされました。すなわち、旧約聖書にある「目には目を、歯には歯を」という法則からなされたのです。ですから、天使はヤコブを祝福することができたのです。(1972・4・1)
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こうしてサタンが祝福してくれました。イスラエルという名前がここから出てくるのです。何に勝ったのですか。天使です。そうすることによって、これからヤコブが行く道は神様が協助するだけでなく、天使世界も協助しなければならないのです。このように霊的に勝ったので、霊的サタンが支配できなくなったためにエサウも屈服するようになるのです。(1977・4・18)
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ヤコブは、アダムが天使長に対して失敗したことを復帰する、霊的に天使長を屈服させる第一の闘いで勝利しました。それで、イスラエルという祝福を受けました。天使から「私が負けた」という降伏文書をもらったので、天使長圏世界が人間世界に初めて主管されるということがスタートします。ここで初めてイスラエルが出発するのです。
このようにして霊的に勝利した基台をもったので、カインの実体がエサウだったのですが、霊的な面からサタンが直接介在して活動できる道は既にふさがっています。ですから、実体さえ処理すれば完全勝利が成されるのです。(1972・6・6)
ヤコブとエサウの一体化
ヤコブは霊的に勝利しましたが、実体のエサウが問題です。エサウの前に現れたヤコブはどのようにしたのかというと、自分が二十一年間苦労して得たすべてのものを渡してあげました。自分の息子、娘もすべてエサウのものとしたのであり、自分の僕もエサウのものとしたのであり、自分がもっているすべてのものをエサウに捧げたのです。
このようにして、ヤコブは神様の祝福を残すことができる立場に立つようになったのであり、ヤコブを殺そうとするエサウの立場が変わりました。すべてのものを捧げましたが、ヤコブは残ったというのです。(1972・6・6)
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ヤコブは、二十一年間苦労した結果として復帰した自分の僕やあらゆる財産を兄工サウに捧げることを願いました。ヤコブは、「私の命と財産はお兄さんのものです。 私はお兄さんの僕です」と言いながら、自分のあらゆる財産を兄エサウに捧げると、 エサウはヤコブのすべての財産を受け入れたのです。エサウが礼物を受け入れたことはヤコブを受け入れることであり、ヤコブを受け入れることはヤコブの家庭を受け入れることの表示なのです。(1970・3・15)
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ヤコブは、長子の特権を奪ったことをエサウに黙認させ、神様から祝福された者となって復帰路程において勝利しました。ここからサタン世界の長子の権限が崩れたのであり、イスラエルという名で祝福を受けるようになったのです。偽りの愛によって先に生まれたカインの後継者のようなエサウを、神側のヤコブが屈服させることによって勝利したのです。このように、長子の特権を奪ったので、地上のサタン権勢が崩れる条件が成立しました。ヤコブが地で肉身をもって勝利したために、長子の権限を相続されたのです。(1968・1・7)
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ヤコブが自分の贈り物をエサウに渡し、天の圏内からの贈り物をもらったエサウが屈服するのですが、これは、今後サタン世界は、経済的条件さえもてばいつでも救えるという条件が成立したということです。ですから、宗教者たちが自分の精誠を尽くしたものをすべてサタン世界に差し出せば、それによってその人たちが祝福を受けて戻ってこれる条件が成立したというのです。(1977・4・18)
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エサウにとってヤコブが自分の長子の特権を奪っていったのは、赦すことができない行動でした。非常に激憤していたエサウの心の中には、「もしヤコブが来れば一刀のもとに切り捨ててしまおう」という思いがあったことは明らかです。
ところが、なぜヤコブを歓迎するようになったのでしょうか。その背後の理由としては、ヤコブがあらゆる冒険によってラケルの父を撃退し、天使を屈服させることによって、霊的な天使と反対する実体のラバンを退けたという内面的な条件が成立していたからなのです。エサウが神様のみ言に従うヤコブの家庭に反対すれば、神様も赦すことができません。神様はヤコブの勝利基準を保護しなければならないのです。
ヤコブがもっているその条件を打てば、打った者が打たれるようになるということを、エサウ自身は知ることができませんでしたが、本心の中で自分が従わざるを得ないことを分かっていたというのです。これは、ヤコブの勝利とラケルの勝利によって、そのようになったことを知らなければなりません。(1965・1・31)
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エサウが母とヤコブに対して死ぬまで不満をもっている限り、その家庭は永遠に一つになれません。エサウと父を屈服させなければなりません。自然に「称賛します」 と言うようにしなければならないのです。息子のエサウも、父のイサクも称賛する場に立たなければ本然の位置に戻れません。
ですから、息子と父から母が精誠と苦労で涙を流し、間違っていたと悔い改め、百回謝罪し、千回謝罪して赦されたとしても、ヤコブが現れるとき、その父の心とエサウの心が、母の心と同じになれるかが問題です。ここから自然屈伏という論理が生まれるのです。カインの立場であるエサウと、サタン側の立場である父を自然屈伏させなければ、復帰がなされません。
そのようにしようとすれば、その母親がヤコブの何百倍も努力しなければなりません。それで、ヤコブが帰ってきても殺さないと何度も約束し、何度も繰り返し誓って実行できるようにするために、母親がエサウをどれほど内外に感化させたでしょうか。母親がそのような責任を果たしたのです。(1993・2・14)
メシヤのための基台
ヤコブがヤボク川で天使と闘って勝つことによって、イスラエルという名前をもらいました。その次には、兄のエサウが殺そうとする局面で歓迎されました。天使に勝ったヤコブを中心として、ヤコブの家庭を一つにしたのです。これを中心として氏族編成していき、民族編成をしていきます。それがユダヤ教を中心として、内外で一つにさせてきたことです。こうしてメシヤが来れば、そのメシヤを中心として一つの国が完全に一つになることができます。そのようなモデルを神様は計画されたのです。
しかし、サタン側が国家をもって神様に反対したので、神様がサタン側よりも優れた国家をもたなければ、中心の位置に立つことができません。言い換えれば、主体と対象の関係になるので、サタン国家を凌駕できる天側の国家が出てきてこそ、国家的主体が成立するのです。(1972・2・13)
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皆さんは、ヤコブが勝利した基盤の上に即刻メシヤが来られるのではないだろうかと考えるかもしれませんが、そのようにはなりません。なぜなら、サタン世界は国家を形成していたのですが、当時のイスラエルは氏族編成圏内にいたからです。すなわち、サタン世界は国家を形成していたので、それに対して氏族圏であるイスラエルでは対処できなかったのです。
ですから、神様は二千年の歴史を延長させながら、「早く大きくなり、成長しなさい」 という祝福をイスラエルの民に与えてくださったのです。神様のそのような祝福を礎として、イスラエルは国家編成を願ってこざるを得ませんでした。
このようにして延長されてきた歴史が二千年であり、その歴史の中にユダヤ教を中心としたイスラエルの国家形成が始まるようになったのです。そのようにしながら、 神様はイスラエル民族に、「メシヤを送ってあげよう」という約束をしてくださったのです。
このようにメシヤは、当時のイスラエルにやって来ることはできませんでした。既に明らかにしたように、イスラエルが民族、国家編成を経たのちに初めてメシヤを送ることができるのです。すなわち、国家を代表して神様が主管できるアベル圏であると同時に、神様の長子権をもって来られる方がメシヤなのです。(1980・11・18)
モーセ路程について
第一次民族的カナン復帰路程
バロ宮中四十年路程
ヤコブ一代で造成した勝利的イスラエルの足場と同じ民族的な勝利の足場を、イスラエル民族は、エジプトで備えなければなりませんでした。しかし、イスラエル民族は、ヤコブがヤボク川で天使と闘って勝利した足場を怨讐の国で立てなければならないにもかかわらず、これを立てることができませんでした。言い換えれば、イスラエル民族は、団結して民族的な天の試練過程を通過しなければならない立場に立っていることを忘却していたのです。このような立場に立っていた民族を再び収拾するために、天はモーセを立てました。(1958・2・9)
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ヤコブ以降四百年の歴史路程を経て、神様は、ヤコブの立てた家庭復帰の基準の上に民族復帰の中心人物としてモーセを立てられました。このようにして、長い歳月の間摂理してこられた神様の全体摂理の結実体として、モーセが探し出されたのです。 そのため、モーセが責任を完遂すれば、人間はもちろん、神様の中に積もり積もった怨恨まで解かれるようになるのです。モーセは、こうした条件的立場で民族の代表に立てられたのです。
モーセは、神様が全歴史を摂理されて得た結実体であり、民族にとってかけがえのない存在でした。このように選ばれたモーセは、歴史的な怨恨を蕩減すべき責任が自分にあるということを感じて、神様のすべての悲しみを解かなければならず、民族的な悲しみにも責任を負わなければならない立場にありました。(1957・6・23)
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民族の精神を失わなかったモーセは、自分の前に豪華絢爛な栄光が幾重にも重なれば重なるほど、そこが自分の生きる世界ではないという信念が積み重なっていきました。アブラハムもそのような信念のもとで天の前に立ち、ノアもそうであり、ヤコブもそうでした。モーセもそのような立場だったというのです。どんなに豪華絢爛なパ口宮中であったとしても、怨讐の宮中だという思いが、鉄石のように固かったのです。 (1960・1・17)
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四十年の路程をパロ宮中で過ごしたモーセは、一日たりとも幸福な日はありませんでした。自らの民族が悲嘆の中にあることを見つめながら、たとえ死に追われ、恐怖が増し加わったとしても、民族を救いたいと思って同情するあまり、民族のために死のうという心情が先んじたので、イスラエル民族の中に飛び込んでいったのです。(1960・1・17)
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モーセは、豪華絢爛なパロ宮中にとどまっている間、華やかに着飾り、食べ、歓喜にあふれる生活をしていたのではありません。彼が宮中にとどまっているとき、終始一貫、食べて、着て、寝る、その生活のどの一瞬においてもイスラエル民族を心配していない時がありませんでした。エジプトにいるイスラエル民族の中で、モーセだけが天に対する忠誠心が変わらなかったのです。(1956・7・1)
出発のための摂理――エジプト人を打つ
モーセがイスラエル民族の前に現れ、新しい信念のみ言、新しい趣旨を語るとき、 裏切り行為にふけっていたのがイスラエル民族でした。この群れが互いに戦うのを見つめるとき、モーセの義侠心は燃えたのです。それを見た彼の心情は、「互いに団結して怨讐と戦うべき立場なのに、同族間で互いに戦うとは」という無念な思いだったのです。民族愛に燃えているただ中にあって、怨讐の国のエジプト人と同族のイスラエル人が戦うのを見たモーセは、エジプト人をその場で打ちました。
その時、イスラエル民族全体がモーセと一つになって団結したとするなら、神様の摂理はその時始まっていたでしょう。四十年の延長はなかったのです。民族を同伴して行くべきモーセは、民族の裏切りによってミデヤン荒野四十年という延長の道を歩まなければなりませんでした。(1960・1・17)
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エジプトでイスラエル全体が一つになり、信仰をもってカナン復帰に向かっていなければなりませんでした。アダムとエバは、神様を信じて一つになれなかったので、 天の国に行くことができなかったのです。不信の場で失ってしまったので、イスラエル民族が信仰をもってカナンに向かっていれば、荒野から三週間以内にカナンに入っていたのです。イスラエル民族が、死ぬとしてもモーセと一緒に死に、エジプトの国で一緒に死のうとしていれば、神様がすべて保護していたというのです。(1993・5・30)
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モーセは、同族同士が一つになれずに争っているのを見て嘆き、また民族が異邦人に苦しめられているのを見ると、その異邦人に対抗し、命懸けで闘うようになりました。このようなモーセに従い、エジプト人に対抗して闘うべきイスラエル民族が、かえってモーセを追い出す立場に立ちました。
これはちょうど、ヤコブが神様の祝福を受けて自分の故郷を離れていったのと同じ立場でした。また、ヤコブが祝福されるべき家庭を離れてサタン側の家庭に行ったのと同様に、モーセも祝福されるべきイスラエル民族をエジプトに残したまま、ミデヤン荒野四十年路程に出発するようになったのです。(1958・2・9)
第二次民族的カナン復帰路程
ミデヤン荒野四十年路程
選民イスラエルの先祖ヤコブが、昔ヤボク川で成し遂げたその祝福を、エジプトにいるイスラエル民族が成し遂げることができずにいたので、彼らを再び収拾しなければならないモーセは、ヤコブと同じように民族的な路程を歩むために荒野に出ていくようになりました。ヤコブがエサウの祝福を代わりに受けて、ハランの地を訪ねていったのと同様に、モーセも、イスラエル民族に代わって、神様からの祝福を再び立てる責任を担うようになったのです。(1958・2・9)
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モーセは、栄光の中の栄光の立場にいました。パロの王女の息子であり、未来にエジプトの主権にまで影響を及ぼすことができる王子であり、所望することがあるならば誰よりも大きな所望をもつことができ、希望と野望があるならば誰よりも大きな希望と野望をもつことができ、幸福ならば誰よりも幸福な立場にいたにもかかわらず、 イスラエル民族を中心として、取るに足らない奴隷の立場の人たちに責任をもち、自分の周囲のあらゆる環境を否定し、自分の生死の問題までも超えて立たなければならない、そのような立場に立っていったのです。
モーセにとって、民族を愛することにおいては、自分の一身の栄光、備わった環境のすべての栄光が問題ではなく、自分の生命が安逸な立場にあることを自負することが問題ではありませんでした。民族を自分の困難以上の困難な立場においてはいけないという、将来の民族とイスラエルの国を自分よりも栄光の立場におきたかったのがモーセの心だったので、自分のすべての栄光を考えず、苦難と受難の逆路に立ち向かっていきました。
このように立ち向かうことは簡単な問題ではありません。最高の立場から最低の立場に飛び降りるということは、とても難しいことです。しかも、モーセが将来どのようになるという神様の保障を受けたわけでもありません。神様が呼んでそのようにしなさいと命令を下したわけでもありません。民族を愛する心が先立って憤激して行動し、彼はイスラエル民族のために自分のすべてのものが否定される立場に立つようになったのです。(1971・9・5)
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モーセは、エジプト宮中の豪華なすべての栄光を捨て、ミデヤン荒野での苦役生活が迫ってきたとしても変わらない心を抱き、自分を愛する心よりも神様のみ旨を心配する心をもっていました。
荒野のあらゆる雨風に苦しむ悲しみを味わったとしても、それをすべてかき分け、 民族から追われたとしても、神様に対するモーセの変わらない決心があったがゆえに、 民族が困難な事情に置かれ、モーセがそのような苦難の環境に入っていったとしても、民族が団結できたのであり、天はモーセを立てて摂理することができたのです」 (1958・2・23)
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ミデヤン荒野で生活していたモーセは、パロ宮中で豪華に暮らしていたことを恥ずかしく思い、パロ王の娘が自分のためにすべての願いを聞き入れてくれる自由な環境で暮らしていた過去の富貴、栄華をすべて忘れました。そして、羊飼いの服を着て羊の群れを追い回す無名の牧童の立場でしたが、その羊の群れを見つめて、先祖のアブラハムに約束されたカナンの地を慕いました。
今はたとえ羊の群れを追い回しているとしても、いつかは羊の群れを追い立てていくように民族を導き、カナンの地に入っていこうという切なる思いで天に訴えたモーセでした。モーセは、満腹でも空腹でも、寝ても覚めても、労心焦思、アブラハムがソドムとゴモラの人々が知らないところで彼らのために祈っていたのと同じように、 民族のために心配し、すべての精誠を尽くして祈っていたのです。(1956・7・1)
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モーセは、エジプトの迫害と塗炭の中で苦役を受けているイスラエル民族を見つめるとき、骨が溶けるほどの悲しみを感じたのであり、天に向かって、「主よ!私を御覧になってこの民族を哀れんでください!」と訴えました。それで神様は、このようにこの上ない精誠で訴えるモーセを、六十万の大衆をエジプトの地から導き出す指導者として立て、人が見るとき取るに足らない、ミデヤン荒野で一介の牧童生活をしていたモーセを、先祖から隠れた根として伝わってきた貞節を継承させ、民族の代表者として立てたのです。(1956・7・1)
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牧者としての四十年間の生活は、何のためだったのでしょうか。イスラエル選民を率いるための準備生活でした。四十年以上の受難の道がぶつかってきても、それを克服できる力を育てる鍛練と試練の期間として神様は考えました。それで、モーセをもう一度立ててイスラエル民族に送ったというのです。
それでは、モーセが孤独な立場で、神様の祝福の因縁を引き継いで進んでいけたのはなぜでしょうか。希望のイスラエル国家を愛し、希望のイスラエル国民を保護することを、自分の生活環境を越えてあすの希望の帆のように彼の心の中で追い求めていたので、困難な四十年にわたるミデヤン荒野での生活も無難に過ごすことができたのです。
万一、そこで少しでも自分の過去のことを思っていたなら、すぐに宮中の豪華な生活を夢見てその環境を慕わしく思い、自分の環境と比較してその差が多ければ多いほど悲しくなったかもしれませんが、そのことを夢にも思わない立場に立っていたモーセだったので、捨てられた立場からもう一度、イスラエル民族の主人の立場に呼ばれたのです。(1972・6・5)
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モーセが宮中を去り、ミデヤン荒野で羊を飼う牧者生活をしながらも、秘めていたただ一つの思いとは何でしょうか。彼は、「イスラエル民族の側に立ったために、このようなことになった」と落胆しませんでした。「自分がこのようになったのは、イスラエル民族のためだ」とは考えませんでした。
モーセが神様の信任を受け得る動機がここにあるのです。失敗はイスラエル民族にありましたが、「私がこのようになったのは、神様のためにこうなったのであり、私が孤独を感ずるのは、神様の孤独を代わりに責任をもつために感ずるのであり、私が犠牲となるのは、神様の悲惨さを防御するための盾として犠牲になるのだ」と考えたのです。
このような心情で四十年間羊を飼い、群れを率いて回る時、狼の襲撃がなかったでしょうか、毒蛇の群れの脅威がなかったでしょうか。しかし、どんなに危険が加重され、孤独と嘆きが吹きつけてきたとしても、「私がこのようになったのは、イスラエル民族のゆえではなく、神様のためだ」と考えました。このように偉大な内的覚醒をしたモーセは、「神様のみ旨が成されるその日まで、私は忠誠を尽くす」と考えたのです。
そのようにして、彼は「私がイスラエルのためにこうしていで立ったのは、結局神様のみ旨のためだ」と考えながら、自主的な権限をもって民族の先頭に立ちました。 多くの民族があるとしても、その民族の前に立つために、堂々とした内外の心的態度が備えられていたのがモーセです。(1972・11・12)
出発のための摂理――三大奇跡と十災禍
荒野で羊飼いとして孤独な生活をする自分の事情も悲惨でしたが、自分の悲惨さを忘れ、エジプトの地で怨讐に苦しめられながら苦労するイスラエル民族を思い、同情の涙を流していたモーセでした。このようなモーセの孤独な事情と心情が天に通じ、 モーセが天のために憂慮し、選民のために生きる代表的な兄の立場として現れたので、 神様は再びモーセを呼び、パロの宮中へと送ったのです。
これはちょうどヤコブがエサウから逃れ、二十一年間ラバンの家で苦労したのちに、 自分のすべての所有をもってエサウがいる所を訪ねていく路程と同じです。このように、モーセもヤコブと同じ困難な路程を歩んでいきました。(1958・2・9)
