【危険な内容です】国家が抹殺しようとした預言者・出口王仁三郎が〝あの世の全て〟を記録した禁書「霊界物語」【TOLAND VLOG】

▶ https://www.youtube.com/watch?v=Umdf7LahqX4

目次

■ 3行でわかる

① 大本の教祖・出口王仁三郎が口述筆記で残した「霊界物語」は全81巻83冊・約1000万字に及び、「記紀は権力者に改ざんされ、本当の主役は隠された国常立尊で、神々の都はエルサレム」と語る、日本の国体神話を揺るがす内容だった。

② 国家は1921年と1935年の二度にわたり大本を弾圧し、第二次大本事件では約500人の警官隊が突入、987人を検挙し拷問で16人が死亡、判決前に神殿をダイナマイトで爆破したが、7年後の判決で治安維持法違反は無罪となった。

③ 王仁三郎は首相の名前にかけた言葉で敗戦を言い当てたとされ、大本の弾圧からちょうど6年後の同じ日付に真珠湾攻撃や本土初空襲が起きたことから、「大本で起きたことが日本、そして世界に拡大する」という「型」の思想が紹介されている。

動画の概要

TOLAND VLOGが、日本史上最大の予言者とも呼ばれる大本の出口王仁三郎の生涯と、国家が「地上から抹殺する」とまで言った禁書「霊界物語」を読み解くシリーズの第1回です。出演者は信者でも布教者でもなく、書物として読み解く立場であると断ったうえで、王仁三郎の霊界体験、出口なおとの出会い、二度の大本事件、そして戦時中の予言までをたどっています。

主なポイント

1. 規格外の書物「霊界物語」

  • 全81巻83冊、約1000万字。文庫本にすると約100冊分で、毎日1冊読んでも3か月かかる
  • 王仁三郎は一字も書いておらず、目を閉じて語った言葉を弟子が書き取る口述筆記で作られた
  • 本人は「自分で考えた物語ではなく、霊界で実際に見てきたこと」だと語っている
  • 発禁処分を受け、神殿は爆破されたが、戦後に復刊され、現在は原文が公開されている

2. 高熊山での霊界修行

  • 王仁三郎(本名・上田喜三郎)は明治4年、京都・亀岡の貧しい農家に生まれた
  • 26歳のとき、けんかで大けがをした直後に木花咲耶姫の使いを名乗る人物が現れ、高熊山での1週間の修行を命じられた
  • 雪の残る山頂で飲まず食わずの「現界の修行」と、魂が抜け出してあの世を巡る「神界の修行」を交互に行った
  • 霊界では生前の罪の重さが服の色に表れ、二つの顔を持つ大王に「宇宙を立て直す神業に加われ」と告げられたという
  • 山を下りた王仁三郎は「山にこもるのが偉いのではない。本当の修行は人の世で活動することだ」と語った

3. 出口なおとの出会い

  • 明治25年、京都・綾部の貧しい57歳の女性・出口なおに「艮の金神」が懸かり、「三千世界一度に開く梅の花」と世の立て替えを告げた
  • 放火を疑われ、家族に座敷牢へ閉じ込められる中、字を知らないなおは釘で柱に文字を刻み始め、これが「お筆先」となった
  • お筆先は20年以上で半紙20万枚に及び、「我よし」「強いもの勝ち」の世を改めよと説いた
  • 神の正体を見極めに来た王仁三郎は、なおの娘・すみと結婚して後継者となり、なおは不動の「経糸」、王仁三郎は自在に動く「緯糸」の役割を担った

4. 拡大する大本とモンゴルへの冒険

  • 人を神懸かりにさせる「鎮魂帰神法」が評判を呼び、英文学者の浅野和三郎や、後に合気道を開く植芝盛平らも集まった
  • 大正日日新聞を買収してメディアにも進出し、大正10年に第一次大本事件で検挙される。直後に霊界物語の口述が始まった
  • 大正13年、保釈中に日本を脱出し、植芝盛平とともにモンゴルで理想国家の建設を目指したが、張作霖の軍に捕らえられ、銃殺寸前で日本領事館に救われた(パインタラの法難)
  • 帰国後は「万教同根」を掲げ、中国の宗教団体との提携やエスペラントの普及、人類愛善会の設立など、国境や宗教を超えた活動を広げた

5. 国家による徹底的な弾圧

  • 昭和10年12月8日、約500人の警官隊が綾部と亀岡に突入(第二次大本事件)。武器は一つも見つからず、信者は無抵抗だった
  • 987人が検挙され、取り調べという名の拷問で16人が死亡。判決前に亀岡の神殿はダイナマイトで爆破され、なおの墓まで暴かれた
  • 検察は、王仁三郎がりんご(日の丸)を手に取り幹部に大根や芋を配った儀式を「政権奪取の陰謀」と主張した
  • 王仁三郎は6年8か月獄中に置かれたが、治安維持法違反は無罪となった

6. 国家が恐れた本当の理由と「型」の思想

  • 霊界物語は、記紀ですぐに身を隠したとされる国常立尊を主役とし、神々の都をエルサレムに置き、舞台は世界中に及ぶ
  • 天皇の正統性を記紀神話が支えていた時代に、その神話を覆す内容は、武器よりはるかに危険と見なされた
  • 王仁三郎は弾圧を見越して霊界物語を側近に配っており、全巻発禁・所持すら犯罪とされても本は消えなかった
  • 昭和17年の保釈時に「自分が世に出たら日本は負け始める」と語り、その日に連合軍がガダルカナル島に上陸。小磯・米内内閣の名前を「国明け渡す」とかけるなど、敗戦を予言したとされる(信者側の証言である点には注意が必要と動画でも説明)
  • 第二次大本事件の6年後の同じ日に真珠湾攻撃、聖地が売却された6年後の同じ日に本土初空襲があり、「大本で起きたことが日本、そして世界に拡大する」という「型」の思想が紹介された
  • 戦後、王仁三郎は報復ではなく世界平和の運動へ向かい、晩年に焼いた「耀盌」は1970年代の欧米巡回展で25万人を集めた

まとめ・結論

出口王仁三郎は、国家から二度の弾圧を受け、神殿を爆破されながらも、「霊界物語」という膨大な書物を後世に残しました。国家が恐れたのは王仁三郎個人ではなく、天皇の正統性を支える神話を根底から問い直すこの書物そのものだった、と動画は読み解きます。次回からは、記紀が隠したとされる国常立尊の正体など、霊界物語の中身に踏み込んでいくとしています。


▶ 元動画を視聴する(TOLAND VLOG)

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

現在、メディアからの情報が偏っていると感じることがあります。また、本当に知りたい情報が得られていないという印象を受けることもあります。多くの方々が同様の感想を持っており、「日本の平和を守りたい」「次世代に安全な社会を残したい」という思いを、様々なチャンネルで発信しています。

このサイトでは、そういった心を持つ方々の情報を集め、紹介していくことを目的としています。サイト運営者の判断によって選ばれた情報を提供していますが、最終的な判断は利用者の皆様にお任せします。また、運営に関するご意見も歓迎します。

目次