世界を牛耳る大富豪【ロックフェラー家の歴史】【ヒューマン伝】

▶ https://www.youtube.com/watch?v=k6wunSN4QZk

目次

■ 3行でわかる

① 1838年生まれのジョン・D・ロックフェラー・シニアは、1870年にスタンダード・オイルを創業し、競合の買収や鉄道のリベートなど強引な独占戦略で1879年には米国石油生産の9割を支配した。

② 「稼ぎの3分の1を寄付」という信仰に基づく習慣は財団設立や医学研究所・シカゴ大学創設へと受け継がれ、第3世代はネルソン副大統領や銀行家デイビッドなど政財界で多彩に活躍した。

③ 富と名声の重圧に反発した第4世代の混乱を乗り越えつつ、ジョン・D・ロックフェラー3世や4世はサンフランシスコ講和から戦後の日米関係構築まで、日本と深く関わり続けた。

動画の概要

歴史解説チャンネル「ヒューマン伝」が、アメリカ史上最大の富豪一族ロックフェラー家の歴史を、一代で石油王となった初代から現代まで世代ごとにたどった動画です。栄光だけでなく、世間からの批判や富の重圧に苦しんだ世代の姿、そして戦前から続く日本との関わりにも焦点を当てています。

主なポイント

1. 一代でのし上がった石油王(第1世代・シニア)

  • 先祖はプロテスタント迫害でフランスからドイツへ移り、ドイツ風の「ロッゲンフェルダー」から米国で「ロックフェラー」を名乗った。
  • 父ウィリアムは万能薬を売り歩く行商人で女性関係にだらしなかったが、金儲けの才は本物。シニアは父から金銭感覚を学ぶ一方、敬虔な母から信仰教育を受け、月給25ドルの時代から「3分の1を寄付、3分の1を貯蓄」を徹底した。
  • 18歳で友人と商会を起業し、南北戦争の特需で利益を拡大。21歳の頃にペンシルベニアで石油が発見され、24歳で石油精製業に参入した。
  • 乱立する業者の過当競争を「競争の排除」で安定させようと、スタンダード・オイルを設立。鉄道の買収や値下げ競争、合併で独占を進め、アジア市場にも進出した。

2. 「悪徳資本家」への批判と慈善事業(第2世代・ジュニア)

  • 強引な手法から「ロバー・バロン(泥棒男爵)」と呼ばれ、1911年には最高裁がスタンダード・オイルの分割を命じた。
  • 1913年、子供や女性を含む死者を出した労働争議「ラドローの虐殺」で、ロックフェラー家は「資本主義の怪物」と猛批判され、支援を受けていたヘレン・ケラーまで批判側に回った。
  • 内向的で理想主義の長男ジュニアは、企業PRの祖アイビー・リーとの出会いで情報開示とコミュニケーションの重要性に気づき、一族のイメージを変えていった。
  • 親子はロックフェラー財団を設立し、医学研究所やシカゴ大学を創設。関東大震災の支援も行い、研究所員だった野口英世が亡くなった際はジュニアが弔辞を読んだ。

3. 多様性の第3世代「ザ・ブラザーズ」

  • 次男ネルソン:南米事業で成功し、ルーズベルト政権の国務省入り。国連創設会議ではアルゼンチンの加盟を実現し、国連本部用地の寄付も父に働きかけた。ニューヨーク州知事から大統領選に挑んだが、副大統領止まりだった。
  • 三男ローレンス:ジェットエンジンへの投資を父に説き、大手航空機メーカーの筆頭株主となった名投資家。
  • 四男ウィンスロップ:沖縄戦に向かう輸送船団で特攻機の攻撃を受け重傷を負った後、アーカンソー州で牧場主として成功し州知事に。
  • 五男デイビッド:兄弟で唯一博士号を持つ知識人で、銀行の頂点に上り詰め「金融界の覇者」と呼ばれた。
  • 長男ジョン・D・ロックフェラー3世:「ミスター・アジア」と呼ばれた日本通。京都での国際会議で知り合った松本重治(後の吉田茂内閣のブレーン)と生涯の友となり、サンフランシスコ講和条約に向けた特使団に唯一の民間人として参加。昭和天皇・皇后両陛下を私邸に招くなど、戦後の日米関係構築に尽くした。

4. 第4世代「カズンズ」の反逆

  • リンドバーグの子供誘拐事件を受け、厳重な警備の中で育った第4世代は、1960年代のカウンターカルチャーの影響を強く受けた。
  • デイビッドの長女アビーはマルクス主義者となり社会主義政党やフェミニズム運動を支援。次女ペギーは貧困問題のNGOを立ち上げ、ベトナムで米兵向け銀行を開設した父に反発した。
  • 22人のうち16人が女性で、早く結婚して「ロックフェラー」の名を捨てようとする者も多く、一族の絆は揺らいだ。
  • 元大学学長エリザベス・マコーマックが財団の相談役として一族の対立を取り持ち、確執は徐々に和らいでいった。

5. 日本と歩んだ4世、そして現代へ

  • 3世の息子ジョン・D・ロックフェラー4世は、一族が支援していた山梨県清里の農業訓練施設を訪れ、国際基督教大学にも留学。「働くことを覚えたのは日本へ行ってから」と妻が語るほど日本と縁が深い。
  • 安保改定反対運動で日米関係が緊迫した際には、米メディアの偏った報道に対し公正な見解を示した。のちにウェストバージニア州知事としてトヨタのエンジン工場を誘致し、上院議員として日米貿易不均衡問題にも携わった。
  • バブル期の日本企業によるロックフェラーセンター買収は「ジャパン・バッシング」を招いたが、そのころにはロックフェラーの名は悪役ではなく近代アメリカ文明の象徴となっていた。
  • 直系は第5・第6世代で100人を超え、3世が設立したアジアン・カルチュラル・カウンシルは今も東京で日米の文化交流を続けている。

まとめ・結論

一代で消えていった多くの成金とは異なり、ロックフェラー家は「王朝」と呼ばれるほどの結束力と継続性を保ってきました。その背景には、冒頭の「増え続ける富を上回る速度で社会に還元しなければ、子孫は富の重さで圧死する」という言葉に象徴される社会還元の精神と、世代ごとの苦難と紆余曲折の物語がありました。


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この記事を書いた人

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