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ここで、どのようなことが起きたでしょうか。モーセの行く道に対して神様が後援するのではなく、かえって眠りについたモーセを殺そうとする事態が起きるようになったのです。これも、やはりヤコブが歩んでいった路程と同じでした。ヤコブがヤボク川で天使と闘ったとき、腰の骨が折れているのも知らずに闘った、その事情を通過しなければならないのがモーセの立場だったので、神様の前にそのような立場に立てられたのです。
モーセは、このような試練を無事に越えたのちに、選ばれたイスラエル民族に再び出会い、神様と民族を身代わりして、民族的なイスラエルの祭壇を積み上げるようになりました。(1958・2・9)
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モーセは、パロと相対して闘っていたその当時にも、天が願われるみ旨だけに相対する志操をもっていました。また、モーセは、民族とも取り替えることのできない資格を備えていたのであり、サタン側と対決できる資格を備えていましたが、彼を身代わりできるイスラエル民族になっていなかったので、神様は何度もパロの心をかたくなにされたのです。
それでは、モーセに対するイスラエル民族は、どのような心をもたなければならなかったのでしょうか。彼らはモーセを、神様が数千年間苦労され、また彼らの先祖たちが数千年間努力しながら、すべてを与え、すべてを犠牲にして探し立てられた一人の中心人物と理解しなければなりませんでした。(1957・6・23)
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神様はなぜパロの心をかたくなにして、何度もイスラエル民族を攻撃させたのでしょうか。これは、神様がイスラエルを完全に内的に一つにするためです。パロがかたくなになって十度反対すれば、イスラエル民族は、完全に一致団結するのです。それで、 モーセの命令のもと、すべて紅海を渡って出動することができたのです。(1979・10・4)
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モーセは、自分の家族を連れて、パロがいる所で闘いに闘いを繰り返しました。しかし、十度の奇跡を通しても、パロはイスラエル民族を解放しようとしませんでした。 モーセがもしパロ宮中だけで暮らしていれば、神様がそのような命令をしたとき、パロと最後まで闘うというのは不可能だったでしょう。しかし、モーセは、過去のミデヤン荒野四十年の生活の苦難で、直接困難な環境にぶつかる経験を通して、「神様はいつも私の味方だ。神様の立場に立ってその心にかなう心をもっていれば、私を守ってくださる神様でいらっしゃる」という信念を固くもっていたのです。
そのような理由から、モーセは、パロが何度もだましてイスラエル民族を手放さない状況であっても、一度も落胆することなく、堂々と闘って打ち勝ちました。そうして、三日の猶予をもらって、イスラエル民族をサタン世界からすべて連れ出してきたのです。(1965・1・31)
幕屋を中心とする復帰摂理
モーセの四十日断食
イスラエル民族と自分が一つになれない事実に直面するようになるとき、モーセは不信する民族を叱責する前に、自分自身の不足を天に訴えました。彼はシナイ山に登り、四十日間断食祈祷しながら、「お父様、この民族がどうして許諾された地が目の前に見えるのに、入っていくことができないのですか。
その責任は誰にあるのですか。 その責任は私にあります。私が責任を果たせなかったからです。ですから、私を祭物として民族の滅亡の道をふさいでください」と訴えたのです。このようなモーセの隠れた精誠の期間がありました。(1956・7・1)
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神様に背く民族を見つめるモーセの心情は、かえって自分が死んでしまうほうが楽だったでしょう。しかし、モーセは、イスラエル民族が先祖から今まで神様が祝福してくださった歴史的な民族だということを考えたのです。そして、歴史的な神様、時代的な神様、未来的な神様として、自分の子孫たちとも永遠に共にいらっしゃり、自分の氏族たちとも永遠に共にいらっしゃる神様だということを思うとき、モーセは逃げることもできませんでした。
だからといって、彼らをそのままにしておくこともできず、投げ出すこともできなかったのです。そのような指導者の立場に立っていたモーセのつらさというものは、誰も想像すらできないものでした。それでモーセは、シナイ山に登っていって四十日間祈ったのです。民族と一つにならなければ、カナンの地に入っていくことができなかったからです。(1965・1・31)
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モーセには、民族に対する指導者として責任があったので、モーセ自身に過ちはなかったのですが、不信した民族を代表してシナイ山に登り、食べる物も食べずに、着る物も着ずに、倒れていくイスラエルを取り戻すために四十日間、贖罪の祭壇を積み上げました。
もしイスラエル民族に選民の資格があるとすれば、モーセがシナイ山に登って苦労しているとき、その山を取り囲み、六十万の大衆が寝食を忘れて天に向かい、「神様、 私たちの指導者モーセを下山させてください」と言いながら、熱心に祈ったでしょう。 しかし、そのような人は一人もいませんでした。(1958・2・9)
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モーセが石板をもらうためにシナイ山に登っていた四十日間に、イスラエル民族の恨みの声が高まり、彼らは金の子牛をつくって崇拝しました。そのときにモーセが下りてきて血気に走り、天から授かった石板を壊してしまいました。これがモーセの失敗でした。
耐えて克服しなければならないその瞬間を正しく越えていたならば、歴史的な怨恨の穴を掘らずに済んだのですが、責任者として血気を克服することができず、 その環境をきちんと越えられないことによって、歴史的な汚点が残ってしまったのです。(1972・9・17)
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もしイスラエル民族が、モーセの断食がモーセ自身のためではなく、自分たちのためであることを知っていれば、彼らはモーセの四十日断食期間に金の子牛をつくって崇拝する不信の行いはしなかったでしょう。
また、彼らが民族の祝福を身代わりしたモーセが、一つの隠れた祭物として天に捧げられるようになるとき、モーセの心に同情し、彼の苦労を心配してシナイ山にいるモーセと一緒に涙を流し、天に訴えることができていれば、彼らは神様の懐を離れなかったというのです。(1956・7・1)
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モーセが命を掲げて全民族の命を救援する生きた祭物となろうと身もだえしたことを、その民族は知りませんでした。ただ神様だけが御存じでした。神様だけが友人になってくださったのであり、神様だけが父として彼に対してくださったのです。
モーセはそのような神様でいらっしゃることを知ったので、四十日間食べることを忘れながら、二度とお父様に悲しみと悲運の心情を与えないようにしようという責任感をもち、あらゆる精誠をすべて尽くして訴えることによって、イスラエル民族を復活させ得るみ言を受けるようになりました。
これは喜ばしいことでした。ところが、喜びを紹介するためには、人知れず背後で悲しみの祭物となった人がいたことを、イスラエル民族は知らなかったのです。もし彼らがこれを知っていれば、荒野で六十万の大衆が倒れることを避けられたでしょう。 そのあとにでも、彼らがモーセの十戒に従い、天の悲しい心情を解怨してさしあげるために、自分たちの体が祭物になるとしても屈せずに進んでいこうという信仰があれば、彼らは荒野で倒れなかったのです。(1958・1・19)
石板と幕屋の意義
モーセがシナイ山で四十日断食を通して得た二枚の石板とは何でしょうか。アダムとエバ、真の父母を象徴しているというのです。それでは、なぜ契約の箱の中に二つの石板を入れたのでしょうか。二つの石板は、神様のみ旨を終結させ得る中心として、 アダムとエバを象徴したものなのです。それで契約の箱の中に入れたのです。
それでは、アロンの芽の出た杖とマナとは何でしょうか。これは、相対的な面において生命の根源になる万物なのです。これが一つにならなければなりません。相対性を備えた相対として、また、別の相対圏を形成し、人間と万物を一つにして神様と一致させるための相対的存在だったのです。ですから、そこに神様が臨まれて直接運行したというのです。
地上天国と神様の理想世界を実現するために、真の父母として来られるメシヤを迎える道を案内するのがカナン復帰路程です。ところが、その民族が荒野で倒れそうになったので、象徴的にメシヤの代身として見せてくださったのが契約の箱の中に入っている二つの石板であり、マナとアロンの杖でした。これに絶対的に侍ることによって、来られるメシヤに絶対的に侍ることができるのです。そのようにして、天の国の建国が始まることを見せてくださいました。それで、象徴的なメシヤを立てて訓練したのが幕屋の理念です。それは、メシヤが訪れるための象徴的な準備でした。(1985・4・7)
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イスラエル民族の前には、ヤコブの家の代わりに民族の家がありましたが、それは荒野時代の幕屋です。モーセを迎えてからは、幕屋が家です。民族が居るべき家です。 ですから、死んでも幕屋をつかみ、生きても幕屋をつかまなければなりません。死ぬことがあっても、幕屋を離れてはいけないのです。幕屋をつかんでいかなければなりません。
しかし、その民族は幕屋とは何かを知りませんでした。ですから、幕屋をつかんでいったモーセを軽んじ、嘲弄したのです。六十万の大衆がありとあらゆることを言ったでしょう。そうして、民族がモーセと一つになれずに分かれたので、民族が居るべき家、幕屋はしかたなくサタンのものになりました。民族がそのようになったために、サタンがもっていったというのです。(1960・11・27)
カナン偵察四十日路程
イスラエル民族が荒野に出て、カナン七族を前にしてヨルダン川を越えていくときに、ヨシュアとカレブをはじめとする十二人に四十日の偵察をさせました。その報告を聞いてみると、十人は反対しました。しかし、ヨシュアとカレブの二人は、自分たちの民族がみすぼらしい立場に追いやられていましたが、神様が生きていらっしゃることを理解し、神様を信じていたので、信仰的な主張をしました。(1985・2・25)
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モーセがイスラエル民族の十二支派を代表する十二人を立てて、カナンの地を偵察させたとき、彼らは、「自分たちの力ではカナン七族にかなわない」と報告しました。 しかし、十二人のうち、ヨシュアとカレブは違いました。イスラエル民族が反旗を掲げているときに堂々と現れ、「私たちを今まで導いてこられた神様は生きていらっしゃいます。イスラエル民族に立ちふさがっていた紅海を分けて平坦な道を造り、渡れるようにしてくださった神様は、生きていらっしゃいます。その神様を信じていく道こそが、私たちの行く道です」と叫んだのです。神様は、そのようなヨシュアとカレブを御覧になり、彼らに道を開いてくださいました。(1968・1・15)
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偵察して戻ってきたすべての人たちは反対しましたが、そこで、「勝利は私たちのものであり、エジプトから私たちを導いた神様は、カナン七族がいるとしても私たちと共にいらっしゃるのだから、どんな怨讐も私たちの手で屈服させて余りある」と、最初に覚悟した心情を失わなかったヨシュアとカレブでしたが、偵察して戻ってきたときは落胆せざるを得ませんでした。
六十万の大衆を見つめるとき、疲れ果てて、希望的な一つの条件もつかむことができない、このような状況でカナン七族を攻撃するというのは、とんでもないことだったのです。しかし、神様がこのような取るに足らないイスラエルをパロの魔の手から導き、カナンの福地を約束したということを鉄石のように信じるヨシュアとカレブは、 信仰的な報告をしました。
彼らは、何があったためにそのようにできたのでしょうか。信念があったのです。 彼らは、カナンを取り戻すことができる主人になるという信念がありました。(1958・8・17)
第三次民族的カナン復帰路程
荒野四十年路程
天国に入ろうと考える前に、私自身が天国の民として永遠に変わらない天の民になるかどうか、ということが問題です。私だけではなく、私の家庭がどのようにして天の家庭になるか、自分の氏族がどのようにして天の氏族になるか、これが問題なのです。このような使命を終結するために、モーセが荒野の四十年路程にイスラエル民族を導き出しました。(1965・10・20)
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勝利の基準を完成させるためには、個人的な苦痛の時代と環境的な苦痛の時代を克服しなければなりません。これが一つの公式です。モーセにおいても、パロ宮中を離れて荒野で四十年間家庭を率いて苦痛を克服する期間があると同時に、イスラエル民族を導いて荒野で四十年間苦役する道が待っていたのです。(1987・1・4)
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モーセが六十万の大衆を荒野に導き出して流浪した四十年の期間は、周囲の環境がとても困難なものでした。しかし、モーセがあらゆる困難な環境的諸条件を忘れ、六十万の大衆をカナンの地に導くことができたのは、神様が約束してくださったカナンの地に入ろうという懇切な心情とカナンの地に対する希望の心情が、六十万の大衆が反対する心情より強かったからです。(1959・2・22)
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イスラエル民族は、死んでもモーセについていかなければなりませんでした。死んでも生きても、モーセが一片丹心で天に忠誠を尽くしたのと同じように、イスラエル民族もモーセが行く所は、どこにでもついていかなければならなかったのです。
モーセが涙を流せば、その涙は民族のための涙なので民族も泣かなければならず、モーセが戦えば、その戦いは民族の戦いなので民族も戦わなければなりませんでした。民族的な遺業の実体として選び立てたのがモーセならば、モーセによく従えば、民族が遺業のすべてを相続するのです。
ところが、イスラエル民族は荒野でモーセを信じることができず、不平不満を言いました。エジプトの国で暮らしているときは、それでも飢えることはなかったのですが、六十万の大衆が荒野に出て、一、二年でもなく四十年をさまよい歩いたのですから、このイスラエル民族の立場がどのようなものだったか一度考えてみてください。
もし、今日全世界に広がっているキリスト教徒たちを神様の命令によって荒野に引っ張り出して「四年だけ暮らしなさい」と言えば、モーセ(指導者)をむしりとって粉にしてしまうでしょう。
ですから、それでもイスラエル民族は偉かったのです。四十年間忍耐したのです。 行こうと言えば行きました。選んだみ旨を前にして、イスラエル民族はモーセに従っていきました。しかし、天の法度とは、人間の法とは違い、サタンとの条件が処理されて、初めて民族の問題を処理できるという事実を知りませんでした。そのような苦衷が伴うことをイスラエル民族は知らなかったのです。(1960・11・17)
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本然の民族を回復するためにモーセをエジプトから荒野に追いやった神様の心情は、 どのようなものだったでしょうか。モーセの生活よりも、もっと深刻で、もっと憤慨し、もっと痛哭しながらイスラエル民族をエジプトから追い立てた神様の心情を誰も知りませんでした。誰が神様の心情を知っていたでしょうか。(1959・7・5)
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イスラエル民族が団結して「神様が願われる所とはどこですか」と尋ね、モーセのあとに従って死を恐れずカナンの地に走っていったとすれば、彼らは荒野で倒れることはなかったでしょう。神様のみ旨を知らず、導かれるままについてくるモーセを見つめる神様は、一瞬たりとも休むこともなく、たとえモーセが寝入っている瞬間であっても、気をもみながら民族を見つめたのです。
どのようになるか分からない立場にモーセを追い込んで導いてきた神様の心情も耐え難いものでしたが、耐え難い立場にいるモーセをイスラエル民族が分かってくれない、そのことがもっと悔しいことでした。ですからその民族は、審判を受けるしかなかったというのです。(1960・1・17)
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モーセは、希望の園であるカナンの地に導くために、民族を荒野に導き出しました。 荒野で民族が排斥し不信する環境でも、民族を導かなければならなかったモーセの悲痛な心情は、とても言い表すことができないものでした。民族全体が誇るべきであるにもかかわらず、それを知らずに無視する民族は、すぐに滅びて当然でした。もしイスラエル民族がモーセの心情を理解していれば、不平を言うことはできなかったでしょう。
飢える民族を見つめるとき、モーセは飢えているどのイスラエル民族よりも悲壮で深刻な立場で、天に向かって彼らに祝福があることを訴えました。そのような心が天を動かしたのです。モーセが自らの境遇を忘れて自分たちのために祈っていることを、 イスラエル民族は夢にも考えていませんでした。
イスラエルの六十万の大衆が滅びないためには、モーセが自分たちよりももっと飢え、自分たちよりももっと凄惨だったという事実を知らなければなりませんでした。 また、民族を生かそうとするモーセだった事実も知らなければなりませんでした。したがって、千秋万代の子孫の前に、かえって後ずさりしてモーセに反対する立場に立つようになるとき、モーセの心情はとても言い表せないほど悲しかったのです。
さらには、命を捧げて天のために生きるモーセの志に順応していくべきことを民族が理解できなくなるとき、それによってモーセが悲しんだだけでなく、神様はモーセよりもっと悲しんだのです。モーセの悲しみより神様の悲しみがもっと大きかったことを知らなければなりません。(1959・2・8)
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イスラエル民族がモーセを恨むようになったその原因とは、どこにあったのでしょうか。何ゆえに恨むようになったのでしょうか。彼らが荒野で生まれ、そこにとどまりながら神様のみ旨と向き合っていたなら、モーセを恨まなかったでしょう。しかし四百年間エジプトで生活してきたその習慣、彼らの生活的な環境が荒野で引っ掛かるようになったのです。今日の皆さんは、これを肝に銘じなければなりません。
別の言い方をすれば、モーセを信じて出発したイスラエル民族だったのですが、彼らは出発する前の生活環境に対する未練を捨てることができず、滅びるようになったのです。また、それがモーセの進む道を破壊してしまい、モーセとイスラエル民族を分離してしまったのです。(1957・6・23)
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エジプトを離れてモーセに従ったイスラエル民族も、荒野に出て苦労をするやいなや、昔のエジプトを懐かしく思い、カナンの福地に入れずに途中で倒れてしまいました。彼らが荒野に出て、泊まる所も食べる物もなくなると、「エジプトにいたならもちも食べ、時々肉も食べていただろうに」と言いながらモーセを恨んで、彼に不平と不満を吐露したのです。
その時イスラエル民族の中で、そのように過去を思い返しながら不平を言っていた者とは誰だったのかというと、エジプトにいる時に富裕だった人であり、人を支配していた人たちでした。ですから今日、皆さんはそのようなイスラエル民族の前轍を踏んではなりません。(1957・6・23)
出発のための摂理――磐石の摂理とモーセの失敗
荒野路程で磐石を二度打ったことや、炎の蛇をつくって竿の先に掲げさせたことも、 歴史路程においてすべてのことを蕩減することを象徴しているのです。イエス様の生死とあらゆることが一致します。ですから、未来に来られるメシヤが侵害され得るのです。未来のイスラエルの国のすべての基盤を築くべきイスラエル民族が誤ることによって、イエス様が基盤を築くことのできる時代にも、このような苦役が増し加わってきたことを知らなければなりません。(1998・4・12)
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モーセは、カナンを目の前に見つめながら、荒野で一世と共に死んでいきました。なぜなら失敗したからです。原理がそのようになっています。石板を破壊し、磐石を二度打ちました。イスラエル民族は偶像をつくって崇拝しました。神様に逆らったのです。したがって、一世はすべて荒野で死に、荒い鳥の餌になってしまったのです。 その先頭に立ったモーセも荒野で死に、一世はすべて荒野で死んでしまい、二世がカナンの地に入っていくようになりました。(1993・10・8)
ヨシュアを中心とするカナン復帰とイスラエル民族の不信
モーセが断食して祈らなければならない事情は、自分一身のためではなく、民族のためだったにもかかわらず、イスラエル民族はそのことを夢にも思っていなかったので、滅びざるを得なかったのです。モーセは、ヤコブがヤボク川で祈っていたのと同じように困難な峠を迎えていたのですが、モーセに代わってイスラエルの六十万の大衆を先導する人がいませんでした。
