▶ YouTube:https://www.youtube.com/watch?v=BtJ4-OpX2IM
3行でわかる
① ジムで特定の筋肉を鍛えても雑巾がけ20分で同じように疲れるように、人の体や能力は部分ではなく、日常の動作全体を通して育まれる「全体性」の中で成り立っているとマドモアゼル・愛氏は語る。
② 日本最高位とされる剣道十段の剣道家ですら、田舎で数十坪の畑を耕すとわずか数分で疲れ果てたという逸話は、一つの専門性を極めても全体の中ではまだ未熟な部分があることを示している。
③ マニュアルではなく自分の感性に沿って日常を生きるとき、人はその人にしか作れない「作品」となり、それが神の喜ぶ芸術的な生き方であり、これからの時代の方向性だと説く。
動画の概要
マドモアゼル・愛氏が日曜の朝に語った、生き方についてのトーク。成績や給与など自分の一部分だけを見て全体を判断すると幸福になれないとし、日常の暮らしと自身の感性が一体となった「全体性」の中で人は自然に鍛えられ、成長していくという考えを、自身の体験や剣道家の逸話を交えて語っている。
主なポイント
1. 部分を強調するとバランスを失う
- 何か一つを強く強調したり確信したりすることは必要な場合もあるが、一般的には気づかないうちに害になっていることの方が多い。
- 膝の裏や太ももの裏を伸ばす1日1分にも満たないストレッチだけで姿勢が良くなった経験から、専門的に計画した運動が必ずしも望む結果を生むとは限らないと語る。
- ジムで同じ運動を続ければその部分の筋肉はつくが、雑巾がけを20分すれば鍛える前と同じように疲れる。日常の動作でしか鍛えられない複雑な筋肉が体中にある。
2. 日常の中でこそ保たれる健康
- こまめに動く人だった父親は、20歳から晩年まで体重がまったく変わらなかった。
- その秘訣は食べる量よりも、日常的に体を動かし、全体性の中で健康が保たれていたことにあると考えている。
3. 剣道十段の剣道家が教えてくれたこと
- かつて山奥に住んでいた頃、日本最高位とされる剣道十段の剣道家が訪ねてきた。中央の剣道制度になじまず、独自の道を追求してきた人物だった。
- 日本一強いと自負していたその剣道家が、地方で数十坪の畑を鍬で耕したところ、わずか数分で疲れ果ててしまったという。
- 体は意識が向いた部位にエネルギーが入るため、剣道で使う部位と農作業で使う部位は異なり、日頃使わない部位は鍛えられていない。
- 専門性は生きるうえで重要だが、日常のありがたさの中で謙虚に全体性を失わない暮らしが、何をするにも大切だと気づかされた。その剣道家も独自の工夫を重ね、やがて一日中鍬を持っても疲れなくなったという。
4. 感性が生んだ思わぬ結果
- 山奥で無農薬の米作りをしていた際、収穫前にカメムシが大量に押し寄せた。
- 悔しさから一匹ずつ潰していったところ、翌朝には何万匹もいたカメムシが一匹残らずいなくなっていた。
- 農業の教科書には載っていない出来事であり、感情を含めた自分の感性と日常の行動が織りなす全体性がもたらした結果だと捉えている。
5. 人生は情報ではなく芸術
- 人が生きるうえで「こうしてください」という正解はない。部分的なアドバイスが必要な時はあるが、全体性の中でその人が感じた自然な行為が、その人を育てていく。
- 日々の暮らしというキャンバスの上で、その人にしか作れない創造物を生み出していく「芸術化していく生き方」が本来の姿。顔かたちが違うように、実る果実も一人ひとり異なる。
- 神が人を機械のように画一的に作らなかったのは、一人ひとりがどんな実をつけるかを楽しみにし、喜んでいるからではないかと語る。
まとめ・結論
自分の一部分だけを鍛えたり評価したりして全体の価値を決めると、その自信は部分的な挫折で簡単に崩れてしまう。失うことのない自信は、自分の感性と一体となった日常の中で育まれる全体性から生まれる。マニュアルに頼らず、日々の暮らしを自分らしく丁寧に生きることこそが、人生を芸術作品へと高めていく道だというメッセージが込められている。
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