旧皇族として生まれた伏見殿下の見た世界とは?!【NMS STUDIO】

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目次

■ 3行でわかる

① 14歳で皇籍を離脱した旧伏見宮家の伏見博明氏(94歳)が、ナオキマン氏と月刊ムーの三上丈晴編集長を相手に、18歳での米ケンタッキー留学や、帰国後に話したフライドチキンの話が1年後に三菱商事による輸入につながった逸話など、激動の人生を語った。

② 戦時中に焼夷弾が皇族の屋敷を避けるように落ちたこと、北白川宮の後継者を米軍から守るため愛媛・石鎚山麓に隠れ家が作られ今も残ること、伏見宮家が皇統の“バックアップ”を担ってきたことなど、戦前戦後の皇族の知られざる実像が明かされる。

③ 上皇陛下に携帯電話を見せたら後日持つようになった話や愛子さまの気遣いなど両陛下との交流を振り返り、若い世代には神話を含む日本の歴史と伝統をもっと学んでほしいと呼びかけた。

動画の概要

都市伝説系YouTuberのナオキマン氏と、「日本一怪しい雑誌」月刊ムーの三上丈晴編集長が、旧皇族・伏見宮家出身の伏見博明氏を迎えたスペシャル対談。戦後80年を迎え、天皇や皇室のことを知らない人が増えるなか、皇籍離脱、アメリカ留学、戦時中の体験、皇室の方々との交流、都市伝説で語られる“裏天皇”説まで、94歳の伏見氏が当事者ならではのエピソードを語っている。

主なポイント

1. 14歳での皇籍離脱とアメリカ留学

  • 「昨日まで皇族、今日から平民」と告げられ、何をしてよいか分からなかったが、むしろ自由になったと感じたという。年長の元皇族の中には慣れない商売に手を出して倒産する人もいたが、自分は15歳前後だったので適応しやすかったと振り返る。
  • 戦時中から英語が好きで、工場で働かされていた連合国の捕虜と片言の英語で話すのが楽しかった。「日本に勝った国を見たい」と18歳で渡米を決意。英語を話すためにあえて船を選んだが、ひどい船酔いで3日間何も食べられなかった。
  • 日本人同士で固まるのを避けるため、日本人のいないケンタッキーの大学を選んだ。現地では中国人と間違われるほどで、四六時中英語漬けの生活を送った。
  • 4年半後に帰国し、三菱関係者に「ケンタッキーのフライドチキンがおいしい」と話したところ、約1年後に三菱商事が本当に輸入を始めたという。
  • 留学中にフリーメイソンの関係者から支援を受けたことや、食事会に顔を出したことも著書で触れているが、当時は組織のことをよく知らなかったと語る。
  • 皇太子時代の上皇陛下が英国の戴冠式の帰りにニューヨークへ立ち寄った際、ワシントンまでの飛行機に同乗したところ、FBIが「搭乗者が1人多い」と大騒ぎになったエピソードも披露した。

2. 戦時中の体験と「皇統を守る」計画

  • 東京大空襲の際、道路一本隔てた皇族の住まいや周辺の宮家の屋敷には焼夷弾が1発も落ちず、「地図を持っていたはずで、狙って避けたと思う」と語る。
  • 米国が天皇を排除した場合に備え、「天皇の血筋を引く者がいないとまずい」として、北白川宮家の後継者をかくまう小さな家が、米軍に分からないよう愛媛県の石鎚山の方に作られた。その家は今も残っており、伏見氏は近くの神社の総裁として毎年のように訪れていたという。
  • 長野県の松代大本営に天皇を移す計画があったことにも触れ、終戦の半年ほど前から「日本は負ける」と聞かされていたと振り返った。

3. 「エンペラー・ウェザー」と“裏天皇”説

  • 雨の日でも陛下の行事の際に急に晴れて虹が出るといった現象について、伏見氏は「誰にも分からないが、実際にそういうことがある。神様に守られているように思う」と語った。
  • 三上氏は、伏見宮家は南北朝時代から続く世襲親王家(四親王家)の一つで、皇統に何かあった際のバックアップの役割を担い、菊の紋も花弁が14枚で裏向きであることから、都市伝説では「八咫烏」や“裏天皇”と結び付けて語られると紹介。伏見氏は「全然知りません」と笑いながらも、振り返れば周囲の人々に守られていたと感じることはあると述べた。
  • 旧皇族の親睦会「菊栄親睦会」は、コロナ禍以降開かれていない。以前は皇居に屋台を出し、天ぷら屋や寿司屋を呼んで両陛下を招き、約100人が集まっていたという。旧宮家は皆伏見宮家から分かれた家で、今も仲が良いとも語った。

4. 皇室の方々との交流エピソード

  • 天皇陛下(当時)との食事中に伏見氏の携帯電話が鳴り、興味を示されたので使い方を説明したところ、後日陛下も携帯を持つようになった。「1を押すと警察、2を押すと侍医、3を押すと侍従が来る」仕様だったという。
  • 皇居を案内していた際、愛子さまが車をスローダウンして窓を開けて挨拶してくださり、同行者が思わず涙を流した。後日そのことを伝えると、愛子さまは「ごめんなさい」と気遣われたという。
  • 悠仁さまにナマズを差し上げたところ、「かわいそうだから食べるのはやめて池で飼う」と言われたエピソードも紹介。
  • 皇室にあまり関心のなかった水産加工会社の社長が天皇杯を受けて皇居を訪れた際、陛下の衣擦れの音を聞いただけで涙が出て、以来すっかり皇室ファンになった話も語られた。
  • 若い頃、スピード違反で免許を預かられた際、警察署長から「大変失礼しました」と免許を返されたという、今では考えられない昔話も披露した。

5. 皇族としての教育と若い世代へのメッセージ

  • 幼少期は家庭教師が教室の後ろに立って様子を記録し、男子は孤独に耐えるため親と一緒に寝た経験がないという。広い屋敷の暗い廊下をトイレまで歩くのが怖かったとも。現在のホテルニューオータニの場所が旧伏見宮邸だった。
  • 若い世代へは「日本の歴史と伝統をよく勉強してほしい」とメッセージ。三上氏も、ギリシャ神話を教えるように、自国の歴史の始まりである神話を教えるのは当たり前だと応じ、竹田恒泰氏の国史教科書が検定を通ったことにも触れた。
  • 94歳を迎え「何か残さなければ」との思いから1冊目の著書を出し、読者の要望を受けて2冊目も準備中だという。

まとめ・結論

皇族から一夜にして平民となり、単身アメリカへ渡った伏見博明氏の人生は、戦後日本と皇室の歩みそのものでもある。戦時中の皇統を守る計画から、上皇陛下や愛子さまとの温かな交流まで、当事者でなければ語れない話の数々は、戦後80年を経て皇室を身近に知る貴重な記録となっている。伏見氏は、若い世代が神話を含む日本の歴史と伝統を学ぶことの大切さを最後に訴えた。

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この記事を書いた人

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