もし、そのような人が一人でも出てきて民族を導いていれば、彼らは困難な境地に陥らず、平安な境地にいたでしょう。そのようにできなかったので、サタンが民族を籠絡するようになったのです。こうして、モーセを身代わりできる指導者としてヨシュアとカレブを再び立て、彼らが二世たちを導いてカナンの地に入っていくようになりました。(1958・2・9)
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モーセを中心として歩んでいたヨシュアとカレブは、十二人の斥候の中にいた人たちですが、いくらペリシテ人やカナン七族が強くても、神様の保護の中で勝利するという信念をもっていました。この二人だけが残ったのです。前に進めば恐ろしいカナン七族がいて、自分たちを見れば瓦解している、そのような状況で、カナン復帰やカナン入城というのはとても困難なことなのです。このような絶対信仰をもったヨシュアとカレブに、モーセのすべての権限を継承させるようになりました。(1994・12・18)
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ヨシュアとカレブの行く道は、冒険の道でした。彼らが歩いた道は、難しい開拓の道であり、闘いの道でした。行く先々で開拓者の使命を果たさなければならない、厳しい道でした。時には個人的に、あるいは環境的に、ぶつかってくる試練と闘わなければならない路程が彼らにはあったのです。
モーセがイスラエル民族を率いてカナン福地に向かって出発しようとする時、パロ王がモーセを殺そうとし、イスラエル民族の中にもモーセを不信して反対する人が多かったのと同じように、ヨシュアとカレブの時にもそのようなことがありました。このようなことをよく御存じの神様は、ヨシュアとカレブに「強く雄々しくあれ」と語られたのです。「強く雄々しくあれ」、このみ言は何を意味しているのでしょうか。それは、「人間的なすべての条件を乗り越えなさい」という意味です。(1957・6・23)
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イスラエル民族がカナンの地に入りましたが、イスラエル民族の民族的な内容を備えることは本当に難しかったのです。その時は、荒野で神様が直接導いていた道が継続するのではなく、人間自身が責任を果たさなければならない時です。神様が助けてくださって、神様が責任を手伝ってくださるのではなく、人間が果たすべき責任があるのです。その責任というのは、自分が食べて生きることではありません。そのようなことは問題ではないのです。困難な環境的与件が問題ではないというのです。食べて生きる個人の生活と環境など、あらゆるものがカナン七族を凌駕しなければ、神様りょうがが願う国、神様が願う家庭、氏族、民族、国家を建てることはできないことを誰も知りませんでした。
私たちが今知って話をしているように、モーセとイスラエル民族が国を建て、民族を再び立ててカナン七族を凌駕しなければなりません。そうしてこそ、神様の国を建てられるのです。ところが、そのような思想をもった人たちがいなかったのです。(1998・4・12)
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イスラエル民族は、モーセと一つにならなければなりませんでした。険しい荒野ですが、自由な環境に脱出してきたイスラエル民族は、カナンの福地に向かうにおいて、 モーセの心がすなわち自分たちの心にならなければならなかったのです。彼らは、自分たちをパロ宮中から救出してくれたモーセと心が違ってはいけなかったのです。ところが、彼らはモーセと一つになれず、天倫に背く道を行くことによって滅亡するようになりました。
それでは、彼らがこのように滅亡するようになった原因は、どこにあったのでしょうか。彼らは、モーセが民族の指導者になる過程で天に捧げた隠れた精誠の生活を知らなかったのです。そして、彼らは、モーセが自分たちを導いてエジプトを出発したその日からあらゆる困難を経験し、自分たちのために与えたにもかかわらず、このようなモーセの苦労と努力を理解できなかったというのです。(1956・7・1)
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四十年の荒野路程を通過して上陸したのち、イスラエル民族の二世たちの希望は何があったのでしょうか。出エジプトの目的は、イスラエルの国を取り戻すことです。 国家です。家庭を求めてきたのではありません。民族を求めてきたのではありません。 民族はエジプトの地にありました。民族のために来たのではないのです。民族を超えて神様を中心とする国を求めてきたのです。したがって、死んでも生きても彼らのすることは、国をどのように建国するかということです。それが絶対的な使命です。
ところが、カナンの地に到着してみると、そこには既にカナン七族が住んでいました。彼らは、国をもって平穏な生活をしていました。彼らは農場と牧場をもち、あらゆる生活の基盤をしっかりと構築し、恵まれた生活をしていたのです。
しかし、到着したイスラエル民族は乞食の中の乞食と同じでした。四十年間荒野で暮らしてきたイスラエル民族には、もっているものは何もありませんでした。何ももっていなかったというのです。ですから、カナンの地に入っていってまず食べるものを求めなければなりません。働いて手に入れなければ、食べる物を得ることができないのです。
それで女性たちが問題でした。母親たちがカナン七族の家庭を訪問し、いろいろな仕事をしながら食べる物を手に入れざるを得ませんでした。働いて食べる物をもらってきて一族に食べさせたとしても、徹底して訓示しなければならなかったのです。「これは神様が願われることではない。建国のために生きるにはこのような方法しかない。 だから神様に許しを得てこのようなことをしている!」と、建国に対して一心一念を集めるように泣きながら教育しなければならなかったのです。それが母親たちの立場でした。
ところが、人の仕事をして米やいろいろな物をもらってきながら、だんだんとどのようなことを考えるようになるかというと、自分の息子、娘がいれば、「ああ、あの家に嫁いでいければよいなあ」、カナン七族の裕福な家庭に娘がいれば、「あの娘をうちの嫁にしたい」と考えるようになったのです。そのような考え以上に、「私たちが出エジプトして四十年という時間を費やしながらここまで来たのは、建国するためだ」 ということを徹底して教育しなければなりませんでした。神様は建国の思想的な基台をイスラエル民族に願っていたのですが、そのような思想的な基盤ができていなかったのです。(1993・10・8)
イエス路程について
第一次世界的カナン復帰路程
イエス・キリストの誕生
新約聖書のマタイによる福音書は、旧約聖書の創世記に相当します。ですから、天地創造の時に起こった人間の堕落が創世記に記録されていますが、その復帰路程がマタイによる福音書に記録されています。
マタイによる福音書には、アブラハムからイエス様までの歴史が出てきます。「アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図」として第一章の一節から出てきます。三節を見れば、「ユダはタマルによるパレスとザラとの父」と記録され、 また、「ボアズはルツによるオベデの父」と記録されており、「ダビデはウリヤの妻によるソロモンの父であり」と記録されています。それから十六節に、「マリヤからキリストといわれるイエスがお生れになった」とされています。
イエス・キリストはこのような蕩減歴史を経て、マリヤという女性を通して誕生しました。マリヤは歴史的な恨みを解くための国家的中心女性として召命され、神様のみ旨のために生死を意に介さない信仰で、イエス・キリストを懐胎することができたのです。
そうして四千年のユダヤ民族史、ユダヤ教の歴史を経ながら神様が何を求められたのかといえば、堕落する前の血統、汚されていない息子、すなわち、アダムを復帰することです。ですから、コリント人への第一の手紙の第十五章四十五節に、イエス様を「最後のアダム」といったのです。(1981・5・14)
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イエス様がお生まれになる当時、ユダヤ民族は、教団を形成して国家と教会が一つになり得る時を望みながら、ローマ帝国に立ち向かうことのできる植民地国家圏内にいました。その時初めて、神様はイエス様を誕生させたのです。
イエス様を誕生させる時にも、マリヤは自分の父母と夫に許されない道を行きました。これはエバが、神様(父親)とアダム (夫)を否定して堕落し、アダムを失ってしまったことにより、目には目を、歯には歯を、耳には耳を、このように蕩減する法則によって、サタンに奪われた息子を神様が取り戻してこられた役事です。
マリヤはヨセフと婚約した間柄でした。すなわち、彼らはちょうどアダムとエバが婚約状態にあったのと全く同じ立場にいたのです。ですから、マリヤはエバがアダムとの婚約時代、すなわち、神様の愛と一致することのできる結婚の日を前にして堕落したのを蕩減復帰する立場で、父と夫をだます冒険の道を行ったのです。すなわち、 エバが堕落したのと反対の道を行きました。
イスラエル民族の律法で、女性が姦淫をすれば石で打たれて死ぬようになっています。それにもかかわらず、マリヤは神様のみ旨のために自分を祭物として捧げる覚悟をし、ヨセフと約婚したことを否定する立場でイエス様を懐胎したのです。そうして、 イエス様がマリヤの腹中で懐胎されたその瞬間から、サタンがイエス様に対して自分の愛の因縁が残っている息子だと主張できる条件が成立しなくなったというのです。(1981・5・14)
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堕落は、母の胎内から始まりました。それゆえ復帰も、母の胎内からなされなければなりません。そこが悪の根源地となり、出発点になったので、復帰においてもその原点に戻らなければならないのです。(1972・4.1)
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エサウとヤコブのときを考えてみると、リベカの腹中から闘ったのですが、先に生まれたエサウはサタン側です。ヤコブは、生まれてから長子の特権を奪いました。ところがペレツとゼラは、タマルの腹中で闘い、ペレツが長子の特権を奪い返したのです。母の腹中は息子、娘の生まれる根本ですが、その根本からすり替えられたのです。 生まれてから替えたのではなく、腹中から替えられたのです。(1971・4・30)
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腹中ですり替えられて先に生まれた息子に向かってサタンは、「お前は私の息子だ」 ということはできないのです。腹中ですり替えられずに先に生まれたならばサタン側ですが、腹中ですり替えられて先に生まれたならば天の側なのです。タマルの腹中で闘ってペレツがゼラを押し退けて生まれたので、長子の特権を奪ったのです。ですから生まれつき長子なのです。ペレツは必然的に次子となるべきであるにもかかわらず、 長子の立場で生まれたので、善が先に生まれたということができます。(1971・4・30)
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カインとアベルが、エサウとヤコブが生まれてすり替えようとしました。そこにはいつも母子協助が必要なのです。エバがアベルを擁護したのです。次にエサウとヤコブ時代には、リベカがヤコブの側になり、うそをついて助けたのです。
ところが、神様が祝福をしてくださったのはなぜかという問題については誰も知らないのです。そしてヤコブの時に双子として生まれてすり替えようとしましたが、駄目だったので、ペレツとゼラを中心としてタマルの腹中から出るときに争い、次子が長子を押し退けて出てくるということが起こったのです。これはすべて、本然の父母の血統的基準に接近するための運動であったという事実を知らなければなりません。(1982・10・13)
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イエス様は、どのようにして生まれたのでしょうか。イエス様は血統を清めてこられました。兄弟から生まれ、双子時代を経て、エサウとヤコブを通して長子権を復帰し、タマルの腹中で、ペレゾとゼラの歴史に例を見ない熾烈な闘いを通してひっくり返し、順序を変えて、子宮で血統転換をしたのです。(1986・2・9)
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天使長の血を受け継いだので、天使長と同じような人物を通してイエス様を懐妊させたのです。蕩減復帰原則がそうなっているのです。神様が特別に愛する天の側で、 100パーセント永遠に変わらない天の側の忠臣になり得る天使長のような人物を立てれば、サタンが天使長の位置から去っていくのです。ですから、天使長級の天の側の人物を通してイエス様を生んだのです。このようにしてイエス様は、長子として生まれたのです。堕落した長子権から新しい血統へと清められ、天の側の長子権として生まれたのです。それゆえに、イエス様を信じる人が神様を中心として神様の愛に接することになるので、その血統はサタンとは異なるのです。(1986・3・16)
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タマルの役事とイスラエル民族の歴史を通して蕩減された基台の上で懐胎されたので、サタンは自分の愛の因縁が残っていると主張できませんでした。ですから、初めて新しい神様の念願の息子が顕現できたのです。イエス様は、腹中で懐胎されたその瞬間から神様の息子でした。ですから、神様の愛の中で生まれることによってひとり子という言葉が成立したのです。イエス様のように堕落の血統が歴史的に蕩減され、 復帰された基盤の上に生まれた聖人は一人もいませんでした。(1981・5・14)
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ヨセフと婚約したマリヤは、自分の身を通してメシヤが生まれるという(ルカ1・31)天使ガブリエルの驚くべきメッセージを受けました。処女の立場で赤ん坊を身ごもれば、死ぬしかないという当時の規則でしたが、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」(ルカ1・38)と言いながら、絶対信仰で神様のみ意を受け止めました。マリヤは親族であり、尊敬される祭司のザカリヤに相談しました。
ザカリヤの家庭では、その夫人のエリサベツが神様の能力によって、妊娠した洗礼ヨハネを胎中に身ごもったまま、マリヤに対して「あなたは女の中で祝福されたかた、 あなたの胎の実も祝福されています。主の母上がわたしのところにきてくださるとは、 なんという光栄でしょう」(ルカ1・42~43)とイエス様の懐胎を証しました。このように神様はマリヤとザカリヤとエリサベツをして、メシヤの誕生を一番先に知らせました。彼らはイエス様によく侍り、神様のみ旨によく従わなければならない重大な使命をもった人たちでした。ザカリヤ夫婦はマリヤを自分たちの家にとどまらせました。
マリヤはイエス様をザカリヤの家庭で懐胎しました。エリサベツとマリヤの間柄は母方のいとこの関係でしたが、摂理上では、姉(カイン)と妹(アベル)の関係でした。 ザカリヤの前でエリサベツの助けを受けたマリヤは、レアとラケルがヤコブの家庭で母子が一体になれなかったことを、国家的基準でザカリヤ家庭を通して蕩減する条件まで立てながら、イエス様を誕生させなければなりませんでした。
歴史始まって以来、初めて神様の息子の種、真の父となるべき種が、準備された母の胎中に、サタンの讒訴条件なく着地したのです。それによって、地上に初めて、神様の初愛を独占できるひとり子が誕生するようになりました。(1996・4・16)
メシヤを迎える基台の喪失
神様の息子がたとえ着地したといっても、サタン世界の中で無事に育ってみ旨を成し遂げるためには、保護されるべき囲いが必要です。神様はザカリヤの家庭の三人に、 その基盤となってくれることを期待されました。
聖書には「マリヤは、エリサベツのところに三カ月ほど滞在してから、家に帰った」 (ルカ1・56)と記録されています。その後、聖書で見る限り、マリヤとエリサベツとザカリヤは互いに行き来した記録がありません。ここからマリヤとイエス様の困難が始まります。ザカリヤ家庭は、最後までイエス様の囲いにならなければなりませんでした。
日がたって、ヨセフはマリヤが子供を妊娠した事実を知るようになります。この時、 彼の衝撃がどれほど大きかったでしょうか。愛する婚約者のマリヤが自分とは何の関係もない状態で、三カ月間どこかへ行って帰ってきた時には子供を妊娠していたのですから、ヨセフがマリヤに、胎内に誰の赤ん坊を身ごもっているのかを追及するのは当然のことでした。
その時、もしマリヤが正直に話してしまったなら、どんなことが起こったでしょうか。もし明らかにした場合には一族が滅亡するようになるのです。ですから、マリヤはただ「聖霊によって懐胎した」とだけ話したのです。マリヤのおなかが膨らんできて、周囲の人たちも妊娠したことが分かるようになりました。その時、ヨセフが「自分は知らないことだ」と言えばどうなったでしょうか。ヨセフは神様の啓示を信じ、 妊娠が自身の責任であると擁護した義人でした。これによってマリヤは、婚約期に妊娠したという嘲笑は浴びたとしても、石で打たれて死ぬことはなかったのです。(1996・4・16)
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マリヤを愛していたヨセフは、初めはこのようにマリヤを守ってあげました。しかし、ヨセフの心の底には苦悶がたくさんありました。特に、生まれたイエス様を見つめるヨセフは、その父親に対する疑問と関連し、心の中の苦痛を頻繁に経験するようになりました。イエス様が大きくなると同時に、ヨセフとの関係において心情的な距離が生まれるようになり、このことによって、家庭に頻繁に紛争が起こったことは間違いのない事実です。こうしてイエス様は私生児の立場で、ザカリヤ家庭の保護も受けられず、また、ヨセフとも難しい条件のもとで、心情的に途方もなく寂しい立場で育ちました。(1996・4・16)
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もしザカリヤとエリサベツが神様の啓示と霊的な恩恵のもとで、初めにもった絶対的な信仰をもち続けていたなら、状況は全く違っていたことでしょう。彼らが責任を果たしたならば、マリヤは三カ月後にその家を出たとしても、継続的に彼らと行き来し、相談したはずです。ザカリヤ家庭は、イエス様の誕生ののちにも、地を代表してあかし最も先頭に立ってメシヤを保護し侍りながら、証すべき人々として神様が選んだ家庭です。彼らは、イエス様を神様の息子として、メシヤとして、この上ない精誠を込めて侍るだけでなく、イエス様を通して神様のみ旨を受け、絶対的に従うべきでした。
また、イエス様のために生まれた洗礼ヨハネだったので、彼が悔い改めさせた民たちをして、イエス様を信じ救われるように導く責任を果たしたはずです。しかし、不幸にも、ザカリヤも、エリサベツも、洗礼ヨハネも、イエス様を神様の息子として証しただけであって、侍り従った実績は何一つありませんでした。
尊敬される祭司のザカリヤが傍観し、洗礼ヨハネがイエス様と無関係な立場に立つようになることにより、かえってイエス様の行く道をもっと難しくしてしまいました。民たちが従うことができないようにしてしまいました。ましてや、彼らが信仰を失い、 人間的な考えに流れたときに、イエス様が願われた、新婦を迎えることを助けるはずが絶対になかったのです。(1996・4・16)
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メシヤの道を自覚するようになったイエス様は、孤独な事情が神様のみ旨を成すに当たって深刻な障害の要因であることを、独りもどかしく思いました。メシヤは真の父母であり、その使命のためには実体の新婦を迎えなければなりません。天使長がアダムと兄妹のように育ったエバを、偽りの愛で堕落させた立場を、根本的に復帰すべきイエス様です。
したがって、アダムを身代わりして神様の息子として来られたイエス様は、天使長型の人の妹を妻として迎えなければなりません。彼女がまさしくザカリヤの娘、洗礼ヨハネの妹なのです。サタンの権勢が主人の役割をする世の中で、このことが成されるためには、絶対的な信仰によって形成された保護基台がなければなりません。不幸にもイエス様の周辺では、このような基台がみな崩れてしまいました。(1996・4・16)
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マリヤはエバとタマルを蕩減復帰すべき立場なので、ヨセフとは婚約関係を保たなければなりませんでした。摂理的に見れば、彼らの関係は夫婦ではありません。ですから、彼らはイエス様が誕生する時まではもちろん、その後にも夫婦関係を結んではならないのが神様の願いでした。ヨセフはマリヤに対して、イエス誕生ののちにもずっと愛の心を持ち続けました。
マリヤはヨセフと別れ、イエス様を神様の息子として育てたい気持ちがあったはずです。しかし、現実は、それを簡単には許しませんでした。 本心では駄目だと思いながら、マリヤはヨセフと夫婦関係を結ぶようになって子女をもつことにより、エバの失敗を反復した結果となってしまいました。
サタンはこれを条件として、彼らに侵入するようになりました。イエス様一人を残して、すべてサタンの主管下に入っていった結果となったのです。イエス様を守るべき父親も、母親も、アベル側の兄弟(洗礼ヨハネとその兄弟)も、カイン側の兄弟(ヨセフの子女)もすべてサタン側になってしまいました。人がサタンの侵入を受ければ、 もはや霊的に受けた恩恵と感動を失ってしまいます。神様に対する確信と感謝を失うようになります。すべてのものを人間的に考えるようになるのです。
これによりマリヤまで、イエス様が願われる結婚を助けることができず、かえって反対してしまったのです。これが、イエス様が新婦を迎えられず、そして真の父母になれず、十字架の道を行かざるを得なかった直接的な原因になったのです。カナの婚姻の宴で、イエス様がマリヤに「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか」(ヨハネ2・4)と言ったのも、最も貴い摂理の要請であるイエス様の新婦を迎える仕事をなおざりにし、遠い親戚の婚姻の宴を手伝おうとするマリヤを責めた心情が表出されたものです。「わたしの母とは、だれのことか。わたしの兄弟とは、だれのことか」(マタイ12・48)と言われたみ言も、このような基準から理解しなければなりません。
イエス様は、母マリヤからも、ザカリヤ、エリサベツからも反対され、最後に洗礼ヨハネからも反対され、肉親の保護を受けながら使命を完遂することを断念するしかありませんでした。新しく霊的基盤を探して再び復帰摂理を出発しようとしたのがイエス様の出家でした。(1996・4・16)
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洗礼ヨハネとイエス様の母親同士が一つにならなければなりませんでした。それはちょうど、リベカとヤコブの時代における、レアとラケルのようにです。レアとラケルが一つとなって、カインとアベルを一つにしなければなりません。ヤコブの時代にはレアとラケルがいましたが、この二人が喧嘩をしたのです。争うことによって生じたのがイスラエルの十支派とユダの二支派です。これらが争うことによってイスラエルがさらに分裂しました。ですから、洗礼ヨハネの母エリザベツとマリヤは従姉妹関係なので、二人が一つとなって早くイエス様を結婚させなければなりませんでした。
イエス様が洗礼ヨハネの妹と一つになっていたならば、世界は完全に一つになっていたのです。イエス様はアダムの代表者として生まれたのですが、神側の女性がいませんでした。カイン側から復帰してくるには、最も近いのが洗礼ヨハネの妹だったのです。そのようになれば、自然に洗礼ヨハネと一つになることができたのです。
もしイエス様が結婚していたならば、きれいな血統がこの地上に残されており、イエス様の子孫がキリスト教をすべて統一して、教派分裂のない統一世界がなされていたのです。(1993・1・10)
洗礼ヨハネの使命と不信
メシヤが降臨する前に、この地上に天使長の使命を完結できる天の忠臣が出てこなければなりません。そして、「私が来たのは、私のみ旨のためではなく、神様の息子のみ旨のためである」と宣布する者が出てこなければならないのです。そのようなことがイエス様の当時にも起きていました。その使命の代表的な中心存在が洗礼ヨハネでした。それで彼は、「悔い改めよ、天国は近づいた」(マタイ3・2)と言い、「わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない」(マタイ3・11)と証をしたのです。
神様が洗礼ヨハネを召命し立てられたのは、その時まで四千年間、神様と対決してきた天使長、神様に背いたその天使長ではなく、神様のために忠誠を誓う天使長の立場を身代わりするようにさせるためでした。イエス様に忠誠を尽くし、イエス様のために生きなさいということでした。イエス様の困難を自分の困難とし、それを克服していくために全力を尽くしなさいということだったのです。(1965・10・17)
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洗礼ヨハネは、親戚たちのいる故郷を離れ、荒野で三十年暮らしました。彼は神様のみ旨を思い、堕落していない兄弟がそうしなければならないように、堕落した兄弟を救うことを願いながら、家を出て荒野に向かったのです。
聖書では、洗礼ヨハネが蜜といなごを食べたとなっています。しかし、荒野での彼の生活は大変なものだったことは間違いありません。皆さんは、彼が蜜といなごだけで暮らしていたと思いますか。それはできません。イスラエルに行ってみると、そこは蜜がたくさん出る所ではないことが分かります。ですから、彼はあの家、この家と回りながら物請いする乞食生活をしたでしょう。
しかし、彼の心はメシヤの降臨に対する思いでいっぱいであり、そのメシヤの降臨から神様の愛を求めようとしました。それで、彼の生活が神様の同情を得るようになったのであり、彼はメシヤを証できる立場に立つことができたのです。(1971・12・22)
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洗礼ヨハネは、来られるメシヤ、神様、そして、彼の国と民族のために涙を流しました。これが、洗礼ヨハネが彼より前に来た預言者たちと異なる点でした。彼は、メシヤが、来たるべき世界を統治されることを願いました。
そして、彼が祈祷する時は、人並み外れた涙を流しました。彼は国のために涙を流し、ユダヤ民族が願っていた、サタン世界を治めるためにメシヤが来られることを願って涙を流し、神様のみ旨のために泣きました。このような意味から見るとき、彼は預言者の中でも最も偉大な預言者でした。
言い換えれば、他の預言者たちは、来られるメシヤを迎えることができませんでしたが、洗礼ヨハネは、来られるメシヤのために、その道をまっすぐにすることができたのです。他の預言者たちは来たるべき方のために祈祷できませんでしたが、洗礼ヨハネは、その方のために祈祷し、その方のために仕事をすることができたのです。彼が最も偉大な預言者であったのは、正にこのような理由によるのです。(1971・12・14)
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洗礼ヨハネとイエス様を見れば、洗礼ヨハネがイエス様より6カ月先に生まれました。原理的観点から見れば、その6カ月は、人間たちの6カ月でもありますが、それは6,000年の6数を代表する期間なのです。神様は、人を造る前に万物をつくり、万物をつくる前に天使世界をつくりました。そして、6日目にアダムを造ったのです。ですから、第1段階の基準で天使長の立場を身代わりする立場に立たなければならなかった洗礼ヨハネを、イエス様より6カ月先に生まれるようにして、諸般の準備をするようにしたのです。
天使長が堕落させたので、天使長の立場だった洗礼ヨハネは、イエス様の前にある内外のあらゆる事情を代わりに責任をもち、イエス様が復帰の使命を果たすのに協助してあげなければなりませんでした。イエス様の相対を決定する問題においても、やはりイエス様自身が主導的にやってはいけないようになっていました。天使長が堕落させたので、復帰された天使長の立場に立っていた洗礼ヨハネがイエス様の内外の問題をより分け、復帰の重大な問題、言い換えれば、新婦を復帰する問題までもすべて責任をもたなければならなかったのです。
つらいことや苦痛があれば、誰が責任をもたなければなりませんか。天使長が誤ってそのような結果をもたらしたので、洗礼ヨハネ自身がそのすべての難しい問題を一身で責任をもち、イエス様が行く道には艱難や試練が一切ないようにしなければなりませんでした。それが、神様が当時の洗礼ヨハネに任せた使命でした。(1971・8・15)
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もし洗礼ヨハネがイエス様を信じていれば、誰が一番弟子になったのですか。間違いなく洗礼ヨハネがなるのです。12弟子、70門徒は、すべて洗礼ヨハネの一党がならなければならないのです。そうすれば、ユダヤ教と直結で通じ、祭司長と書記官をすべて一つにまとめることができました。
ところが、『ヨハネによる福音書』第3章30節を見ると、洗礼ヨハネが「彼は必ず栄え、わたしは衰える」と言っています。ヨルダン川で洗礼を施すイエス様のところに人々が行くのを見て、弟子たちが尋ねるので、洗礼ヨハネが「彼は必ず栄え、わたしは衰える」と答えたのです。それはどういうことですか。今日のキリスト教徒たちは、洗礼ヨハネが謙遜して語ったものと信じてきました。しかし、そうではありません。共に行動しなかったということです。イエス様が栄えれば自分も栄え、イエス様が滅びれば自分も滅びなければならないのに、ほかの道を行ったということです。(1973・10・23)
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洗礼ヨハネもイエス様が自分の弟だということを分かっていました。それでそのように法に背いて生まれ、マリヤのおなかを通して生まれた息子がメシヤになることはできないと考えたのです。ヨルダン川で神様が「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」と伝えましたが、信じることができませんでした。自分の弟です。弟を兄のようには侍ることができなかったのです。(1993・10・17)
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洗礼ヨハネはどのような使命をもっている人かというと、数多くの宗教圏で神様が世界的に選択した代表的な天使長型の人物として、天使長の使命を完結しなければならない人です。ですから、彼は、イエス様を中心として、死のうと生きようと、一つにならなければなりませんでした。彼の命が存続するのは、神様のためであり、イエス・キリスト、すなわち神様の息子のためなのです。言い換えれば、洗礼ヨハネは、 エデンにおいての天使長がアダムのために、神様のために存在していたのと同様の立場です。ですから、洗礼ヨハネは、神様とアダムを身代わりするイエス・キリストのために生まれ、神様とイエス・キリストのために存続しなければなりませんでした。
彼がいくらうれしくても、イエス・キリストを除いて喜べば、その喜びは神様と一つになることができないものであり、彼がいくら価値のある生活をしたとしても、イエス様に出会って因縁を結び、イエス様が喜ぶ価値の内容と接し得る立場に立てなければならないのです。イエス様を除けば、彼がいくら価値のある生活をし、また彼の生涯がいくら聖なるものだとしても、神様に認められないのです。これが原則です。
神様がアダムを愛し、アダムのために天使長をつくったので、洗礼ヨハネがこの地上でいくら忠誠を尽くしたとしても、アダムのために忠誠を尽くす実質的な基盤をもつことができなくなれば、神様は、その忠誠を受けることができません。アダムのためにつくった僕、すなわち洗礼ヨハネの使命は、アダムを通して完結しなければならないのです。(1971・8・15)
第2次 世界的カナン復帰路程
40日断食と3大試練
洗礼ヨハネの弟子たちは、イエス様の弟子にならなければならず、洗礼ヨハネはイエス様の三弟子の中に入らなければならなかったのです。洗礼ヨハネを歓迎していた大勢の群れは、イエス様を歓迎する群れになるべきでした。そして、洗礼ヨハネは、 新郎新婦の本然の名を備えた神様の息子、娘に忠誠を尽くした天使世界の代表的実体として現れた者として天使世界を導き、実体のサタン世界を防備しなければなりませんでした。神様が訪ねてくることのできる天使長の実体目的を完結した洗礼ヨハネにならなければならないのですが、彼がその使命を完結できなかったために、イエス様がその使命まで責任をもたなければならなかったのです。(1965・10・17)
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イエス様は天のひとり子であり、四千年歴史を解決する人であり、またその時代と千秋万代の後代に、天が誇り得る勝利の標的として現れた方でした。そのようなイエス様が民もあとにし、教団も捨て、選ばれた洗礼ヨハネも、ヨセフ家庭も残し、友もなく独りで荒野に行った悲しい心情を、私たちは回想しなければなりません。
そのような歴史的な蕩減条件を立てようという使命感をもち、決心していったイエス様は、四十日断食をしながら、その場所で何を回想したでしょうか。昔、先祖たちが歩んできた悲しみの路程を自分の一身で蕩減復帰しなければならないという責任を誰よりも切実に感じたのです。み旨に対して誰よりも悲壮な心情を抱いていったイエス様でした。いかなる歴史的な先祖よりも確固たる覚悟をして、サタンをその掌中に握って屈服させなければならないという燃える心で荒野に出ていかれました。(1959・1・25)
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イエス様は、サタンからいくつかの試練を受けるようになりました。四十日断食期間を過ごし、まず食べる物で試練を受けました。サタンがイエス様の前に現れ、「石をパンにかえなさい」と言ったのです。これは、飢えた人たちには朗報でしょう。しかし、イエス様はこれを否定し、自分が食べる物のために来たのではないことを表明されました。かえって、神様のみ言を主張することによって、人間が生きていく実際の生活圏内においてのすべての条件を、サタンの前で失わなかったという立場を立てたのです。
その時まで人間は、物質を中心とする闘争歴史を経てきたのですが、イエス様が、 サタンの第一次の試練に勝利することによって、そのような物質を中心とする闘争歴史を終結させたのです。
それでは、その次にイエス様は、どのような試練を受けるようになったのでしょうか。イエス様はサタンに引かれて教会の聖殿の頂上に立たされるようになったのですが、そこで「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい」(マタイ4・6)という試練を受けるようになりました。
イスラエル民族とユダヤ教を指導できる宗教理念をもって現れたイエス様に、「飛びおりなさい」というこの言葉は、どのような意味なのでしょうか。それは、ユダヤ教的な習慣と彼らの主張に屈服し、彼らを指導する立場を放棄しなさいということです。しかし、イエス様は、ここでサタンの試練に勝利されました。
その次には、どのような試練がありましたか。サタンは、イエス様を高い山頂に連れていき天下万国とその栄華を見せながら、「もしあなたが、ひれ伏して私を拝むなら、 これらのものを皆あなたにあげましょう」(マタイ4・9)と言ったのです。しかし、 イエス様は、ここで宇宙的な理念をもって神の国、すなわち天国を建設しようとされる神様のみ旨を立ててさしあげるために、そのようなサタンの要求を一蹴してしまわれたのです。(1957・10・13)
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歴史的に考察してみれば、神様のみ旨を掲げて歩んでいく人は、まず見えないサタンとの闘いがあり、次に見えるサタンとの闘いがあります。その次には物質の困窮を通じた闘いがあるのです。そのためにイエス様にも、パンで試練を受ける個人的な試練があり、次に聖殿を中心とした環境的な試練があり、また山頂に立てられ世界をめぐっての象徴的な試練があったのです。このようなことが、闘いがなければならない原則のもとで現れるようになりました。
まず自分自身を克服するために、自分自身を一つの供え物にして飢えと闘った四十日の断食期間がありました。その次には物質の条件を越えるために、「石をパンにかえよ」という試練がありました。なぜイエス様がこのような過程を経なければならないかというと、人間が堕落したことにより神様を失い、息子、娘の威信を失い、万物を失ったために、これらを再び捜し出すための条件が必要だったからです。(1957・6・23)
弟子たちの不信
①ユダの不信
ヨセフとマリヤは一緒に暮らしてはいけませんでした。ヨセフは天使長と同じです。ですから、彼らが一緒に暮らすということは、アダムとエバの堕落を継承して繰り返すことと同じです。ここでマリヤがイエス様と一つになり、イエス様の相対を探してあげることに対して、どんな犠牲も顧みることなく使命を果たさなければなりませんでした。しかし、その使命を果たすことができないことによって、すべて失ってしまったのです。
ヨセフを中心とする家庭ですべて失ってしまったので、イエス様は家を出て相対を探し出さなければなりませんでした。家を出てこれをしなければならないのですが、ヨセフと同じ立場に誰を立てたのかというと、イスカリオテのユダを立てました。それでは、マリヤの立場に立つことができる人をどこで見つけなければなりませんか。 それはユダの妻を中心としてこれをしようとしたのです。しかし、そのみ旨は成し遂げることができませんでした。(1970・10・19)
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イスカリオテのユダは、愛する妻をしてイエス様に昼夜侍り、忠誠を尽くすことができるように協助しなければなりませんでした。妻と別れることがあったとしても、 その妻をしてイエス様の母親のような立場に立たせ、イエス様を協助できる基台を用意してあげなければならなかったのです。それにもかかわらず、その責任を果たすことができませんでした。(1970・10・19)
②三弟子の不信
ゲッセマネの園の三弟子は、過去、現在、未来の三時代を代表する人間像でした。 アダム家庭のカイン、アベル、セツを象徴し、ノア家庭のセム、ハム、ヤペテを象徴し、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と、サウル王、ダビデ王、ソロモン王を象徴したのであり、また一次アダム、二次アダム、三次アダムを象徴したのです。
そのような三弟子は、歴史的な期間を横的に縮小させたゲッセマネの園でイエス様に絶対的に侍り、サタンが攻撃してくれば撃破する天の忠臣の使命を果たさなければなりませんでした。それにもかかわらず、彼らはイエス様が打たれる前に代わりに打たれる心情的基盤を備えることができず、イエス様が3度も神様に談判祈祷する間にも、こくりこくりと居眠りしていたのです。それでイエス様は、「毎日あなたがたと一緒に宮にいた時には、わたしに手をかけなかった。だが、今はあなたがたの時、また、やみの支配の時である」(ルカ22・53)と語られました。これは、イエス様が歴史的なサタンの侵犯を受けたことを知らせるみ言です。(1965・10・17)
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ゲッセマネの園で夜通し祈られたイエス様の心情は、言い表せないほど悲しい心情でした。それにもかかわらず、従っていた三人の弟子たちはイエス様と行動を一致させることができず、各自がそれぞれ行動しました。イエス様だけを通じていかなければならず、イエス様と同じ心情で訴えなければならなかったにもかかわらず、またイエス様は愛する弟子のために訴え、弟子たちを心配していたにもかかわらず、彼らはイエス様の心情がどのようなものであったか分からず、疲れて眠ってしまったのです。
生死を決する場、死ぬか生きるかの岐路に立っていたイエス様の心情は、天と地が溶けてしまうような、とても言い表せない無念な心情でした。神様は、このようなイエス様の心情を御存じでした。しかし、三年間、実の息子、娘のように育てた愛する三弟子は、イエス様の心情を知らずに居眠りしていました。それで、火のように燃え上がる無念な心情で三度も弟子たちを起こしたのです。
このとき、イエス様はどのような心情を感じたのでしょうか。神様がエデンの園でアダムとエバを失って感じられた悲しみを感じられたのです。しかし、アダムが堕落したのちに感じられた神様の悲しみとイエス様が三十年の私生涯期間と三年の公生涯期間に感じられた悲しみ、さらには、ゲッセマネの園で折られたその悲しい心情を感じてイエス様と向き合う人がいなかったのであり、神様の心情を感じた人がいなかったのです。三年の公生涯路程において喜怒哀楽を共にしていた弟子たちも知りませんでした。(1958・1・26)
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イエス様がゲッセマネの園で三弟子たちに三度も「眠ってはいけない」と言われたのは、息子として運命共同の道を行こうというものでした。ところが、彼らはイエス様のその深い意味が分からず寝てばかりいたのです。したがって、イエス様は、アダム家庭で食口を失ってしまった立場と同一の立場に立つようになりました。
ですから、 実体的なカイン・アベルを復帰することができず、また実体を復帰できるメシヤになることができなかったのです。ここでイエス様は死なざるを得なかったのであり、神様は霊的な立場でイエス様を再び立てて新たに出発せざるを得なかったというのです。(1968・8・13)
イエス・キリストの十字架
イエス様は、教会を失い、国家を失い、百二十門徒、七十門徒、十二弟子、最後には三弟子まですべて失ってしまう立場に立つようになりました。希望をもって神様が立てておいた旧約時代の祭物の基盤は、一つも残らなくなりました。捧げなければならない祭物の基台を失い、祭物を失ってしまった立場にいたために、イエス様はその責任を負って完結しなければならないので、自分自身をイスラエルの国と教会の代わりとし、体はイスラエルの国に代わり、心はユダヤ教の代わりとして捧げるようになったのです。これが十字架の路程です。(1971・9・5)
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メシヤには、ユダヤの国を中心としてサタンの国を奪ってきてサタンを屈服させなければならない責任があるのですが、四千年築いてきた基盤を完全に失ってしまい、 国を失い、教会を失い、選んだ人をすべて失いました。一人ではみ旨を成し遂げられないことは当然のことです。
ですから、神様は第二方案を立てざるを得なかったのです。その基盤を失わずに死ななければ、霊と肉を中心として、国と世界を神様のみ旨の中に、サタン世界とサタン主権を奪って天の国に帰っていくにもかかわらず、その基盤がなくなったので、仕方なく神様は第二次的な方案の霊的救援だけでも成立させることができる道を築かなければなりませんでした。それで、イエス様を十字架で亡くなるようにすることによって霊的救援の道を開くようにしたのです。(1974・11・28)
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イエス様が行く道は民族から追われる道であり、苦難の道であり、迫害の道であり、イスラエル民族を再創建する道でした。このイスラエル民族を再び収拾するためには、 神様がイスラエルの国を立て、ユダヤ教団を立てるために四千年間苦労されたその苦労を、短時日のうちに条件だけでも備えて蕩減しなければならない責任が残っていたにもかかわらず、栄光ばかりを願う弟子たちしかいなかったのです。
ですから、イエス様はしかたなく一人で天と地と歴史的な因縁に責任をもち、十字架の前に進んでいきました。この地上に立てた民族が責任を果たせず、立てた弟子たちが責任を果たせなかったので、代わりに責任をもっていった歩みが、ゲッセマネの園からゴルゴタの山頂までの歩みだったのです。(1964・12・27)
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イエス様の道は、終始一貫して引っ張られ、追われ、倒れる、十字架を背負う凄惨な歩みでした。それだけでしょうか。無謀な悪党たちがむち打って追い立てる境遇に追い込まれることもありました。このようなところで、もしイエス様がエリヤのような人であれば、彼も「父よ、私だけが残りました」という祈祷をしたでしょう。
しかし、イエス様はゲッセマネの園で三弟子を後ろにして祈祷するとき、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯を私から過ぎ去らせてください。しかし、私の思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい!」と言いました。これが偉大なのです。自分の事情も苦しいのですが、自分の一身は民族の祭物であり、人類の祭物であり、天倫の祭物だということを知っていたのです。
このようなことを知っておられたイエス様は、自分の悲しみも悲しみですが、天の悲しみがどれほど大きいものかを心配する心がもっと大きかったのです。民族のために現れたのですが、民族から背信される自分を見つめられる天の悲しみがどれほど大きいかということをもっと心配されました。
イエス様は、天の皇太子であり、万宇宙の主人公であり、メシヤでした。そのようなイエス様が、「凄惨な十字架の運命とはどういうことですか」と嘆息しようとすれば、この宇宙を動員して嘆息することもできますが、嘆息できない自分自身であることが感じられたので、追い込まれる立場に立つようになったことをかえって天の前に面目がないと考えたのです。
教団を糾合させ、民族を糾合させ、天の王国を建設し、世界を父の懐に抱かせてさしあげなければならない責任を背負ったイエス様は、その使命をあとにして十字架の道を行くようになるとき、何の恨みも感じませんでした。「この杯を私から過ぎ去らせてください」と祈祷されたのも、自分の一身が死ぬことが悲しいためではなかったのです。自分の一身が死ぬことによって民族の悲しみと天の悲しみが加重されることを御存じだったために、そのように祈祷されたのです。(2002・5・21)
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イエス様は、自分が十字架で倒れれば、後代の世界人類に加重される十字架が残り、 悲しみの歴史が終わらないことを御存じでした。ゴルゴタの道が終わらないことを御存じでした。死の道が終わらないことを御存じでした。そして、自分がゴルゴタの道を行けば、自分に従う人たちもゴルゴタの道を歩まなければならないことを御存じだったのです。十字架だけでなく、もっと難しい道が残されることを御存じのイエス様でした。
両手両足に杭が打ち付けられ、わき腹をやりで突かれて血を流す立場、茨の冠をかぶる立場に立ったとしても、これが自分で終わらないことを御存じだったイエス様は、 天に向かって「すべてが終わった」と言いました。その言葉は、人間の世界で十字架の道がすべて終わったということではありませんでした。十字架のために泣き憂慮する心の訴えが天と通じたということを意味するのです。このようにイエス様は、大勢の先知 、烈士たちが天に犯したすべての過ちを背負い、天を慰労してさしあげるために、自分自身を生きた祭物として天の前に捧げたというのです。
しかし、イエス様自身は死ぬ間際に、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」とおっしゃいました。神様は、すぐにでもノアの時以上の審判をしたいという思いがありましたが、イエス様が民族を抱いて死に、教団を抱いて死に、十字架を抱いて死んだがゆえに、人間をお捨てになることができず抱いてこられたのです。(2002・5・21)
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十字架で亡くなったイエス様は、殺人を犯した右側の強盗と一緒に逝きました。もし、右側の強盗がその場にいなければ、イエス様は、地に対して、そして人間に対して関係を結べるいかなる因縁も見いだすことができなかったことでしょう。しかし、 右側の強盗が、死の場ではありましたが、イエス様の側に立って、イエス様を擁護しました。
人類歴史上、イエス様の味方になった最後の人は、ペテロでもなく、イエス様の父母でもありませんでした。イスラエルの国でもなく、ユダヤ教徒でもありませんでした。死の場で自らの因縁を痛哭し、死を超えて全面的にイエス様の前に希望をかけたたった一人の人こそ、正に右側の強盗だったのです。もし、右側の強盗がいなければ、 イエス様が復活して、地上摂理の因縁を再開させることはできなかったというのです。(2002・5・21)
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イエス様は、永遠に苦楽を共にできる神様のひとり子だったにもかかわらず、どうして世界で最も追われる立場に立たれたのでしょうか。また、神様が「知らない」とおっしゃる立場に立たれたのでしょうか。それは、人間が天倫に背いたからです。言い換えれば、アダムが個人的に背いたことを蕩減復帰すべき使命があったので、イエス様は、天から個人的に捨てられるようになったのです。
しかし、イエス様は捨てられても感謝する心をもちました。「しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイ26・39)とおっしゃったのです。自らの前にいかなる死や苦労が迫ってこようとも、それを消化し、神様と一つになれる、このような心があったので、いかなる怨讐も彼を支配できませんでした。ですから、天が排斥し、民族が排斥して、死の場にまで出ても変わらなかったことにより、新しい復活の門が開かれたのです。
ですから、これから皆さんは、天が皆さんを排斥することがあったとしても、最後までお父様に仕える覚悟をもってこそ、イエス様が残された復活の恩賜圏内に入っていけることをはっきりと知らなければなりません。(1958・3・30)
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サタンの本質は驕慢と血気です。このような性質で世の中の人に対するサタンでしたが、イエス様は温柔と謙遜で世の中の人々の前に現れたのです。イエス様が愚かで温柔、謙遜な立場に立たれたのではありません。誰よりも最高に気高い栄光を享受することができましたが、イエス様はこれをすべて捨てて温柔、謙遜な立場に立たれたのです。
サタンがこのようなイエス・キリストと対決し、闘おうとしましたが、サタンには神様に屈服しなければならない条件があることをイエス様は御存じだったので、 最後まで温柔、謙遜でいることができたのです。
また、厳然として天理法度があることを知っているサタンは、最後はイエス・キリストを認めるようになりました。言い換えれば、温柔と謙遜を掲げていけば、サタン世界も自然屈伏するのです。このような原則を御存じのイエス様は、サタンができない温柔、謙遜の立場を取りました。このように、温柔、謙遜の立場に立ってこそ、中心を通して役事される神様に行く新しい道を開拓できるのです。
そして、イエス様が何を見せてくださったのかというと、従順と服従です。従順は応じることのできる環境で命令に従うことであり、服従は応じることができない環境で従うのです。イエス様は不信する人間たちにこのような従順と服従の道理を教えてくださいました。これもやはりサタンの本質、サタンのあらゆる生活的な要素を妨げるものです。(1957・10・27)
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イエス様が十字架を背負ってゴルゴタに向かいながら疲れ果てたとき、その十字架を代わりに背負っていったクレネ人のシモンのような人は、イエス様の弟子の中には一人もいませんでした。選ばれたイスラエル民族の中にも、このような人はいませんでした。
このように、異邦人のクレネ人のシモンだけがイエス様の苦難に同参したので、キリスト教は、イスラエルの宗教になることができず、異邦の宗教になったのです。イエス様を信じ、神様を求めていこうという皆さんは、夢であってもクレネ人のシモンのような行動をしようという覚悟ができていなければなりません。
クレネ人のシモンは、弁明することもでき、反駁(はんぱく)することもできましたが、黙って従い、イエス様の代わりに十字架を背負っていきました。きょう皆さんもこのような人にならなければなりません。これを見つめるイエス様の心情は、どうだったでしょうか。
三年間、喜怒哀楽を共にした使徒たちは影も形もなく、思ってもみなかった異邦のクレネ人のシモンが自分の代わりに凄惨な立場に立つようになるとき、これを見つめるイエス様の心は苦しみが大きかったのであり、悲しみに悲しみが加わっていたでしょう。
もし十二使徒の中に、誰かイエス様の十字架を代わりに背負う人がいたなら、イエス様は彼を見つめて死の苦難も忘れ、かえって彼を同情しながら自分の痛みに打ち勝つことができたでしょう。しかし、そうすることができず、イエス様は悲しみに悲しみが増し加わったのです。(1957・6・16)
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イエス様が十字架で亡くなったとき、神様の心情はどうだったでしょうか。怨讐の息子、娘が自分のひとり子を捕らえて殺す局面であっても、彼らを怨讐視してはいけないのです。自分の息子を捕らえて殺す立場でも、愛する心をもって越えていかなければならない神様の心的な苦痛が、どれほど大きかったでしょうか。(1993・2・1)
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イエス様がみ旨を成し遂げていれば、神様は自由の一日をお迎えになったはずであり、イエス様がみ旨を成就していれば、神様と人間の関係には心情の因縁が結ばれていたでしょう。また、天的な威信が地上に立てられていたのです。そして、神様は栄光の立場に立ったイエス様をサタンの前に立て、「サタンよ、イエスの人格とイエスの威信とイエスの威厳を見よ」と誇られたでしょう。しかし、誇る何の内容も備えることができなかったイエス様を見つめられる神様の心情は、どのようなものだったでしょうか。(1960・7・3)
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皆さんは、切ない心情を抱かれ、任せられた使命を完遂するために無限に尽くしたにもかかわらず、結局は十字架にかかるようになったイエス様の姿を見つめなければならなかった、神様の悲しい心情を感じることができなければなりません。
十字架の死を迎える直前に、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27・46)と祈らざるを得なかったイエス様の心情を、見つめられる神様の無念でやるせない心情を推し量ることができなければならないのです。 四千年間悲しみに耐えてこられた神様でしたが、愛する息子、娘が何らかの蕩減条件を立てるまでは直接主管することができないために、彼らが蕩減条件を立てる時まで忍耐せざるを得ない神様だというのです。(1957・10・25)
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イエス様は万民のために生まれ、この世で一つの慰安の場も見いだすことができず、 こちらに追われ、あちらに追われながら、孤独な孤児のように、追い立てられる放浪児のように、孤独な道を歩んでいた生活、最後にはカルバリの山上で十字架の死を迎えるようになったこの事実を思うとき、これを御覧になる神様の悲しみは、天地をひっくり返してしまうほどのものだったでしょう。
聖書にイエス様が息を引き取るとき、天地に三時間の暗闇があったと記録されていますが、これは失ってしまったアダムを取り戻すために四千年間待って立てたイエス様が、ゴルゴタの道で祭物として捧げられるのを見つめる神様が愕然となられたことを示すものです。このような神様の悲しく無念な心情を知らなければなりません。(1958・1・26)
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イエス様は、ローマ兵がやりで自分のわき腹を突いても、「彼らをおゆるしください」 と言いました。「私が彼らの代わりに死んでいきます。彼らの代わりに犠牲になります」 という精神をもって完全に忍耐するのです。ここから新しい世界が生まれます。歴史上になかった新しい世界が生まれるのです。
数多くの歴史を見ても、歴史上のあらゆる怨讐は怨讐で返せと教えたのであって、怨讐を愛で返しなさいと宣言したのは、たった一人、イエス様だけでした。それが偉大なことです。これがどれほど偉大なことかという事実を知らなければなりません。新しい世界、神様が願う世界がそこから始まるのです。(1984・1・29)
第三次世界的カナン復帰路程
復活四十日路程とキリスト教の出発
イエス様の復活後、洗礼ヨハネに代わる弟子、ペテロ、ヨハネ、ヤコブ、この三人が一つになったという立場に立つことによって、イエス様と聖霊を中心とする復帰歴史を継続するようになりました。イエス様は昇天しましたが、復活した基盤の上で、 聖霊を中心として、霊的ではありますが、神様を中心とする天使長復帰型とアダム復帰型とエバ復帰型を取り戻せるようになったのです。(1971・8・15)
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イエス様が亡くなったのちに復活し、四十日間ばらばらになった弟子たちを再び集めようとしたのは、後継者の基盤を備えるためでした。師を捨てていった彼らを見捨てて当然でしたが、イエス様はその反対のことをされたのです。世の中では裏切り合うのが普通ですが、イエス様は決してそのようなことはできませんでした。ですから真なのです。イエス様が背いた彼らと向き合うとき、昔に愛していたそれ以上の心で 「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」と三度も尋ね、愛すると誓いを受けたのも真だったからです。(1971・5・1)
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イエス様は、亡くなってからもばらばらになった弟子たちを心配したのであり、墓の中の三日間でも、この弟子たちを永遠に守ろうという心をもったので、復活されたのちにガリラヤの海辺で弟子たちを捜し回られたのです。
困難な場で排斥した弟子たちですが、イエス様は復活後にまずガリラヤに訪ねていかれ、自分の責任を遂行し始めました。このように、死の峠を越えるとしても、変わらない弟子として立ててくださったイエス・キリストの人格こそ、今日の私たちが手本とすべき人格です。(1956・5・16)
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キリスト教の出発はどこからですか。十字架ではないというのです。どこから新しい出発がなされたのかというと、失ってしまった弟子たちが、すべて恵沢圏に入って再び集まったところから出発しました。したがって、キリスト教は、イエス様の復活後四十日期間に生まれたのです。イエス様が復活したのちに弟子たちを集めてキリスト教が生まれました。ですから、キリスト教の救援は十字架によってなされるのではなく、復活によってなされるということを知らなければなりません。(1974・5・19)
聖霊降臨と再臨
イスラエル民族がイエス様に侍ることができないことによって、イエス様は高弟の三弟子と百二十門徒を失ってしまいました。これを再び霊的に取り戻すことができる基準を立てたのが、五旬節に屋根裏部屋で起きた聖霊の降臨です。これによって百二十門徒の群れが一つになり、ユダヤの民を中心として再認識される基準を立てるようになりました。ここから霊的イスラエル世界が展開するようになるのです。(1968・7・14)
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イエス様が十字架につけられたあと、五旬節のペンテコステにおいて聖霊が降臨しました。その時に百二十人の門徒が集まって一つになって祈ることによって、聖霊の降臨を迎えることができたのです。聖霊降臨は、国家基準を超えた基準で起きるべきことです。イエス様が国家基準の基台の上で新婦を迎えることによって、彼らが一つになる基台を、霊的ではあるのですが結んだというのです。(1972・5・7)
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五旬節で、イエス様を中心とする百二十門徒の前に聖霊が降臨しました。父であるイエス様が天上世界に上がっていったので、母である聖霊が地上に来て赤ん坊を出産する苦労をするのです。ですから、聖霊降臨以降のキリスト教の歴史というものは、地の基盤がない霊的基準です。
このように、今まで霊的な国だけをもってきたので、世の中に国家基準で定着した国がありません。イスラエル民族の時には国がありました。教会中心の国があったのですが、今までキリスト教は国がありませんでした。放浪者です。ですから、ローマに行っても、どこに行っても迫害を受けて血を流したのです。(2002・4・4)
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イエス様の前途を台無しにしたのは誰だったのでしょうか。それは、神様のみ旨に代わり、歴史性の代わりに、全体の価値の代わりに選ばれたイスラエル民族でした。 彼らは、神様のみ旨を成し遂げるための生活をしなければならず、そこに信仰の基準を立てなければならなかったのですが、そのようにできませんでした。すなわち、モーセのみ旨を担うべきイスラエル民族が、彼を荒野で倒れさせたのと同じように、イエス様のみ旨を担うべきイスラエル民族が、イエス様を信じず、十字架にかけて殺してしまったのです。
ですから、モーセのみ旨をヨシュアとカレブが引き継いで、二世たちを連れてカナンに入っていったように、今や第二のヨシュアとカレブがイエス様のみ旨を引き継いで、第二の使徒たちを連れて世界的なカナンの福地に入り、地上天国を建設しなければなりません。これが、イエス様の望みであり、再臨理想です。(1957・6・23)
摂理的同時性について
摂理的同時性の時代
歴史の同時性と人間の責任分担
歴史には同時性というものがあります。歴史において誤ったすべてのことをある時代になって再現させ、解いて回っていかなければなりません。個人が罪を犯せば、その犯した罪の赦しを受けるために、ある時にそれを解かなければならないのです。(1986・2・21)
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カインとアベルが一つになり、主体と対象が一つになるのは、より大きなものを求めるためです。環境的な主体と対象の論理を中心として、主体と対象が逆さまになっているので、これまでの歴史は、これを入れ替えておくための歴史だったというのです。
個人的に入れ替えた個人時代、家庭的に入れ替えた家庭時代、氏族的に入れ替えた氏族時代、そして民族時代、国家時代、世界時代へと、必ずこのようになってきたのです。これは公式的なものです。歴史が同時性の時代によって転換し、発展したという論理がここから出てくるのです。その骨子とは何かというと、カイン・アベルです。 歴史的に闘争するこのような公式で進んできたので、歴史は必ずカインとアベルの闘争が展開するのです。(1993・1・3)
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復帰摂理には同時性の時代が訪れますが、内容が同じではありません。その規模において違いがあります。その形は似ているのですが、個人的なのか、家庭的なのか、 氏族的なのか、民族的なのか、国家的なのか、世界的なのか、天宙的なのか、その内容が違うのです。(1969・8・17)
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穴が開けば、継ぎ当てしなければなりません。四角の形に穴が開いたのなら、四角形の当て布をつくらなければならないのです。それが基本的な枠組みなので、神様の救援摂理は延長してきたのです。穴に合わせられずにいくら継ぎ当てをしても、それは合格ではありません。役に立たないものです。それを神様がされれば、一晩でできるかもしれませんが、それは人間の責任分担です。
ですから統一教会で提示した「責任分担」という言葉は、偉大な言葉です。今日の人類歴史を神様の摂理と共に相対的立場で関連づけることができ、解決できる言葉が責任分担という言葉です。責任分担を果たせなければ、神様のみ旨が延長していくのです。(1986・1・24)
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どの時代においても、人が責任をもたなければ、摂理路程は進展することができません。したがって、人が責任を完遂できなければ、摂理のみ旨は失敗することになり、 それと同時に、歴史的なあらゆる発展現象も必ず延長するという事実を、私たちは原理を通して知るようになりました。
それでは、何が問題なのでしょうか。現れるその歴史が問題ではなく、その歴史を動かす人が問題です。結局は、あらゆる問題が人に帰結するのです。どのような思想においても、その思想の流れよりも、それを実践し、成就させる人が問題になることを、私たちははっきりと知らなければなりません。(1970・1・22)
縦的蕩減条件と横的蕩減復帰
一つの家庭が出てくるまでには、一つの家庭が現れるための歴史的な背後があるのです。ですから、一つの家庭が現れるためには、サタンと神様の間に残された讒訴条件を蕩減しなければなりません。この讒訴の条件を断たなければならないのです。断つだけで終わるのではなく、それを現実的に、実体で復活させなければなりません。 統一教会の原理のみ言で言えば、縦的な歴史を横的に蕩減復帰しなければならないということです。
それでは、縦的な歴史を横的に蕩減するというのは、どういう意味でしょうか。今まで神様が摂理してきた路程において提示した蕩減条件がすべて失敗に終わったので、それらを横的に再現して蕩減することを意味します。
家庭を中心として見てみれば、その家庭が現れる時までのすべての蕩減条件と、その家庭自体がこれからの環境で立てるべき蕩減条件、この二つの分野においての使命を連結しなければなりません。そのようにしなければ、新しく解放された私として、 歴史的に勝利し、時代的に勝利した私として出発することができないのです。それが摂理の内容です。(1970・1・3)
数理的蕩減期間と四位基台
神様は四位基台を失ってしまいました。ですから、神様の復帰摂理の目的は、四位基台を復帰することでした。ですから、聖書と神様の摂理の中には四数が多いのです。 聖書には、四十年と四百年の蕩減期間がたくさんあります。すべての復帰、蕩減は、 この原理に従って成されてきました。(1971・12・27)
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四数というものは四位基台を意味する数です。歴史発展において四数が基盤となり、四十年、四百年という年数が蕩減条件の必要要件になっています。そして、四数は地の数にもなります。したがって、天と地が一つになることができる良い数なのです。(1976・10・4)
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七数を基盤として残り得るもの、三数を収拾して残り得るもの、十二数を収拾して残り得るもの、二十一数を代表して残り得るものは何かというと四位基台です。残り得るただ一つの中心基台が四位基台です。四位基台の中にすべて入っています。(1972・10・22)
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七数がなければ四数があり得ず、四数がなければ三数があり得ないので、神様は、 三数を中心として四位基台を成し、七数を取り戻してこられるのです。ですから、神様が三数を中心として成した基台の上に、イエス様が来られて家庭を求め、四位基台を成さなければなりません。四位基台、すなわち家庭を成さなければならないというのです。三位基台の三数を中心として四位基台を求めてきて七数を立てるのです。神様は、このように取り戻してこられます。(1968・7・14)
復帰摂理時代と復帰摂理延長時代
復帰摂理時代――イスラエル民族の摂理史
アブラハム家庭において、イサクを経てヤコブの時に至り、ヤコブを中心としてついにアダム家庭を身代わりし、ノア家庭を身代わりできる基準を探し立てました。そうして、初めて三代の親族形態を備えた七十人がカナンの地を離れ、エジプトに入っていくようになりました。言い換えれば、息子を経て孫まで地上に親族的な三形態を備えた土台によって、彼らはサタン世界に派遣され、エジプトに入っていくことができたのです。
このように個人から家庭、そして親族的な環境を立てておいたあとにも、彼らは平安な道を歩んでいったのではありません。再び民族を造成するための民族的な闘いを展開し、神様を中心とする民族を形成しなければならない試練の舞台に上がったのです。これがパロ宮中を中心とする四百年のエジプト苦役期間です。(1958・2・23)
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今から四千年前、エジプトは文化がとても発達していました。そのようなエジプトに入っていき、イスラエル民族が四百年間苦役生活をしたのですが、そのようなイスラエル民族に神様は何を願われたのでしょうか。神様は、彼らがただ僕暮らしをして、 煉瓦を焼く苦労人で終わることを願われたのではありません。
神様がイスラエル民族に四百年間苦役生活をさせたのは、イスラエル民族をしてエジプト文化以上の文化を創建させるためであり、エジプト民族以上の権限をもたせるためでした。(1966・3・13)
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イスラエル民族がカナンの福地に入っていって、失敗したこととは何でしょうか。四十年間荒野をさまよった自分たちは乞食のようでしたが、カナンの地に住むカナン七族は裕福な暮らしをしていました。しかし、彼らがしなければならないことは誰よりも神様を愛することです。カナン七族が問題ではありません。
神様を愛し、神様が求める国を取り戻さなければならないのです。その国とは、どのような国でしょうか。カナン七族を一掃した基台の上に立てることができる国です。 そのような国ができなければなりませんでした。それにもかかわらず、二世たちが飢えていくようになり、乞食のようなイスラエル人と結婚するのは嫌だとして、カナン七族と仲良くするようになったのです。
エジプトから帰ってきて、イスラエルの伝統歴史を中心とする天の国家建設が目的だったすべての理想的基準を立て、二世から後世を通して天の国のイスラエル王権を立てなければならなかったにもかかわらず、その責任を知らなかったというのです。 そして、その王権というのは、イスラエルの単一民族ではなく世界的なものです。イスラエルの国を選んだのは、イスラエルの国を救うためではなく、カイン圏を救うためでした。(1990・1・1)
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神様は堕落の歴史が始まったのち、長い歳月の間、限りない苦労を意に介すことなく選んだイスラエル民族を導き、三千年目には大いなる希望と期待をもってサウル王を立てられました。ところが、サウルが責任を果たせないことによって、神様の本来のみ旨は、ダビデ王を経てソロモン王の時まで延長されました。すなわち、サウルを立てて成し遂げようとされた神様のみ旨は、ソロモン王の時まで百二十年間も延長されてきたのです。(1959・3・15)
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ダビデもやはり、王位に上がってそれで満足するのではなく、王位を基盤として異邦の文化を踏み越えていける民族を創建し、民族文化を成し遂げなければなりませんでした。
異邦の国を征服するようになるときは、その国の文化まで余すところなく切ってしまわなければなりません。そうして、億千万の世代に恨を残した怨讐の前で、真理の剣を振るうことができなければならなかったのです。そのような権限をもって進み出ていくことがサウルの責任であり、ダビデの責任であり、ソロモンの責任だったのですが、彼らはその責任を果たせませんでした。(1966・3・13)
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福地が呼ぶ人、福地の主人になれる人は、その時代で幸福を謳歌する人ではありません。その当時の歴史を踏み越えて、その上に新しい文化を創建し、全人類に「その世界に向かっていこう」と堂々と命令できる新しい、何かを見せてあげなければなりません。このようにすることがソロモンの責任でした。
ところが、ソロモンは、祭祀を捧げる聖殿を建て、その聖殿の中にイスラエルの族長たちを集めておいて、自分の王権を誇ることに終始しました。ソロモンの権威は、 それまであった数多くの民族が立てた、あらゆる文化の痕跡を余すところなく打ち砕き、堕落した氏族の因縁を通して成された、あらゆる文化を除去できる新しい文化を創建しなければなりませんでした。しかし、ソロモンはそれを忘却しました。ですから、ソロモンを通して成し遂げようとしていた神様のみ旨は、そのような希望を抱いていく群れに向かって、再び移さざるを得なかったのです。(1966・3・13)
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南朝ユダの二支派と北朝イスラエルの十支派の闘争歴史は、カインとアベルの闘争であり、天の父母とサタンの父母の闘争です。ですから、ユダとイスラエルの国の歴史は悪魔に打ち勝つためのものでした。悪魔の足場になり、長子の立場に立っているのが北朝イスラエルの十支派です。南朝ユダの二支派がアベルの立場に立ち、北朝と南朝の闘争歴史を経てきたのです。それで、南朝のユダ民族は北朝のイスラエル民族を消化しなければなりません。彼らと一つにならなければ、サタンを避けて天の真の父母を求めていくことができる道がありません。(1986・6・1)
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北朝イスラエルと南朝ユダの紛争歴史がどこから始まったのかというと、ヤコブ家庭から始まりました。ヤコブ家庭において、レアとラケルが一つになれなかったのです。ヤコブは十四年間、女性のために苦労しました。母の援助のもとでレアとラケルを一つにしなければならなかったのです。ヤコブを中心として、嫁として来たその姉妹を、ラバンの妻を動員してでも一つにするように共同作戦をしなければなりませんでした。
そこで十二人の子女が生まれました。それが北朝の十支派と南朝の二支派に分かれたのです。家庭的に統一の起源を成し遂げることができなかったので、国家的に分離させたのです。国家的基準がそのようになれば、世界的に分離されます。それを神側で一つにしようとしたのが旧約時代の預言書に出てくる内容で、士師を通して苦労した出来事です。その代表的な存在がエリヤです。(1993・10・8)
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北朝のアシラの木像は外的な神であり、バアル神は淫乱の神です。北朝ではこれらに仕えていました。この時にエリヤが出てきました。そして、偽りの神に仕える北朝の十支派の祭司長たちと、神様が送った真の神に仕えるエリヤが対決したのです。偶像を崇拝する北朝の八百人以上の祭司長たちと一人で闘い、真の神が誰であるのかを見せてあげるための祈りをしました。エリヤが祭壇にひざまずいて祈りを捧げると、 天から火が下ってきてすべてを燃やしてしまったのです。そうして、バアルの神に仕える八百人以上の人たちを一度に燃やしてしまいました。
このようになれば、北朝は、そこで神様の前に悔い改めて戻っていかなければならないのですが、怨讐である南朝に屈することを拒否したというのです。それが間違っていました。神様は信じても、南朝は気に入らないのです。それが問題です。伝統に染まり、習慣として残されたものを新しい時代に転換しようとするのですが、転換して戻っていくべきものが、それまでもっていたものを、惰性でそのままもっていこうとしてしまったのです。(1989・1・1)
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アダムとエバが全被造万物の主人公になれなかったのですが、この被造万物は、み言を中心として六つの期間を通してつくられたので、万物復帰の民族的な峠を越え、 世界的な蕩減を越えていくようになるときには、必ず六数の過程を通して神様のみ言を立てるか立てられないかという試練、すなわち天使長の代わりにアダムを打つということが起きるのです。
それで、イエス様が来られる六世紀前に、イスラエル民族は旧約のみ言をよく守るか守らないかという試練を受けました。つまり、天はイスラエル民族がみ旨を世界的に伝播しなければならない時に至ると、その民族を打ったのです。これが、イスラエル民族がバビロンに捕まっていく期間です。そのように、過去に神様に背いたこの民族が、再びみ言に背くか背かないかという重大な岐路に立つようになりました。
天に背いた民族なので、天を身代わりしてこの民族が新しい六数の出発の峠を越えていくようになるときは、サタンの攻撃と鉄槌が下されるのを許諾せざるを得ませんでした。それでバビロンをして、イスラエル民族を占領させる時代があったのです。(1958・2・9)
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バビロン捕囚の時代からマラキの時代において、カナンに戻ったイスラエル民族がすべきことは、聖殿復旧運動でした。それをやらなければなりません。疲弊した聖殿をすべて復旧しなければならないのです。民族の精気の主体として登場することができ、神様に仕える聖殿を中心として、主体の確立を完全に全国化させなければなりませんでした。全国化だけでなく、世界化させることのできる主体として現れることを神様は願われたのです。それが復古思想圏内にいるイスラエル民族に対する神様が願う希望の道でした。(1988・2・24)
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イスラエル民族がバビロンに捕らえられていって多くの受難を経験しました。捕虜生活をする中、三次にわたってイスラエルに復帰し、イスラエルの国に帰ってくることになりました。そのようにして帰ってきたイスラエル民族は、再整備をして聖殿を建立するようになったのです。
そうしてマラキ預言者の時には彼を中心として内的にイスラエル教団を整備し、外的にイスラエルの国を整備するためのみ業をしました。 四百年間を準備してメシヤを迎えるように、神様がそのように準備したのです。(1987・10・1)
復帰摂理延長時代――キリスト教の摂理史
イスラエル民族が民族的な基台を立てたのちに国家的な基台の上でメシヤを迎えて一つになっていれば、今日の人類歴史は全く違うものに変わっていたでしょう。ところが、不幸にもイスラエル民族は彼らの使命を果たすことができず、イエス・キリストを十字架にかけてしまいました。そのため、ただ霊的に、国家的、宇宙的な基台を造成できる方向にのみ動くようになったのです。
このように、イスラエル民族が使命を果たすことができないことによって、イエス様以降のキリスト教信者たちが苦難と試練を受けなければなりませんでした。それでキリスト教は、サタンの地であるローマ帝国に移動しなければならなかったのです。 そして、キリスト教は霊的なメシヤと共にローマ帝国の迫害の中で勇敢に苦難を乗り越え、霊的ではありますが、世界的な復帰ができる新しい基台が成し遂げられたのです。(1965・2・13)
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パウロを中心としてキリスト教は活動し、一つの家庭型を経て、部族型を経て、民族、国家、世界型へと歩んでいくようになります。イエス様がゴルゴタの道を行ったのと同じように、パウロが天の使命を担い、十二弟子の代わりにサタン世界に対して死のゴルゴタの道を自ら進んでいったのです。そして、ローマのネロ皇帝時代の激しい迫害と虐殺の過程を経てきました。
また、個人的なパウロの犠牲がその時の部族、また十二弟子のような人たち、イスラエルのような群れを立ち上がらせるようになりました。そして、個人から全体が一つに団結して死の場を越えて闘ったので、ローマの国を奪ってくることができました。
そのようにして約四百年を経ていく間に、キリスト教徒は増えていくようになります。中世の封建社会時代において、ローマ教皇庁を中心にキリスト教は全盛時代を迎えるようになりました。そして、全世界をキリスト教徒たちが支配していくようになるのです。(1958・10・19)
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ローマ帝国を中心とする神様のみ旨とは何でしょうか。神様のみ旨は、世界版図をもったその版図圏内において、キリスト教を中心としてローマ帝国を動かすことのできる教皇庁をつくることでした。その時に教皇庁とローマ帝国が一つになっていれば、 世界を完全に救うことができたのです。全世界の国々を一つの国にできたでしょう。
ローマの植民地圏内にあるすべての国々が兄弟の国になっていました。ローマは兄の国であり、すべての国は弟の国です。神様のみ旨の中で見れば、すべて弟たちです。ところが、ローマは、その時に隷属されていた国々を、搾取の手段として道具化させていたのです。
これでは神様のみ旨とは異なり、いくら希望をもって世界を救うみ旨を展開しようとしても、教皇庁と国が一つになってその歩調を合わせることができないので、このみ旨を再び他の所に移さざるを得ませんでした。(1975・12・28)
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キリスト教の信徒たちがローマで四百年間、迫害と殉教の代価を払い、四千年の旧約の歴史を清算して勝利し、キリスト教が国教として立つようになると、ローマが第ニイスラエル型として神様の祝福を受け継いだのです。当時、教皇庁とローマは、どのような犠牲も辞さず、イスラエル民族とユダヤ教が果たせなかった復帰の使命を完遂し、神様を中心に全世界を結束させて統一の理想世界を建設しなければなりませんでした。
しかし、教皇庁はこのような重大な使命を悟ることができず、教権を濫用し、腐敗がはびこるようになったために、教皇庁の威信は地に落ち、神様のみ旨は再び離脱してしまったのです。これに反対して人本主義が台頭するようになり、宗教改革、新教運動が始まると、これに対する迫害と弾圧は日増しに激しくなっていきました。当時、 イギリスの王だったヘンリー八世が旧教に反旗を翻し、議会に新しい法を通過させて聖公会を立てたために、これはヨーロッパ全域の新教運動を糾合する絶好の機会となりました。(1976・9・18)
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ヘンリー八世は、息子がいないので息子を生むために離婚をしようとしたのですが、 そこにありとあらゆる反対が起こったのです。旧教で反対するので、離婚を正当化させるために憲法を改定して法的処置をし、旧教から脱退してアングリカン・チャーチ (聖公会)をつくりました。それは歴史的なことです。
その時、新教の風潮の中でイギリスが新しい舞台となって、国家的な基盤の上に新教を包摂していく良いチャンスでした。海洋圏を中心として制覇するという政策を立て、スペインが海洋圏に介入できない基盤を築くようになったのは、すべて神様のみ旨だったのです。
ですからイギリスは、大きな新しいキリスト教歴史のすべての福を受け継ぐことができたのです。その時、ヘンリー八世を中心としておよそ三代を経て西ヨーロッパにある新教をすべて包摂し、信仰の自由の王国として兄の国となり、母親の国となって、 信仰の自由を求めるヨーロッパ人たちをすべて消化、包摂することができていれば、 超民族的な、神様の名前を中心とした王国を築いて世界制覇国となったのです。
それこそイギリスの名前どおりのザ・ユナイテッド・キングダム (The United Kingdom)’ 統一王国です。数百年間、五大洋六大州(世界)に日の沈まない大英帝国をつくったのは、神様のみ旨なのです。島国イギリス、海賊の親玉だったその民族が優れているのでそのようになったのではありません。ローマ帝国が責任を果たせないことによって、世界を制覇して新しい伝統的な思想の行路を正すために、神様がイギリスの民族を立てて、祝福してくれたのでそのようになったのです。
そのようにしてそこで一つになっていれば、今日のアメリカは現れませんでした。
全世界が統一されるのです。アジア諸国まですべて連結させ得る立派な版図をつくっておいたのです。イギリスが神様のみ旨を知り、新教と一つになり、新しい国と一つになり、世界を救うための神様のみ旨を成し遂げるためにキリスト教の思想に従って万国の救援のために総進軍していたなら、イギリスは世界的な文化を創建したはずです。しかし、イギリスが様々な国を約三百年間搾取し、自分の隷属国家にしたのは、 神様のみ旨とは背馳(はいち)することです。
ここで新教徒、清教徒たちが会議を改革し、国王の不純な行動を正当化しようとするアングリカン・チャーチに反対して覚醒運動を起こし、神様が理想とする新しい国を築くために、その教派を越えて理想的な神様の教会と神様の国を追求するために起こした運動が清教徒運動です。(1975・12・28)
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天はアングロサクソン民族に世界を任せられました。それで、彼らが世界を救ってくれることを願われたのです。ところが、彼らは世界のための民族として登場しなければならなかったのに、そうすることができず、自分の民族を中心として世界を利用する民族になりました。もし責任を果たしていれば、それこそ世界をキリスト教王国にすることができ、新教を中心として旧教まで吸収できる主体国になっていたのではないかというのです。
しかし、神様のみ旨の方向を知らなかったのです。インドのような国は、イギリスが植民地支配しました。インドは、神様のみ旨の中でアジアにおける一つの中心国家であり、古代宗教文化圏をもった中心国家なので、イギリスが神様のみ旨の中で自分たちの国を愛するようにその国を愛し、その国民を自分たちの民以上に愛し、開発させていれば、インドを通して中国まで吸収して余りあったのです。
しかし、イギリスは、インドを自分たち民族の搾取の場として利用し、 その民族が滅んでも関係ないという政策を遂行しました。ですから、インドは反英思想をもっていたのではないかというのです。もしイギリスがインドからアジアのために生きていれば、インドから中国を経てアジア圏全体を統一することができたのですが、そのような祝福園を失ってしまったのです。(1975・10・21)
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イギリス国内でも多くの人たちがイギリス国教会の独裁的な礼拝のやり方に反対し、 抵抗しました。イギリス国教会の大規模な改革を求める叫び声が上がったのです。そのようなピューリタン運動が始まり、それは迫害の中にあっても、瞬く間に広がりました。これらの新しい求道者は既成教会の指導者たちにとって脅威となり、彼らはあらゆる手段を講じてこの新しい運動を押さえつけようとしました。
本当に礼拝の自由を求める人たちは、すぐにどこかに逃れていくか、投獄されなければなりませんでした。彼らの精神は強固でしたが、当時の政府に抵抗するほどの力はもっていなかったのです。彼らは、オランダに逃げていきました。しかし、なおも彼らは新しい世界、すなわち神様に礼拝する自由を見いだせる新天新地を切望していたのです。(1973・10・22)
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アメリカは、新世界を夢見る人々にとって、魅力的であったに違いありません。アメリカは未知の領域でしたが、彼らの願っていた礼拝の自由を約束してくれたのです。 清教徒たちは、強烈に自分たちの社会をつくりたいと思っていました。アメリカは理想的な場所のように思われ、勇気をもってそこに行く決意をしたのです。彼らは大西洋を渡り、危険な旅に身を任せました。彼らは、信仰の強さを見いだしながら命を懸けました。それは、彼らの命に対する願望よりも強いものだったのです。(1973・10・21)
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清教徒の話は、神様の歴史において伝統的な話です。それは、アブラハム、イサク、モーセのような歴史上の正しい人々のパターンに当てはまるのです。このような清教徒たちは、現代歴史のアブラハムでした。ですから彼らは、メイフラワー誓約書が署名されたのちでさえも、多くの苦難に立ち向かっていかなければならなかったのです。
アメリカでの最初の冬、メイフラワー号の生存者の人数は半分に減ってしまいました。来る日も来る日も、最初の冬は愛する者たちとの心を引き裂かれるような別れをもたらしました。このような勇気ある開拓者が、一人また一人と死んでいったのです。
しかし、朝から晩まで、晩から夜明けまで、彼らの生活は神様のみ意を中心としていました。神様が彼らの唯一の慰めであり、唯一の希望であり、唯一の保証でした。
神様が彼らの第一のパートナーだったのです。彼らは、あくなき信仰を示し、神様は彼らに力と勇気を与えてくださいました。彼らは、決して神様への信仰と未来のビジョンを失いませんでした。
彼らがアメリカに来た目的は、神様を中心とした国家を建設し、神様の住まわれる国土を築くことでした。そこで彼らは、お互いに本当に親交を分かち合い、神様と親しく交わって喜ぶことができたのです。これは、すべて神様の摂理の中にありました。 なぜなら神様は、世界の最終的な永遠の救いのために、神様の闘士として仕えるキリスト教国家を必要としておられたからです。(1973・10・21)
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アメリカ大陸は、ある特別な目的のために隠され、適切な時期までヨーロッパのクリスチャンに発見されませんでした。そして、神様の人々が定められた時にやって来たのです。彼らは、新しい生活様式をつくるためにやって来ました。
彼らの第一のパートナーは神様でした。家で子供たちの世話をしたり、農作業をしたり、料理や建築作業をするとき、彼らはすべてを神様と共にしたのです。神様は、彼らがもっていた唯一の保証でした。農夫は、炉端の周りや畑で目を閉じて祈り、家族や農場を神様に捧げたのです。彼らは日常生活を、神様の名によって生きたのです。(1973・10۰21)
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歴史を通して、神様の選民たちは、自分の故郷では決して祝福を受けることができなかったというのは、重要な事実です。神様は彼らを故郷から導き出して、異国の地に定住させ、そこで彼らは神様の民、神様の国家となることができるのです。
このパターンどおりに、アメリカの人々は故国をあとにして信仰の旅に出て大洋を渡り、新世界にやって来ました。そして、ここで神様の祝福を受けたのです。神様は、アメリカに明確な計画をもっておられました。神様は、この国を神のもとにおける一つの国として繁栄させる必要があったのです。神様と共にあれば、不可能なことは何もありません。不可能なところから、アメリカの独立が現実のものとなり、その基台の上で大きな繁栄が訪れたのです。(1973・10・21)
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四海を平定し、日の沈まない地と叫び、気勢を上げていた大英帝国も、再びその華麗な文化のバトンをアメリカ大陸に譲り渡した事実を、私たちは、歴史の中で目撃しました。
アメリカ大陸に着陸した人類文化は、ついにキリスト教に根をおく民主主義の甲冑をまとい、宗教の自由と人権平等の旗印を掲げて闘い、第一、第二、第三次世界大戦を勝利することによって、無神論的悪主権の代名詞であった共産主義がひざまずくようになります。
しかし、人類文化史の発展がここで終わるのではありません。そしてそれは、アメリカが偉大であるがゆえに、成された結果でもありません。摂理的プログラムに合わせ、天はアメリカという国を第二イスラエルとして選び立て、中心宗教であるキリスト教を通してアメリカの国民を育て、訓練させ、この結実段階の摂理を成したのです。
そうして地球星を一周回ってきた人類文明史の発展は、ついに太平洋圏に到着しました。人類歴史は、今から環太平洋圏を中心として、完成、完結すべき摂理的時点に到達したのです。(2007・9・23)
復帰摂理から見た歴史発展
人類歴史は善悪分立の歴史
今まで流れてきた歴史を見れば、善が築いてくる歴史と、悪が築いてくる歴史が、 常に闘いながら流れてきたことが分かります。人間が堕落しなかったならば、善悪の闘争はなかったはずです。しかし、人間が堕落することによって善悪の闘争が生じるようになったのです。
本来、善が歴史の中心にならなければならないにもかかわらず、 悪が歴史の中心になりました。善が先に出発しなければならなかったにもかかわらず、 悪が先に出発し、善が上になければならないにもかかわらず、悪が上にあるのです。 このように全体的に不当な内容を、正当な本然の姿勢に戻すための闘争が今日までの歴史的闘争の母体となっています。(1970・1・22)
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統一教会では人類歴史を、善悪分立の歴史と見ています。ですから、闘争のある所には必ず善の側と悪の側があるのです。すべて善ばかりがあるのではありません。この世界はサタン世界なので、その中にいる個人もサタン側にいるのであり、神様の世界と関係がありません。それで神様は善の基準を中心として、間接的に真の人間を通して、あるいは宗教を通して善悪分立の歴史を導いてきているのです。(1992・2・10)
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歴史を通して見てみるとき、人間は常に平和を渇望し、その達成のためにあらゆる面において努力を重ねてきました。しかしこのような、あらゆる努力にもかかわらず、 人類は平和を成就することができず、歴史は紛争を反復し、今日も破壊的な暴力が頻発しています。ではなぜ、今日に至るまで平和を成就することができなかったのでしょうか。
平和を成就できなかったその理由は、実に個々人の内部における内的な闘争が解決されないで、果てしなく続いてきたためです。すべての世界の紛争は、このような個人の内面における闘争の発露なのです。(1987・6・1)
民主主義と共産主義の限界
民主主義とは、決定的な中心を探すことのできない時に選択の方便として立たせたものです。それが民主主義です。神様を民主主義式に選ぶことができるだろうかというのです。メシヤを民主主義的に選ぶことができますか。自分の父母を民主主義式に選ぶことができますか。根本のための相対的な問題は解決可能ですが、民主主義が根本問題に触れることはできないのです。(1973・3・17)
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中世の封建時代に神様を中心とする絶対的専制国家を、ローマ教皇庁を中心として成就しようとしましたが、教皇はそのローマ教皇庁の使命が何なのかを知りませんでした。ローマ教皇庁を中心として、ローマの国に世界を屈服させようとしたのです。
しかし、それは本来、神様の摂理ではありません。ローマを犠牲にすることがあっても世界のために生きるキリスト教、世界を救ってあげることのできるキリスト教、世界版図を中心とする一つの主権を構成しなければならないことを知らなかったのです。 民族と民族が対決し、ローマを中心としてサタンと神様が投入してきたことを、人間を代表してローマ教皇庁が和解の中心にならなければならないというのです。
このような責任を果たせないことによって、キリスト教はサタンから激しく打たれるようになります。これが人本主義です。人間が神様の仕事を身代わりできるというのが人本主義です。フランス革命を中心として、人本主義の発生と共に啓蒙思想を通してこれが共産主義の唯物論になりました。人間の力ではなく黄金万能時代を主張するのです。物質が万能だ、神だとして、物本主義の唯物論世界を中心とするのです。 政治圏も、一つの世界だとして一つの形態をつくり、一つのみ旨を抱いていく宗教圏の理想世界を妨害するために出てきたのが共産主義です。(1991・2・3)
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唯物論では駄目な理由とは何でしょうか。唯物論は何を排除したかと言えば、神様を排除してしまい、人間の価値を排除してしまいました。唯物論には人間の価値がないのです。ですから、むやみに虐殺するのです。これが問題です。唯物論は神様を排除して、人間の価値を排除してしまいました。
また、民主世界を代表した人本主義はどうかと言えば、神様を排除すると同時に、 唯物論社会を主張します。物質主義者たちを歓迎するのです。それが病弊です。ですから、彼らも神様と関係がないのです。かえって、共産党と同じ側にいます。
それでは、唯物論者と人本主義者では、どちらが優勢でしょうか。人本主義者よりも唯物論者が優勢です。ですから、人本主義理想を叫ぶ人たちは、結局、唯物論者たちに屈服してしまうのです。唯物主義を叫ぶ人たちは、人格も認定せず、神様も忘れてしまったのです。そこには理想があり得ません。(1987・6・14)
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共産主義の邪悪さのその核心が神様の実存を否定するところにあることを知り、人間の永遠の生を否定するところにあることを発見しました。人間が神様を否定するとき、その人間は徹底して無責任になります。このような場合、法は人間の犯罪行為を正当化する道具になるのです。目的は手段を正当化します。人間が神様の位置を占領してしまうのです。このような信条に立脚して共産主義理論が出現しました。(1987・9・21)
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民主主義と共産主義は、人類の共通問題解決の欲望から発展しましたが、民主主義は、このような課業に成功もできないだけでなく、これに対して共産主義の破壊活動を克服することも、阻止することもできないことが判明しました。これに対して共産主義は、世界の問題を完全に解決できず、皮肉にも人類により大きな問題を惹起させただけなのです。
したがって、世界は苦境に置かれるようになり、民主主義と共産主義は袋小路に至り、勝者のない状況に直面するようになりました。これが私たちの現実であり、人類の将来は、暗鬱で予測できないもののように見えます。
それでは、民主主義と共産主義は、なぜ解決策とならないのでしょうか。二つの思想を注意深く分析すれば、二つのうちどちらも究極的な意味で真理の核心をもっていないことが分かります。民主主義は、政治制度の根幹として貢献するかもしれませんが、決して明確で包括的な世界観ではありません。共産主義は、包括的で体系的な世界観をもってはいますが、それは偽りの仮定と歪曲した事実に根拠を置いています。(1983・11・25)
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共産主義は、「すべての財産は国家の所有である」と言います。個人の財産を認めません。社会主義体制と資本主義体制は異なります。民主主義は個人の所有を承諾するのに反して、共産世界は社会主義体制なので国家の所有のみを認めるのです。ですから、すべてのものは国家のものだと主張します。
物が国家のものになるということまではよいとしても、人までも国家のものだと主張します。民主世界はそうではありません。物も人も、国家に対して対等な立場で自分を主張しようとしますが、共産世界は、物はもちろん人までも国家のものだとしています。ですから、自由がないのです。(1989・2・11)
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今までは所有権をサタンが握っていました。万物世界も、神様ではなくサタンが主人になっていたのです。本来の主人は神様であり、その子女と家庭がその位置にいくはずだったのですが、堕落以降、その所有権が完全にサタン側に渡ってしまいました。 それをどのように回復するのか、ということが問題です。
それで、歴史において社会主義、共産主義の手によってすべてのものが国家の所有になっていくというのも、一連の復帰摂理をサタンが知って、あらかじめそれを防御するために陣を張るシステムだというのです。(1991・3・9)
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共産主義、社会主義は、国家が所有主になっています。民主主義は、個人が所有主になっています。それを移行して誰の所有になるのでしょうか。全世界の所有は、神様のものであり、全世界はその子女たちのものであり、その子女は家庭のものなので、 その移行する過程において、一箇所に集めなければなりません。
そのような主人には、 ただ神様がならなければなりません。神様が主人になり、神様の所有権をもつ主人となって、真の父母に伝受され、真の父母によって子女に伝受されてこそ、その所有決定権が神様の世界のものになるのです。(1988・10・29)
共生共栄共義主義
理想世界は、経済的には共生主義、政治的には共栄主義、そして倫理的には共義主義の社会です。共生主義とは、神様の真の愛を基盤とした共同所有を中心内容としています。共生主義社会の基本となる典型は家庭です。単純な物質的所有だけではない、 神様の愛を基盤とした共同所有です。
家庭におけるすべての財産は、たとえ法的には父母の名義になっていたとしても、 実質的には父母と子女、すなわち全家族の共同所有となっています。それと同時に、 家族の個々人は、各々部屋と衣類、小遣いをもつようになります。このように、家庭においては、全体目的と個体目的が調和を成すようになっています。このような愛が基盤となった家庭の理想的な所有形態が社会、国家、世界へ拡大されたものが、理想社会の所有形態です。
神様と人間の本然の関係は、真の愛を中心とする関係です。神様と私の共同所有、 全体と私の共同所有、隣人と私の共同所有など、様々なケースがありますが、神様の真の愛が中心となった感謝する心で共同所有をするようになっています。
神様の愛を完成した人間が成し遂げる理想世界においては、全体目的と個体目的が自然に調和します。人間は、欲望もあり、愛の自律性ももっているので、個人所有、 個体目的が許諾されています。だからといって、無限定な個人所有、または全体目的を害する個体目的を追求することはありません。完成した人間は、自らの良心と本性によって自己の分限に合った所有量をもつようになるのです。
特に、真の愛による万物の真の主人の人格となる理想的な人間の経済活動は、愛と感謝を底辺としているため、過分な欲望と不正はあり得ません。同時に、全体目的に反する地域や国家利益が強調されることもなく、また経済活動の目標が利潤の追求ではなく全体の福祉に焦点が集まるのです。
共栄主義は、神様の真の愛を基盤として共同参与し、自由、平等、幸福の理想が実現される政治を追求する主義です。共同政治参与の形式は、代議員を選出することになります。しかし、政治単位が愛中心の家族関係の拡大だと理解するとき、代議員の候補者は、互いに敵対関係にはなりません。唯一なる神様を父母として侍る兄弟関係として、周辺の推薦により、奉仕する使命感で候補になるのです。
そして、いくつかの選出段階過程を経て、最後の決定は、人為的な条件が介入できない神様のみ旨に従って決めなければなりません。すなわち、祈祷と厳粛な儀式による抽選方式によって当選者を確定するやり方になります。神様のみ旨と天運によって当落が決定するので、全員が感謝し、結果を喜んで受け入れるのです。
理想世界の国家の重要機関と各部署は、共同目的のもとに互いに円満な授受作用をしながら調和します。ちょうど人体の様々な器官が、頭脳の指示による共同目的のもとに、合目的的、または自律的に協助するのと同じです。
神主義は、真の愛を中心とする普遍的な倫理、道徳を守り、構成員全員が善と義の生活を追求する主義を言います。それは、神様の真の愛による絶対価値のもと、万民が倫理、道徳を普遍的に実践する道義社会を指向する理想となります。
理想世界は、理想家庭と完成した人間を前提としています。真の愛による理想的な父母、理想的な夫婦、理想的な子女の統一的な調和が理想家庭の要件になります。また完成した人は、真の愛によって心身が調和統一を成した人になります。
このように完成した人たちが、真の愛の基地である家庭生活、またその拡大である社会生活において、自律的に善と義を行う最高の愛の世界、道義世界が理想世界なのです。(1995・8・22)
メシア再降臨準備時代について
宗教改革期
宗教改革
中世の封建社会は誰が崩壊させたのでしょうか。天が崩壊させました。神様は、ローマ教皇庁を中心としてみ旨を成そうとされたのですが、その教皇庁が腐敗していくので、それを滅ぼされたのです。天を信じる人たちがかえって天倫のみ旨に背くようになったので、人本主義思想を立てて彼らを打つようになったのです。そのような中でも神様は、摂理の基点を失わないために、天を心配する一人の人、ルターを中心として宗教改革を起こしました。(1958・2・16)
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ローマ教皇庁を中心として見るとき、中世は既に腐敗しており、彼らは教権と教条に縛られ、神様のみ旨が世界の救いにあることを忘却してしまいました。世界はすべて放り出して、自分たちの権力、自分たちが築いてきた基盤が崩れないかと心配で、 目を丸くしながら、そこに反対する人はすべて切ってしまいました。世界を救うためには、自分の氏族などを100パーセント犠牲にしなければならないのにもかかわらず、自分たちの立場と栄光を得るためにそれを擁護したのです。
神様が世界を救おうとするみ旨をもっていらっしゃるなら、これをそのままにしておいては何もできません。ですから、壊してしまうか、再び立て直さなければなりません。すなわち、新教運動を興さなければならないのです。ですから、マルティン・ ルターのような人が現れて正面から衝突したのです。(1973・10・21)
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中世時代、社会は腐敗に満ちており、聖フランシスのような人々は、すべてを否定し、世界から隔絶していました。現世的目標を追求する代わりに、聖フランシスは、 教会精神を復興しなければならないという彼のビジョンに忠実でした。
彼は、クリスチャンたちに自分を呪縛しているすべてのものを捨てさせ、その目的に向かってすべてを捧げさせる運動を始めました。現世的なものを克服することによって、彼は目覚ましく飛躍し、彼の目標を理解する人をみな導くこともできました。しかし、そのようなフランシスコ修道会でさえも、異なる意見の対立に悩まされる組織となっていったのです。教会には、より深刻な改革が必要でした。そのために宗教改革が起こったのです。
マルティン・ルターは、プロテスタントの改革を起こし、重要な改革家がカトリック教会の中からも出現しました。ヨーロッパ中の正しい人々は、旧式で腐敗した教義や儀式の制限から、自由を勝ち取る決意をしたのです。彼らは、現世的機関としての教会ではなく、神様とイエス様をあがめたかったのです。すべての信者が聖職者であるというのがプロテスタント宣言でした。神様と直接対話することが、彼らの本当の願いでした。彼らは、神様がだんだんとこの世界を最終的目的に近づけるように助けたのです。(1973・10・22)
文芸復興
歴史路程を回顧してみると、中世の封建社会以降に人本主義を中心として自由と平等と博愛の思想を鼓吹してきました。それでは、本来の自由と本来の平等、本来の博愛、この属性はすべて、誰の属性でしょうか。それらは正に、神様の属性です。
中世のキリスト教が神様の理念を中心として、神様の心中と通じ得る自由の立場に立てられたなら、あるいは解放された立場に立ち、統一された立場に立っていれば、 この地に革命や革新という言葉は必要なかったでしょう。キリスト教が神様を中心として完全な自由と完全な解放を謳歌できる位置、完全な統一が成されたその基準をもつことができなかったがゆえに、自由と解放と統一の動きが外的世界に移されました。 これが今日、私たちが言う文芸復興運動です。(1958・10・12)
宗教および思想の闘争期
人間の精神と肉身を中心とする二大思潮
人間の精神は、高い理想を追求します。すなわち、人間の精神は神様にまで到達するものであり、肉身はその理想を具現化する道具です。しかしそのためには、努力と鍛練と自己犠牲が要求されます。人間の精神が追求することと、肉身が追求することの間には絶えず緊張が生じます。精神は信仰の領域を求め、肉身は理性の世界を求めるからです。
このような理由により、人間の歴史には二つの平行する思潮が生まれるようになりました。その一つは、 理性的なものであり、外面的な肉身の優位を強調するものです。例えば、 肉体的な満足や、肉体的な美など、主に科学に重点を置くものであり、すべてが身体的感覚を土台にした実証を重視するものです。
もう一つの思潮は、宗教的伝統であり、これは人間の肉身を超越した価値を重視するものです。それは精神的法則や価値観、また神様の啓示など、科学の実証対象とはなり得ないものです。人間の生活を通して見ることのできるこれら二つの思潮が、すなわち、今日の世界における二つの対立したイデオロギーの根源なのです。(1987・6・1)
ヘーゲルの観念弁証法とマルクスの唯物弁証法
ヘーゲルの弁証法の対立や矛盾という概念はどこから出てきたのでしょうか。人間の心の奥に深く入ってみれば、良心と邪心が闘っています。それでヘーゲルは、概念にはそれ自身の内に自己と対立する契機が元来からあるように考えたのです。神様が創造した世界それ自体も対立する契機があると見たのです。これは、人間が堕落したという根本的な事実を知らなかったためです。
人間の本心を深く調べてみれば、相反する二つの心が対立していることを知ることができますが、そのような二つの心、すなわち良心と邪心が互いに対応しながら自然と歴史が発展してきたと見たのです。ヘーゲルが「堕落」を考えられなかったことが根本的な過ちです。
堕落した結果として現れた人間自体を分析してみれば、人間は相反する二種類の性質によって結合しています。そのために、ヘーゲルは神様が人間をこのように相反する二種類の性質をもった存在として創造したことが原則であると考え、宇宙もそのようにでき上がったという理論を立てるようになりました。
言い換えると、ヘーゲルは思考の発展法則として、肯定―否定——総合(正——反——合)の三段階の発展過程を次々に繰り返しながら発展していくものとして弁証法を定式化し、それを自然と社会の発展法則にも適用したのです。
マルクスはヘーゲルの観念弁証法の中の弁証法の部分を受け継ぎ、それを唯物論的に焼き直しました。そして物質世界における発展法則が根本であり、思考の発展法則はその反映であると主張し、唯物弁証法を自然、社会、思考にわたる一般法則であると主張しました。(注:「共産主義の終焉」86~87ページを参照)
さらに、マルクスは、ヘーゲルの弁証法を継承しながらも、対立や矛盾の概念に一方が他方を打倒し、絶滅する意味での闘争概念を包含させました。それは、支配階級と被支配階級との間における階級闘争と暴力革命の必然性を合理化させるためです。
共産主義思想は、すべての事物を弁証法的理論によって分析し、歴史の発展も弁証法によって理解するのです。現実の世界の一切を上部構造と下部構造に分け、これらが互いに闘争しながら歴史が発展するという戦闘的な理論を展開しています。ですから、発展するためには以前のものを破壊しなければならないという理論が出てくるようになったのです。(1983・5・13)
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ヘーゲルの弁証法は、現在の人間を堕落していない立場で考えたものです。しかし、 事実は正反対です。元来創造本然の人間の内部には矛盾性はなかったのです。ヘーゲルは「市民社会」が矛盾を懐胎しているとみなし、それを日常のことにすべて適応しました。そしてマルクスは、宗教は異常なものであると考えたのです。しかし、(すでに指摘したように)ヘーゲルの考えと彼が立てた理論は根本的に間違っています。堕落した結果の人間を中心として、それが創造本然の人間であると考えた点が間違いだったのです。
人間は自体の内で良心と邪心が互いに争っています。その二つの力が拡大したものとして、民主主義世界と共産主義世界、唯心と唯物の世界が分立して現れているのです。(1983・5・13)
神本主義と人本主義と物本主義
中世の神本主義思想と宗教的独断論が科学的探究を阻害し、肉体的成就を制限していたことも確かですが、啓蒙主義時代に人本主義の思想家たちが、宗教的信仰が理性より劣等であるばかりでなく、人間の霊性の要求は理性と相反すると主張してきたことも大きな過ちです。
合理性に対する啓蒙主義や人本主義の強調は、自然界の合理的法則を求める大きな推進力として作用してきました。しかし、理性だけでは二重構造をもった人間の究極目的と遊離し、独自的に立つこともできず、他の方向を立てることもできません。人間が霊性を無視し、理性と知的成就に満足している間に、人類は自らの究極目的と関連した先決問題を検討せずに放置してきました。その結果、人間が唯物主義、物本主義に陥り、基本の尊厳性まで失ってしまうようになったのです。(1987・11・27)
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中世のキリスト教文化圏を中心として、その時は神様を絶対視できる神本主義の時代でした。ところが、神本主義の時代が人本主義の時代に落ちていき、物本主義の時代にまで転がり落ちてきました。神本主義の時代においてどのようにして人本主義へと脱落してきたのかという問題、これは歴史的に重要な問題です。
精神を中心としてすべての人を愛する博愛主義を語り、全体が一つになることを語り、高いものは低いもののために生き、低いものは高いもののために生きよという、 循環運動を行うこの原則を中心として見てみるとき、精神世界を中心とする中世のキリスト教文化圏が、全体を抱いて一つにならなければならなかったのですが、そのようにできませんでした。
これが全体を中心として上部にいながら下部を搾取する機関に落ちたというのです。神様を絶対視する中世のキリスト教が搾取を行い、全体のために生きるのではなく、個人を中心として全体を侵害する立場に立ったために、「そのような神は私たちには必要ない」としてキリスト教を否定するようになったのです。
それで、神様を中心として絶対世界になるのではなく、「神はいない!」として神様を否定する世界になりました。人間の力が神様を身代わりできると主張したのです。 こうしてニーチェのような人は、力の万能を主張しました。
このように、絶対神本主義に対して人間を中心として争うのです。そして、ローマ教皇庁に対して市民が立ち上がり、「私たちの力を合わせれば、ローマ以上の世界を成し遂げることができる」と主張していくようになりました。
神様を中心とするあらゆる宗教圏内で、腐敗した所はどこでも、この運動がだんだんと浸透していきました。 こうしてフランス革命を中心として人本主義の世界観が台頭し、啓蒙思潮を中心として転覆させる、このような運動が拡散していったのです。「神はいない」というこのような思潮、「精神が先ではなく、物質と人間の力が根本だ」と主張するようになったというのです。神様を否定するので、主体である神様は永遠なのですが、永遠のモチーフ、根本をすべて瓦解させてしまい、人間を中心とする絶対圏を主張するようになりました。(1995・5・7)
政治、経済および思想の成熟期
民主主義と共産主義
民主世界、すなわち自由世界は宗教的伝統から出発して発展しました。民主主義の現代的概念は正に、「神は自分のかたちに人を創造された」(創世記1・27)という聖書のみ言に見いだすことができます。これは、人間は神様の子女なので民主世界では人間を尊重するという意味になります。ですから、人間に選択の自由を最大限許容すべきです。なぜならば、自由なしには人間の行動が価値をもつことができないからです。
一方、共産主義は人類歴史においてより外面的であり、世俗的な思潮の結実です。 啓蒙思想とフランス革命を経てきたのち、マルクスは唯物論を主張して、神様に対する信仰を追い出し、権力を握ると暴力による社会秩序の構築を主張しました。このマルクス主義の唯物論は、神様を否認する人間観に根拠を置いているのです。(1987・6・1)
自由の理想社会と人体構造
一つの国を見れば、主権、国民、国土があります。これは人間と同じです。地上天国は誰に似ているのかというと、私に似ているのです。私という個人が集まって国ができるのです。したがって、私に心があるのと同じように、国には主権がなければならず、人格体なので国民がいなければならず、人間に万物があるように国土がなければなりません。このような原則から国土は人によって支配され、国民は主権によって支配されるのです。この国土、国民、主権が国家形成の三大要素です。
個人においては心が主権者です 。主権者は国民を支配し、国民は国土を支配します。こそれでは、国土の所有主は誰ですか。国家の所有ですが、実際は国民の所有です。 のような法則によってつくられた世界が民主主義世界、資本主義世界です。しかし、 共産主義世界はどのようになっていますか。すべて国家の所有になっています。国民が支配するものは何もありません。正常な体制ではないのです。
人を見れば、心は体を主管し、体は万物を主管するのが原則です。このような原則があるので、全世界を見るとき、天地人という決定的な結論になるのです。天とは何ですか。人間の心と同じなので、主権と同じです。人は人格体です。地は万物です。 結局、国は誰に似たのかといえば、すべて私に似ているのです。
どれほど大きな社会、いくら大きな国家だとしても、人に似なければならないのです。それは、神様が神様御自身の形状と似たものを好まれるからです。それでは、人が一番好きなものは何ですか。自己の形状に似たものです。それでは、理想的な国家は何に似なければならないでしょうか。人に似なければならないというのです。(1969・10・25)
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神様は、御自身を中心として人間を造られたので、私たちの個体は神様の形状に似ています。神様もやはり心のような部分があり、物質のような要素があります。ですから、神様に似せてつくられたのが今日の世界の形状です。
それでは今後、最高に発達した文明世界はどのような世界でしょうか。心と体と物質がこのような原則によって、私自体の生活圏内で矛盾や衝突がなく完全に授受作用して、天倫の法度を立てることができるように制度化された社会が地上天国です。
大韓民国を中心として見てみれば、主権と国民と国土の基盤の上に、立法府があり、 司法官庁があり、行政府があります。ここにも天地人がすべて入っています。ここで立法府は、私たちの身体の肺に該当します。司法官庁は心臓に該当し、行政府は胃に該当します。結局、私に似ているというのです。肺に当たる立法府では、新鮮な空気を摂取するのと同じように、神様からの愛を受けて政策を立てなければなりません。
そして、心臓に当たる司法官庁は、血液の中の白血球が浸透してくる病原菌を防ぐのと同じように、侵犯してくる敵を防備して国家の安寧と秩序を維持しなければなりません。飲食物を吸収する胃に当たる行政府は、国家を維持するためのあらゆるものを吸収しなければなりません。この三つの組織がよく授受しなければならないのです。
このような原則から見てみるとき、世界の社会制度は人の構造に似てきたことが分かります。最高に発展した文明世界はどのような世界かというと、人に似た世界だというのです。人には心臓系統、神経系統、心的系統があるのですが、これがすべて一つにならなければなりません。(1969・10・25)
世界大戦
世界大戦の原理的意義
世界のあらゆる万物と、あらゆる人々は誰に治められたいと思うでしょうか。より公的な存在に治められたいと思うのです。また、より公的な国に従っていきたいと思います。ですから、戦争という方法と手段を通して、より私的な国は滅びるようにして、公的な国を栄えさせ、より私的な国はその国に主管されるようにしてきたのです。 このような目的のために起きる闘いを、人々は侵略や攻撃という言葉で表現してきましたが、その内容面から見るとき、事実は、より善で公的な国家に主管させるためにそのような闘いが起きたというのです。(1970・6・4)
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神様のみ旨から見るとき、この戦争というものは何をするために起きるのでしょうか。新しい統一世界を形成するための近道をつくるために戦争をするのです。そうだとすれば、世界大戦というものは、世界をより良い一つの世界にするために、神様という監督官のみ旨によって始まり、終わったという結論を下すことができるのです。(1979・5・1)
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十人が一つになろうとするとき、そこには、必ず三人の妨害者がいます。理由なく憎み、攻める群れがいるのです。ですから、皆さんは、三度以上の試練を受けなければなりません。このような現象は、終末の時に起きるので、個人の信仰においても、 そのような試練と苦難があり、個人の身の上から家庭単位に発展していくときもそのような試練があり、社会から国家、国家から世界へ越えていくときも、そのような三大試練があります。
ですから、今日の世界的な終末期において、世界の人類は、三度の天の試練とサタンの試練を越えなければならないのです。これが、一次、二次、三次の世界大戦です。これは、個体においても同様です。(1958・1・3)
神様とサタンの闘争から見た世界大戦
今、神様とサタンが人間を介して戦っています。聖書を見ると、サタンは空中の権勢を手にした者であるとあります。また、この世の君がサタンであるとあります。ですから神様は、サタンが手にした空中の権勢と地上の権勢を奪ってこなければならないのです。
それが第一次世界大戦前まで、すなわち世界的な問題を中心としてサタンが天と戦う世界時代までは、霊的世界を天が占領してきたのです。このように天が霊的世界を占領したので、サタンは地上世界に降りてきたのです。世界的な霊的世界を奪われたサタンは、世界的な地上に向かって降りてきたので、世界を糾合して天の世界に反対するようにするのです。これは何ですか。霊界を代表した世界的なキリスト教文化圏とサタン文化圏の戦いが起こるのです。お互いに戦うようになっているというのです。
霊的世界でも、キリスト教文化圏を中心としてサタンと戦ってくるのです。それと同様に地上で戦う場合においても、霊的な神様とキリスト教国家が合わさり、サタンとキリスト教に反対する国家が合わさって世界的な戦いが起きたのです。
サタンは、この世界が自己の主管圏内にいるために、世界中の人々の中で一番の知識層、一番の上流階級の人たちを糾合して神様に反対するのです。それが第一次世界大戦までの戦いでした。世界を掌握した上流階級層がサタン世界を動員して神側を打つ時なのです。人に例えて言えば、サタンが最高の頭の部分を動員して天に反対した時なのです。それが、第一次世界大戦です。
その次に、サタンはそれを奪われたので、上流階級から中流階級へ入っていくのです。追われて降りてきたのです。人間で言うならば、首の時代は過ぎていき、腕の時代、すなわち、力の時代に入ってきたのです。「力をもって世界を一度掌握し、神様に対抗する」と言うのです。それが、中流階級に該当する軍閥時代です。力をもって世界を掌握するために、力がなければならないのです。これが第二次世界大戦です。 ですから、サタンは中流階級まで追われて降りてきたのです。人間で言えば、腰以上をすべて天が奪ったのと同じなのです。
それで、サタンが追われて下がっていき、今は行く所がないので一番下、足の時代に向かう時が来たのです。これが、サタン世界の最後の足場である労働者、農民の時代です。
上流、すなわち頭と胴体が責任を果たしていれば足は頭の支配を受け、胴体の支配を受けるようになるのですが、それらがすべて責任をもつことができないので足だけが行き来して騒いでいるのです。この民主世界が責任を果たして、首と胴体のような上流と中流階級がメシヤと一つになれば、正常な人間の体をもって世界を一つにできたのです。(1972・3・25)
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サタンの作戦と神様の作戦は、正反対です。サタンは戦わせて分立する作戦をし、 神様は一つにする作戦をとるのです。それで正反対だというのです。このように見たとき、終わりの日にはどうなるのかというと、サタンの世界が個人から家庭、氏族、 民族、国家、世界へと展開されていくのです。
この世界は、完全に神様のみ旨と反対です。一八〇度異なるようになっています。このような世界を、第一次世界大戦、第二次世界大戦、第三次世界大戦を通して収拾して、二つに分けておいたのです。世界的にサタンと神様が戦争を通して対決して、そこでサタンが負けるとき神側が取り戻してきたのです。
それでは、歴史過程において神様は、どのように摂理されてきたのでしょうか。神様の戦略とサタンの戦略は、一八〇度違います。サタンは先に打って滅びていくのです。一つになるのではありません。サタンは常に先に打っては滅び、天の側は先に打たれて栄えてきたのです。これが天の作戦です。例えば、お兄さんがどんなに立派だとしても罪のない弟を打つようになれば、その父母は弟の側に立つのです。これと同じです。
サタン世界において、神様はどちら側に立つかというと、先に打つ側ではなく、先に打たれる側に立つのです。世界大戦においても、第一次、第二次、第三次と先に打ったほうが滅んでいきました。神様の世界的摂理において、宗教圏を中心とするキリスト教文化圏から見た時に、このようなことが世界大戦を通して摂理されてきたことを知らなければなりません。
ヨーロッパにおいて、イギリスを中心として第一次、第二次大戦が起こり、アメリカを中心として思想戦争にまでつながってきました。そこにおいても、いつもサタンが先に打ってきたのです。三分の二まで、いつも神側が打たれてきたのです。なぜそのようになるのかというと、蘇生、長成は、サタン圏内に属しているからです。それで三分の二まではサタンがいつも勝ってきたのです。第一次世界大戦、第二次世界大戦においてもそうでした。思想戦である第三次世界大戦においても同じでした。(1993・1・10)
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キリスト教文化圏の英米仏を中心として、霊的文化圏と実体文化圏にイエス様の体を統一させるために日独伊と闘い、世界的に解決したのが第二次世界大戦です。こうすることによって蕩減完了です。アダム家庭が世界の国家的代表として、霊肉を代表した実体圏を復帰した環境になるのです。ここに再臨主が来ます。世界の王として来るのです。(1997・4・21)
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韓国は、いかなる民族でしょうか。イタリアの半島文明圏を再び起こしてそれを蕩減することができ、文化圏の世界史的伝授を受けなければならない民族です。韓国は、 そのような地域になっているのです。南北の統一は、民主世界と共産世界の統一を意味しています。そして、韓国が独立することは、イスラエル民族が失敗したことを復帰することになるのです。(1986・1・28)
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韓国キリスト教は、西欧の精神文明の根になったヘブライ思想の結実です。古代へブライの預言者たちによって証され、キリスト教の聖者たちによって継承され、今日世界の主流宗教となってきたキリスト教は、正にヘブライ思想に根ざしたものだと言えます。そして、休戦ライン以北の北朝鮮では、ヘブライ思想とは正反対の伝統を継承してきたヘレニズムが結実しています。それが正に唯物思想に立脚した神様を否定する共産主義です。相反する二つの主義を信奉する二つの世界が韓半島で互いに衝突しているのです。
韓国動乱は、この二つの主義の世界が衝突した戦争でした。ですから、韓国動乱は、 国家的次元の戦争ではなく、結束した共産主義世界と国連内の自由国家の二大陣営がぶつかり合って戦う一つの世界的次元の戦争でした。したがって韓半島は、世界の縮小体であると見ることができます。韓半島において、世界のすべての問題が縮小された状態で引き起こされているのです。ですから、韓国で得られた経験と成功した解決策は、それがすなわち韓国の問題の解決策だけでなく、直ちに世界の問題の解決策となるのです。(1982・11・5)
アダム家庭の復帰から見た世界大戦
堕落によって、エバを中心として、万物と共に子女の心情圏がサタン世界に落ちてしまいました。ですから、エバの使命というものは、神様の心情をもって息子、娘と万物を抱いて戻ってこなければならないのです。しかし、エバには神様の心情圏がありません。それは、来られる主である完成したアダムにあるのです。ですから、一つにならなければならないというのです。それがアダム国家とエバ国家です。
なぜアダム国家とエバ国家ですか。堕落は、アダムとエバの二人によって起きました。それで、終わりの日には、個人に植えたものが世界的に結実される時代になるというのです。政治的に見れば、すべて国家として結実しなければならないというのです。それで、天の側のアダム国家、天の側のエバ国家、天の側の天使長国家が出てくるのであり、その反面、サタン側のエバ国家、サタン側のアダム国家、サタン側の天使長国家が出てきて結実するのです。
最後には、その結実したものを清算して、悪の側を整理しなければなりません。それを整理するためには、善なるものを中心にして整理しなければならないというのです。そのようにするためには、善なるもので悪なるものを包容して、偽りのものは自然に消えていくようにしなければなりません。(1992・11・17)